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「相談」よりも大切なこと

1.「自分はどうしたいのか」心の声に耳を傾ける

自殺報道があった際、必ずセットで「いのちの電話」が紹介される。
意図は理解しているつもりだし、相談して救われた人もいるだろうから、
否定するつもりではない。

これは、私自身の感覚で、
日頃から色々話せる関係になった人には「相談」してみようと思うけれど、
全くの第三者に対していきなり「相談」するというのは、相当にハードルが高い。

相談して、反論されたら傷つく。それは「分かってほしい」から。
相談して、賛同されたら嬉しい。でも、それだけで決めていいの?


自分の人生の責任を負うのは自分。
最後に決めるのは、ほかの誰でもない。自分自身。

だから、相談に行く前に(若しくは並行して)、
「自分はどうしたいのか」本心にきちんと向き合ったほうがいいと思う。


ちゃんと、心の声に耳を傾け、自分の本心を知ること。
世間体やべき論でなく。みんなも大変だし…とかでもなく。

手帳やノートに書き出してみてもいいし、
Twitter(X)やnoteなどに書き連ねてもいいと思う。こんな感じで。

「私は、本当はこう思っている」「本当はこんな風に生きたい」
世間体やべき論でなく、ありのままの自分の感情に一度は向き合うこと。

そうすれば、仮に相談の場面で説教だの反論だのされたとしても
「それでも、私はそうしたい」と思えるかどうかが自分で分かる。
(もちろんショックではあるけれど、痛みの程度が違うと思っている)

そんなこんなで、
誰かに「相談」すると言うことは、非常にパワーが要ること。

まずは、そこから一旦逃げて、離れて、ゆっくり出来ると良いのだが。
精神的なパワーを取り戻すためには、しっかり眠って、身体の疲れも取ってあげたい。

立ち直るまでには、時間が掛かるのは仕方がないこと。焦らない。
今まで踏ん張ってきた自分を労いながら、ゆっくり這い上がって行けばいい。

・・・とはいえ、
心理的虐待を受け続けてきた毒親育ちにとっては、
この「自分自身のありのままの感情に向き合う」ということが本当に難しい。


親の感情に振り回され、親の意向を忖度して生きてきてしまったから。

自分が疲労困憊であっても、周りの人間の機嫌を取ることを優先してしまう。相手がパワハラ・モラハラ野郎であっても。自分のことを死んでもかまわない、と思っているような危険な相手でも。

自分に関与させていいのは、自分を大切にしてくれる人だけ。

2.「自分の想いを外に出す」それが力になる

先週1月23日にネットで出会った新聞記事。とてもよかった。

私自身は、こうした集団カウンセリングの経験は無い。ものすごく高いハードルを感じてしまう。

でも記事を読む限りでは、世間では否定されがちな想いや苦しみを、とても温かく受け留めてくれる場なんだろうなと思った。記事を読んでいても心救われた。

「親子だから、そのうち分かり合える」「親子の絆がある」-

 親子間、中でも母娘間で起きる関係のトラブルはそんな言葉で長年否定され、排除されてきたとNPO法人ウィメンズ・カウンセリングルーム熊本の竹下元子理事長は語る。特に母親は、同性であるがゆえに娘に自分を投影し、理想や価値観を押しつけがちで、問題が生じやすいという。

【「重たい」「嫌いでたまらない」親の"呪縛"に苦しむ大人たち 回復の道筋は】
1/23(火) 9:20配信 西日本新聞

とても心救われた一文。

そして、今回のテーマに繋がる言葉。

語り合いでは相手の話を否定したり説教したりはしない。ひたすら静かに相手の話を聞き、共感する。竹下さんは言う。「自分が被害者であるという自覚を持ち、親が嫌いだという気持ちを外に吐き出す。それが彼女たちの力になる」 

【「重たい」「嫌いでたまらない」親の"呪縛"に苦しむ大人たち 回復の道筋は】
1/23(火) 9:20配信 西日本新聞

『気持ちを外に吐き出す。それが彼女たちの力になる』
という部分、強く共感する。

「相談」だと、「わかってほしい」という依存心が強いけれど、
「私はこう思っている」と、自分の気持ちを言える経験は貴重だし重要。

心理的虐待を受けてきた毒親育ちは、
「私はこう思っている」と、自分の気持ちを家庭内で言うことが憚られ続けたから。

私自身は、38歳で酷いパワハラを受け、40歳目前で自分の状況に気付き、「いまここ」の想いを伝える訓練を重ねてきた。
今年8月で48歳。パワハラを受けてから10年、自分自身で訓練を始めてから8年経った。

最初は、毒親問題やアダルトチルドレンの本を読み漁った。幼少期の振り返りワークもした。「私は辛かったんだ」「私が育った環境はやはりおかしいんだ」・・・そう思えたことでまず一歩、前を向くことが出来た。

並行して、独学で作曲と即興を学び始めた。
そして、ピアノの即興で、言葉にならない想いを曲に託し、雰囲気で伝えることから始めた。

自分の想いをメロディで表現することに慣れたころ、少しずつ、言葉で話せるようになっていった。

そしていまは、あまり憚らずに想いを書くことができるようになった。
リアルな場で、面と向かって言うことにも、少しずつ慣れてきた。

1回目は何も言えず済ませてしまう。でもモヤモヤ…自己嫌悪。
そして次の機会に向け、脳内シミュレーションを重ねて実践に臨んでいる。まだまだ訓練。

※こちらも参考に※

自分のこうした経験は、私自身、娘との関係には大いに役立っている。
娘は知的障害児だけれど、心の面では私よりもずっと、健全に育っていると思う。本当に良かった。。。

次回のnoteでは、私自身が毒親にならないために心がけていることを書こうかなと思う。(私が毒親か否かをジャッジできるのは娘だけ、なんだけどね。心得てるのは大事でしょ?w)

最後に、今朝の辻仁成さんのツイートを紹介して終わります。Twitterを始めたころからフォローしてて。あたたかさが好きです。心救われます。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!