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日本は優生思想に寛容である件(7)「何をするか分からない」人は誰?

▼植松聖被告が相模原市で障害者19人を殺した事件の裁判が始まっている。

植松被告が主張する優生思想については、すでにメモしたとおり、日本社会に生きている一定程度の人々が共感し、支持している。

今号は、その背景について分析した記事を読む。2019年12月23日付の毎日新聞。シリーズ「優生社会を問う」の「地域で暮らす 上」。上東麻子・千葉紀和記者。

〈障害者 拒(こば)み 共生遠く/入居者「どこに住めば」/民間参入「反対」助長か〉

この記事を読むと、無知で開き直るバカが多いことがわかる。

▼リード文には〈障害者施設を巡り、過去5年間に少なくとも全国で68件の建設反対運動が起きていた。〉とある。

具体的に取り上げたのは、横浜市都筑区に建てられたグループホーム。

〈なぜ地域住民は障害者施設の建設に反対なのか。ある住民女性は「(施設入居者が)何をするか分からない。2棟目は絶対に建てさせない」と主張する。

毎日新聞によるアンケートでも、反対運動の理由で、住民が障害者を危険視しちえることを挙げる自治体が多かった。だが、18年の犯罪白書と障害者白書から推計すると、精神障害者と知的障害者に占める刑法犯罪者の割合は0.08%。精神・知的障害者でない人の割合(0.2%)と比べてかなり少ない。

▼とてもわかりやすい記事だ。要するに、「何をするか分からない」のは、障害者ではなく、障害者ではない「ある住民女性」の側の人々なのである。

反対運動をしている人たちは、おそらく事実について無知なのだろう。

〈さらに、「住民への説明が不十分」との回答も多かったが、障害者差別解消法に詳しい藤岡毅弁護士は「説明義務があるという発想自体が障害者への偏見と差別に当たる」と批判する。〉

▼筆者はこの意見に同意する。「住民への説明が不十分」と言っている人に対しては、もしかしたら、どれだけ説明しても不十分かもしれない。

「説明が不十分」と言っている人にとって、もしかしたら、障害者は「住民」の範疇(はんちゅう)に入らないのかもしれない。

そうだとしたら、そこには、すでに「障害者は人間ではない」という思想が滲(にじ)んでいる。

もしもそうだとしたら、障害者は「何をするか分からない」と主張して、障害者施設に対する反対運動をして、「住民」である「私たち」や「私」の人権を守っているつもりになっている人々の思想と、今、植松聖被告が裁判で明言し続けている「意思疎通が取れない人は社会の迷惑」(2020年2月6日付毎日新聞)という思想と、いったいどこが違うだろうか。違いがあるのだろうか。もしかしたら両者は同類ではないだろうか。(つづく)

(2020年2月8日)

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