見捨てられた団塊ジュニア

1971年生まれである私を含めた #団塊ジュニア  世代は #就職氷河期  初期に該当しており、 #再就職活動  や #リストラ  遭うという程不幸である。

1971年生まれに限っていえば、就職氷河期世代に突入した1994年の大卒のイメージが強いが、 #バブル  入社組の高卒やバブル崩壊前に内定した短大•専門卒も

「出来損ない」と言われるのは当たり前であり、真っ先に #黒字リストラ  の犠牲者となり、「貧乏くじ世代」と括っても良い。

この年代は労働可能人口の中で一番多いことは勿論、長いこと勤務して役職につくことが当たり前である年齢でも、従前の人事システムではやっていられないという思惑で敢行しているらしい。

経営サイドから見ると、40代となると思考が固くなり、融通が利かないといった人間関係のトラブルで業務が滞るのは勿論、

入社してから #底辺  同様な仕事を黙々としつつ、会社や職場全体を見渡せる余裕がなかったことがネックとなり、表面上では、「不要物」と見なされる。

見合わない仕事をさせられたり、人間関係が嫌なことが理由で安易に退職するといったレベルから、

当事者にどこに行っても同じであるのは当たり前であり、自分本意の性格と言われかねない。

ハローワーク経由の求人で応募した企業に面接をした時に、職務経歴書に記載した前職初期の会社都合による頻繁な異動があったことに対して、

「堪え性がない」と誤解されてしまい、職を転々とする人達と混同された理由で不採用になったことを悔しく思っている。

同様に、宝塚市と京都府と京都市では就職氷河期世代採用試験を実施しており、

既に終了した宝塚市の採用者と京都の募集年齢が同じ初期の世代がなかったことから、どこに行っても「お払い箱」扱いだ。

雇い止め直後に家庭の事情で地元の自治体の経験者採用試験を受験をして、私を含めた受検者が殆ど一次選考落ちしているのが現実であり、

国民に夢を与えるネーミングで施行した安倍政権が滅茶苦茶にさせた前例があることから、今回のそれも公務員の世界でも民間でいう中途採用が不能にさせる原理と一致している。

私達就職氷河期初期世代は、

リストラのターゲットされている年代であり、安易な退職の仕方をして職がなくなってしまったのは自業自得と言われても仕方がないが、仕事を含めた人生設計を真面目にされているタイプの人にも打撃を受けているのが世の常だ。

それを一括りとして、

この年代が事実上「定年」と見なされしまい、仕事や家庭しか目を向けていない人にとっては生きづらく、生活レベルを下げた生きがいがなければ精神衛生上「安泰」といえない。

#とは #生きづらさ #労働問題 #経験格差


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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。