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伊達マスクで対応された時に決意した想い

当初インフルエンザ対策や花粉症対策などの目的で着用していた者が「だてマスク」に転化する場合もあるため、第三者にとっては「だてマスク」かどうかの区別は容易ではない。しかしその実、渋谷センター街でマスクを着用している人の内、約3割が「だてマスク」だったという調査もある。(Wikipediaより引用)

#新型コロナウイルス  流行前に #伊達マスク  をするのは、

明らかに私を含めた話し相手に対して「拒否感」を抱いているのだと思っている。

大凡、

どうしても逃げられない状況時に視線を合わせない様に目元を隠しながら事をこなしており、内心早く終わらせて欲しいというサインとも読める。

それ以外に、

食事中のスマホ操作という「失礼な所作」が代表的な例であり、話し手を無視したという悲しさによる人間関係の亀裂要因となる。

幼少時から両親に

会話中は視線を合わせろという躾を受けており、遠視であろうと焦点が合わなくなると叩かれるのは当然でかつ、実際に前職の酒席で首を横に向けて聞いていたことが決定打となった。

相手の彼に問い詰めたら、

本気で交流する意思はなく、真摯に接している私の思いが「重荷」になっていると言われたことから、完全に「拒否」というジェスチャーだということを受け止めた。

私の場合は #いじめ後遺症  から外に出る事を拒否しても、両親に 

社会的勉強をさせる為に #引きこもり  をする様な事を禁じられている事は勿論、#いじめ から逃れる為に加害者の約束を断れない状況に追い込まれたのを機に、避けて、俯きながら歩く様になった。

どうしようもないので、

濃いカラーレンズの眼鏡を購入することを検討しており、元々のキツいキャラクターを更に怖がらせるような演出を控えて欲しいと言われている次第だ。

こういう思いをしているのは、

現在の若者が嫌いな人と接しなくても良い環境を選択可能になったことが通用されたことを受け、私の様な中高年に苦手な人とも「対等」に接する様にアナログ式に教育されたお陰で、外部での #生きづらさ  を感じている「象徴」といえる。

件の影響で自分に対する好き嫌いの判断が不能になったことを受け、表題のみならず、リアルな場で否定的にトーンダウンを感じたら、

無理した関係を築くことを止め、私からはそんなことを倣わずに対応すると決意した。

#あたらしい自分へ #人間関係 #とは



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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。