評定河原は、私を一人にはしてくれなかった
仙台の広瀬川には切っても切っても切っても切れない思い入れがある。
仙台には街並みを邪魔しないようにゆったりと大きな弧を描いて広瀬川が流れている。広瀬川の向こう、青葉山には伊達家の居城・仙台城があったというが、今ではそこは城の跡と、大学のキャンパスが鎮座している。
この広瀬川沿い、評定河原にはその名のごとく、評定所があったとのこと。なるほど、見上げれば裁判所を眺める構図。
私が広瀬川の中でも一番好きなのが、この評定河原だ。
一人になりたい時でも、一人になりたくない時でも、私は評定河原を好んで選ぶことが多い人間だった。
誰もいないようで、確かに漂う人間が営む生活の匂い。
子どもからお年寄りまでが行き交うゆったりとした流れ。
街と団地のちょうど間にそこは存在する。
きっとそれは、江戸時代も今も変わらない。
評定河原には好きな人との初めてのデートでも来たし、飲み会の後男友達とひたすら彷徨い続けたこともあったし、恋人とは花火大会の時、決まって毎年ここから空を見上げた。
だけど、それら以上にどうしても忘れたくても忘れられないエピソードがある。
社会人になりたての頃、つい遊び過ぎて度が過ぎてしまったことがあった。
なんであんなことをしてしまったんだろう、もう二度とその前には戻れないのかもしれない。
その日の私はどす黒い後悔の渦中にいた。
泣くとかそういうんではなくて、ずしーんとおっきな後悔の塊が胸のど真ん中を占領して動いてくれない感じ。
もう心が重いと体も重い。
ないことにはならない、そんな後悔。
私は一人暮らしのマンションを昼過ぎに出ると、ただひたすら目的地に向かって歩き続けた。
広瀬川だ。
なんとなく、そこに行けば自分の心がキレイに洗われる気がした。
だって川だし。
季節外れ、芋煮もBBQもシーズンでない広瀬川には誰もいなかった。
ラッキーと思って、川沿いに座る。
川はキレイだ。自分とは全然違ってサラサラと太陽の光を小さな波に反射させながら静かに流れる。
流るる、と表現したいほど目の前を穏やかに通過していく。
キレイだなあ、と思うと同時に、自分とのギャップに凹んだ。
なんであんなことをしてしまったんだろう。
もう誰にも会いたくないや。
そんな気分だった。
川の流れをひたすら見つめ続け、もうこれ以上何も変わらないな、と懲りた私はやっと立ち上がった。
そして球場脇の道路をとぼとぼと歩き、駅前の賑わう中心地へと向かおうと思ったのである。
たぶん、私はずっと下を向いて歩いてたんだと思う。
突然、「〜〜さん!〜〜さん!」と男の声がした。
どこからか私を呼んでいる。思いがけない呼び掛けに、驚きながら当たりをキョロキョロと見回した。
「ここ!」
陽気な声がまたした。
すると、目の前を一台の車が通過していく。その後部座席。窓が開けられ、中から手を振る一人の姿。
何も知らない能天気そうな同期の男が私に向かって手を振っていた。
拍子抜けした。
私はこんなに深い後悔の奥底に沈んでいたのに、ヤツは頭に花でも咲かせてんじゃないかってほど燦々とした笑顔で手を振り続けている。
呆気に取られてる間に車は通過した。
一瞬にして、嫌なことがトイレの水の渦に流されていった気がした。
私は一体、何をそんなに落ち込んでいたのだろう?
後日、なんであんな所に居たのか彼に聞いてみた。
どうやら評定河原の球場に用があったらしい。「よく行くんだよ」とのこと。
評定河原によく行くのは、私だけではなかったのか。
不思議な気持ちだった。
彼にとっても評定河原は、仙台にある好きな居場所の一つだったのである。
評定河原は、私を一人にはしてくれなかった。
仙台、今はもう住んでないけど、いつか広瀬川が見えるところに住んでみたい。
それは叶うかどうか分からない、遠い遠い夢。