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どっちでもいい、と思ってみる

noteを始めてみて
言葉を発することが少し、こわくなった。
というか、立ち止まるようになった。

誰も見てないと思って始めよう。
それぐらいのふわーっとした感じで動かないと、いつまでも変わらないしなあと
noteにやってきたわけです。
見てない見てない、ほれ、やってみたらいいじゃんって。

最初の3行。これさえも書いたり削ったり↓


でも、こんな辺境なのに反応を頂いたり、色んな方々の人生の一端を垣間見たりすることで
やはり向こう側には人が居るのだと、
嬉しい反面 途方もないような気持ちになっている。

心の輝きを書き留めたいと思いつつ
実際は、もやもやオンパレードだし。
現実世界を回したいと言いながら
逃避に来てる気がするし。

私の人生は、そこそこ平和。
素直に感じて書いたことが
知らないうちに誰かの心をぎゅっと締めつけていないだろうか。
生ぬるい、薄っぺらい、と思われないだろうか。

言葉の意味を調べることが増えた。
何気ないイメージだけで、使っていいものか。

ターゲットを絞ったほうがいいのか。
コンセプトがあったほうがいいのか。
◯◯したほうがいいのか。

だったら一人でメモに書きなぐって
自分だけで完結してればいいのに。

そもそも、noteを書く意味なんてあるのか。
私が居る意味、あるのだろうか。
ぐるぐる。


やってもいいし、やらなくてもいいよ。
どっちでもいいんだよ。

友人と話すとこう言われることがある。
つい色々と考えてしまう私に、

考えちゃうのは癖だからしょうがない。
そのこと自体に良いとか悪いとかはない。
ただ、無駄にジャッジして責める時間はそんなに必要ないよね。


そう、勝手に「こうでなくては」を作り上げて決めているのは私。したほうがいいのに出来ない私はだめなんだ、と責めがち。

責めることも悪いわけではないけど
そこにとどまり続けるのは、やはり疲れる。

* * *


まあ、なんだかんだで
ここにやって来てしまうから
魅力があるんだと思うので。

誰かの言葉を通して
私の心が動いているのは確か。

何を書くかも、分からない。
統一感もまったくない。

だけど、誠実でありたい。
そしてどんなに独りよがりだとしても

誰かのためより、まずは自分を助ける言葉を。
まずは、自分。

noteを始めて メモ


良いとか悪いとか
意味があるとか無いとか、
あんまり考えずに。
やめたくなったらやめていいんだし。

どっちでもいい。


そう思って
もう少しだけ、続けてみます。





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