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【下書き】超いも理論2023年🍠 理論批判、意識、といもおもいも腸えて



下書きから公開して自分を追い込みます😅

最近、貧乏多忙な芋学生…
来年には卒業です
年内にどうにかまとまるように追い込み中です😱😭

今回は少しオカルト風に

大体、人は真剣に考えると、オカルトに走る
平田篤胤しかり、本居宣長しかり

しかし、私は本居宣長派だ🍠
平田篤胤的とはノリが少し違う

自己満露出狂中二病芋学生とはいえ
それくらいの分別はありましょう

🍠のようにあたたかい目で見て下さるとありがたいです

occult
 occultus「隠された」(ラテン語)
occulo
occuloの元はcelo「隠す」

「秘蜜🍠🍯」に迫れるよう深掘りたいも!!
わっしょい!




私は
愛露仁素徒☕芋蜜教徒

確信犯的にやっている

だから
どうぞご安心下さい

レッツパーリィ!!🍠


はじめに まさり神様と交信する🍠


いきなりオカルト感🤣🤣🤣



まさり神はかく語りき


昨年はい模型(イ・モデル)を作りました
海草性、最深の根、リンガの傾き、根源的生命力がキーワードでした


これまでの歴史をざっくりと



今年は!?
どうしましょう
う~ん… こ
今年は
🍠意識🍠について触れることが多かったでしょう



芋源五ゲームの第6番目
「意識を根とする」

また、芋蜜教徒だし…

超いも理論でも意識について扱わなければならないとおいもます
とは言っていました

また、過去のいもみなてぃ会で
「唯識」について扱ったこともありました

ヨーガ、芋蜜教徒、唯識
うわ~、やばそうな人だ!!😱

となってしまいそうですが
基本的にふざけているだけなので
🍠のようにあたたかい目で見て頂ければとおいもます

現代のパラダイムでは
意識については殆ど何もわかっていません

計算可能だの、強いAIだの
人工知能などの分野で特に注目が集まっているのやらなんやら
私は、そういうのがわからない

🍠意識は質の畑🍠

そんなセリフを吐いてこっから深掘っていきましょう


ちなみに
意識について、先人の言葉を聞くならば
私の知る限りでは「唯識」
最もその真実に迫っているように思えます

私自身、体系性を好みませんが
その高度な体系において唯識が最高峰であるのはやはりおいもます
(※アートマンの否定、輪廻については無記、お釈迦様ファンの私もお釈迦様の立場に従います。唯識はその点も見事。)

かといって
現代の地平でそれを捉えると
腐った🍠になりましょう


唯識について「翻訳」「説明」は難しいとおいもます
語るだけ無駄だとおいもます

正直、仏教研究者、仏教学者が扱える分野ではありません
これは蜜教徒の得意分野です

唯識を心理学とかサイエンスでとらえるとか
私には理解できません

それに
現代では腐った言葉
腐ったアート
腐った言語

ばかりが見られます

これは嘆きでも何でもありません
事実
これを受け容れなさい

相当に鈍っているのです

私は趣味サークルをするつもりはない

私はただイモスピレーションのままにわっしょいするのです🍠

う~んどうしよう

よし!!今回は
「拮抗と均衡」
その生命力の迸りを目指して
わっしょいしていきたいも!!


chaosとcosmos

ケイオス!!

今回はこれだ!!




1.意識とは?🍠

まず意識とは何であろうか?
今年はやたらと取り上げた

意識/前意識/無意識
五、六、七、八
超意識
集合的無意識
深層意識

色々な分類がありましょう

まあ、日常的な意味から出発しましょう


Wikipediaを使ってみましょう(私はWikipediaを信用しておりませんが)

意識とは?

意識(いしき、Consciousness)は、一般に、
「起きている状態にあること(覚醒)」または
「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」
を指す[1]

じゃあ、無意識とは?

無意識とは何かということは、その前提に、意識とは何かということの了解がなければならない。
「意識」とは、人間一般において、
「わたしが意識していると、意識しているとき、自明的に存在了解される何か」であるとされる(デカルトの「我思う、ゆえに我あり」。
哲学の分野では長い間、意識と自我は同一視された)。

無意識 - Wikipedia

無意識(むいしき、: das Unbewusste、: unconscious[注釈 1])とは、意識を失っている状態(ふつうの心理学精神医学での用法)、または精神分析学を創始したジークムント・フロイトの発見に始まる心的過程のうち自我では把握できない(意識できない)領域を言う。

無意識 - Wikipedia

う~ん
引くんじゃなかった

まあ、良いでしょう

我思う故に我あり



しかし、それも「意識」でしょう
???

全て「意識」ということになりますでしょう
???

言い方がまずければ
「🍠識」でしょう


????

危うい始まり方…

全て「意識」なり





2.理論批判🍠 問と間



ここから理論を展開していくのかとおいもきや…

「理論とは何か」について深掘ります

直線的に、綺麗にいかないのが超いも理論

ジュラル星人並みの周りくどさで
意識について迫っていきたいも


「リアル🍠」なるものがある
カントのモノジタイ的なものがあったとする
りある

「リアル🍠」を媒介するものとして「理論」がある

しかしどうか

「リアル🍠」と「理論」には必ず「間」がある

「問い」が入り込む

理論も所詮は理論でしかない
豊饒なる芋蜜川の流れによってそれは土へ還る

「問」、「間」
なんだか字が似ていませんか?
なぜだろう?
人間はこういうことを考えてしまう

私だけでしょうか?
いいえ誰でも

やさしい仲間がぽぽぽぽーん
おいしー🍠

人間とは何か?




3.とはいえ語りたい、考えたいのが人間である🍠



それではよろしくない
それでは、ただその流れに流されて
意識を失ってしまいそうだ

母なる大地に眠って死んでしまったあの子はどこへ


ところでヴィトゲンシュタインという天才がいた
神秘の🍠畑については沈黙しなければならない

その通りだ

そのあたりについては
過去に深実在論他で扱った話題であろう


私は自己満露出狂だ
この🍠の美味しさを語りたい

であればどう語るのか???

そうだ
私はこういう語り方をしてみる他ない

この記事の結末がどうなるかわからない
理論を示して終わるのであろうか
それとも…



4.🍠の問い 「ほくほく」と「ねっとり」を同時に語れる言の葉は存在するのか

🍠を頬張る
私は紅まさりが特に好きだ

ねっとりとほくほくのあの感じ
あの感じなのだ

あれを語れるのであろうか

※「あれ」は流行語大賞なのかしら?

あれを語れるのであろうか?

言葉では追いつけないあの感じ

あれ?あれとは何か?
紅まさりとは何か?

葉は昼は光合成する、夜は呼吸する

同時にすることは出来ない
🧐
少なくとも同時に昼と夜は来ない

アメイジングデジタルサーカスではどうだったかしら



言葉にした瞬間にそれは生命力を失う
その豊穣さは消える


言葉とは何か?
また、それを問うてしまう

言葉は人間の可能性をひらいた

同時にそれは人間にとっての足かせともなった

ほくほくとねっとり
その二人を私は愛している🍠

この思い、おいもで胸がいっぱいになってしまう
爆発する、表出する💥

それは言葉ではない
explosionする魂の叫びによって愛を伝えるのだ!!
それはあてもなく、はてもなく


???
(※冒頭でアートマンを否定していた。魂は比喩であります。)









5.🍠の問い 「私」は「リアル🍠」に迫れるのであろうか


我思う故に我あり
(謎にデカルトは誤解されている気もするが、今回はそれに乗る。デカルトさんはロクな死に方をしなかった。彼は非常に聡明であった。私は彼にリスペクトを贈る。R.I.P.)

自我意識
この「私」
経験する主体としての「私」
認識する「私」


「経験・認識主体としての私」(メンドーなのでとりあえずとする)
が「リアル🍠」に迫ることが出来るのであろうか

Sは🍠を認識できない
それは純粋な🍠ではない

Sを通る、その色眼鏡を通過する
Sにおける「経験的🍠」、「心ー内ー🍠」と言える

私は良く焼き芋🍠を撮影する

Xに投稿すると喜んでくださる方がいる

やはり🍠は皆に生命力を与えるのである

それは良いとして

これは焼き芋である
本当はもう少し白い色をしていた
照明の関係で綺麗な黄色に見える

またこの月
殆ど欠けていないように見えるが
実は半分以上欠けているのである
なぜかこのように映った

これをカメラの性能を上げたり
なるべくありのままに移せるようにテクノロジーを使い倒せばどうか

しかし、どうやってもありのまま映し出すことは出来ない

いやそもそも…

もちろん、これは比喩だが

認識・経験畑をいくら耕したところで
その「リアル🍠」へと迫ることは出来ない

禅のお坊さんであれば
美しき月をありのままに観れるのかもしれない

いかなる小細工も要らぬ

俗な言い方をすれば
「心を無にせよ!」
そうすれば観えると

しかし
そんな言葉で丸刈りにして
山に籠り、厳しい修行に出る前に立ち止まって見る必要がある
寒い中雑巾を絞り、掃除し、芋粥ではないノーマルなお粥を食べる
その前に考える必要がある
(私もまあまあ修行したタイプの人間だとはおいもますが…)


そうだ
私のような凡夫にもわかることがある

その潜むその🍠の氣配だ

それはいったい何であろうか

ふと氣づくと
そこに潜む🍠
その🍠の氣配だ

それは、現れてこないという現れ方をする
それは実はないのかもしれないが在る

そのにおいをなんとなく感じる

そして、それらを観る

この何かはいったい何なのか?


私とは何か?



6.人称論🍠 mine mine 人称の破れ


あれこれそれどれあれれれれ

ここでようやく理論に芋づる式に繋がっていきそうな話である(嘘)

前章では私を前提にしていた
私をコアに深掘っていた
それをベースに考えていく

今回は空中16回転16ひねりを決めてみたい

「私」とは何か?

その問いはどこまでも続く🍠

私の記憶によれば
小さい頃の私?はそれを考えていた記憶がある?
いつも考え居た記憶があります
どうして私はこういうことを考えてしまうのかとか
「私は一体だれなのか?」

その問いの無限連鎖を止めるのは
「宗教」、「社会」、「世間」でありましょうか
便利だ

しかし、そういうもので縛れなかった昔の私

「私は誰か?」というときに私は
名前がいもげんであるとか、社会的な役割とか、芋蜜教を信仰してますとか
そういう私ではなく
もっと「普通の意味での私」

しかし、世間では私の言っているその「普通の意味での私」が
割と伝わらないことがあると私は小さい頃に悩んだ記憶があった


私の脳には「バグ」が「芋虫」が埋め込まれていたのだとおいもます


私は誰なのか?
その問い

その深堀りの先へ
🍠の世が待っている🤣🤣🤣

私が生まれ
私が私を限定し
私が私と戯れて
私と私が🍠でキャッチボールして…

私を巡る旅

旅に疲れ、ベッドに眠りにつく私

人称ここにあらず

非人称


occult




7.死生観 生死に向き合う姿勢?🍠

観?
論?
ぽん?

イモトゥストラの独白 フリイモリヒ・ニーチェ🍠m(__)m

生きると死ぬこと
何が違うのか
人間は知恵を得た
神と切り離された
なんと寂しい
寂しさで心が埋まっている
楽園ははるか彼方へ
私の目には見えないが、うっすらと見えそうである
宿命に逆らうことはできない
我々人間には寿命がある
生まれた瞬間に死ぬことが神によって定められている
生まれたからには死ぬ!
死ぬために生まれたのか!?
命を与えられ、奪われていく!?
何という悲劇だ!

そんな🍌

なんと深刻なのだ( ´艸`)

我々は子供なのだ
子供よりも幼い
赤子より幼い
ここでいう幼ないとは未熟だということだ

生と死

それが浮かび上がるのは
この言の葉においてだ

葉🌱から蔓を伝えばそこに根🍠がある
生と死は一心同体であるではないか

生と死が生きている

この生の豊穣さに我々は笑うしかない
笑いが込み上げてしまう😆🤭

人生は喜劇である

今日も鏡を観てどう思うのか
やはり私は生きている

生きる?

生存する、生活する
自己保存をする

それは大切だろう

前章では、人によっては脱社会的と捉えてしまうかもしれない

だが、それは的外れだ

大地に根を張って生きる
それを大切にする
それが「生命力の象徴=🍠」の弟子としての立場だ


生存を否定し、来世で幸せになるとか
そういうことではない

私は今日も生きているだろうか?
今、生きていたか


思想、イデオロギーに興味はない

我々はイモオロギーを目指す

ゆーいもぴあ…

う~んうまいことを言えなかった





8.演劇論🍠

論?

気づいたら
私はサーカスの一員🎪🤡だった

そうだろう
それで良いのだ

ピエロ🤡を演じる
これは素晴らしいことだ

誰もが演じる
それで良い

現代では、
個性だとか、ありのままの尊重だとかそういうスローガンを聞くことがある
いつの時代も形は違えどそんなものか

よくわからない

誰もが演じている

それで良いのだ

我々は圧倒的に孤独である
ただひとりなのだ
寂しい?
まあそれは構造的に仕方ない
それは悪いことではない

それは悲劇ではない

ただそこに
ごくたまに、ごくごくいもに
時々演技力が素晴らしい🍠がいる

彼についてはよくわからない
何も語らない
因みに、演技力が素晴らしいと言っても程度の差だ

その🍠があなたの横にいる
それでも気づかないかもしれない
殆ど彼らは気づかれない

でもふと目が合えば

その🍠とあなたは圧倒的にバカらしい喜劇を展開するのだ

それは実に笑える圧倒的な喜劇

そこでは、演じるに身を任せる

体裁を繕ったりすることを忘れてしまう

乳房をさらけだし踊り狂う

周りの者たちは大笑いだ

岩に隠れていた神様も気になってしまうほどの圧倒的、爆発的な笑い

神々の遊びだ🍠

皆神だ
理想の鑑賞者だ
観照者だ

その光は当たり16面を照らし、遍く広がる

🍠の皮は剥がれ落ち
その内奥へと迫っていくのだ

その蜜に身をひたそう

ちなみに私は包茎だ

この○をみよ

🙇‍♂️






9.包茎論法華論男女論🍠


包茎はいけないのか

包茎だと女性にモテない

それは大変に困ったことであろう

しかしちょっと立ち止まる
その因果はおかしい

包茎である即ち非モテということにはならない
包茎即菩提なり

女性にモテない→困ったことだ

これもおかしい

我々は皮を被っている

いもげんは「男性」という皮を被っている

しかし、どうか
その、男性?とやらは何奴であろうか

私は見たことがない

それは社会的な要請であろう

私たちは本当は性別も年齢も関係なく人を愛することが出来る
これはリベラルだとかそういうノリとは違う
むしろ
法経は保守に多いとおいもます
保守の人は法華経と親和性が高い
(※法華経は見事であり、リスペクトがありますが、精神年齢が低いため、ふざけが先行しまいました。ごめんなさい。)

社会を相対化する視座があっても良いということだ
というかそれは不可避だ

彼から私は逃げていたつもりであったが
私は彼にどんどん近づいていた


わたしは、かくの如くお聞かせいただきました

「包茎即菩提也」

包茎は被ることも剥くことも可能だ
取り外し可能なのだ

何だって良い
男に留まっていられない

我々は
全人類にモテるレベルの包茎でなければならない

包茎と言わせる隙も与えないくらいに

包茎





10.アンチ・オイモプス評 「私」をほめてほしいも  地球終末論🍠


アンチ・オイモプス
現地球人必読
全🍠が泣いた

地球終末論?( ´艸`)
🍠の畑をそう簡単に終末を迎えさせるわけにはいかないも

終末論
地球人はそういうのが好きだ
終わりがあれば良いものだが
終わりも始まりもない

🍠のどこが始めでどこが終わりなのだろうか

まあ、それは良いとして
今回の話は
アンチ・オイモプスの話だ
是非上の記事をご一読を

もっと私をほめてほしいも
私は沢山学んできた
色々なことが出来るようになった
大いに役に立っている
皆私を崇める

しかし! あなたは私をほめてくれない!!

なぜ褒めてくれないのか
なぜだ!?


「褒める」とは「貶す」ことと同じだ

私は小さい頃から
裏を見る子どもであった
相当にひねくれていた

褒められるということは
その条件が満たせていなかったら
私は殺されていたかもしれない
相当に深刻だ

そう考えるタイプだった

称賛も非難も
同じようなものではないか

条件を満たせば褒美がもらえる
これが現代だ

それが生の全体を覆っているというのが現状であろうか
生🍠の畑まで市場化されているのか?

それは貴方でなくとも良かった
別に誰でも良かったのだ

誰かが作った基準で評価される
それを追いかける大人たちは狂っていると思った
しかし、私も次第にそれに染まった

称賛されたい、認められたい、褒められたい

それに有限な生の時間を費やす者も多い

これが人間の宿命なのだろうか

褒められたい
これは当然の感情であり
悪いことではない

だが、その前に考えるべきことがある
「愛している」ということの意味
「愛されている」というこの「感じ」は何であろうか?

その「愛している」とは
もちろん腰振りマシーンの二体が
発するような空っぽな言葉ではない
(偏見)
まあ、そんなの観たことないが

その「愛している」という
宇宙大の、芋苗大のジョーク、冗談
上空から、上段から降り注ぐジョーク

賢く俊敏なあなたはそれを避けることが出来る
🍠を置き去りにした!
俺じゃなきゃ見逃しちゃうね

ああ、地球は何と暗いのだろうか

でも、これで良いのだ

結果的に、地球が崩壊しても良いのだ
誰も責めないのだ
誰も非難しないのだ
誰も恨まないのだ

私も皆を愛しているのだ
私はまだまだなのだ
でもそれで良いのだ

我々は芋苗人なのだ
私も🍠なのだ


これもジョークなのだ
おとぎ話なのだ

これで良いのだ

因みに私は褒められたらうれしいので
沢山褒めてほしいも🍠





11.日本の神とは何か? 本居宣長、松尾芭蕉🍠


オカルト的な話題が来た!!
よしもっとやれ!!
ええじゃないか!!

日本の神とは何か


神とは何か
鏡という人がいた
それは音韻論上違う

神道においては一神教的な善悪の基準がはっきりしない
いわゆるファジーというやつであろうか

古神道には教祖も、教義も、教典も、偶像もねえ 何もねえ!
なんだか普通じゃないのが神だ!


古事記において
独神がバンバンと最初に名前が出てくるが
なんだか
相対的な色彩が感じられる神が出てくる

「神は身を隠し給ひき」
隠れる
隠れるという在り方をする

隠れる身
隠身
音韻論上無問題

日本の神様は海草を成している

神が沢山出てくる 色々な名前の神さんが登場する
それが多神教だと言われればそこまでだ
しかし、どうか

それはインドのようなカオティックすぎる雰囲気ではない

海草性があるようにおもえる
海があるし
ノリが良いからだ

日本語は面白い

言霊信仰なんてものがある
その中々にハードなものの一つに
日本語には一音一音に神が宿っていると

私はそこについては言及するつもりはないが
いや、後で日本語については言及しよう

その前に
日本の神について

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

古池や 蛙飛び込む 水の音

松尾芭蕉

私はこれがそれを表現しているように思える
???

この研ぎ澄まされた感性と
explosion する生命力🍠
この美しさに耳を澄ませば
日本の神の味が、においが感じられるのではないか

この境地に達するには感謝の正拳突きをしなければ届かないか( ´艸`)

これが鎮護国家思想とか
日本すごい教とか
国粋主義に発展してしまうと困ったものだ

その歪む前の原初の衝動
その生芋🍠について
ただexplosionしたいだけなのだが( ´艸`)






12.宗教論🍠 誰が救われるのか


巷間では
「宗教で争うのだ!宗教なんてなければ良い!」という言説がある
その裏にはいつもお金教の幹部たちが控えている

宗教とは何か?
それについて過去におーるおいもにっぽんで語ろうとしたが
あまりに過激すぎてボツにした🍠

私の立場としては
「皆が宗教を作れるレベルになってしまえば良い」
と思っている

宗教といったら語源からしても
ユダヤ教、まあ一神教ということになる

特定の一神教について言及するつもりはないし
偏見と独断で書く

因みに過去に記事に書いたこともある

かなり簡単に書いたのでその記事の方が「わかりやすい」というやつだ

しかし、最近YouTubeのアナリティクスを観たが
私のチャンネルを観て下さっている方々は年上の方々が多いし
50代以上の方々も結構多い

10代は殆ど無に等しい

ちょっと真面目に書いても良い気もする

宗教についてふざけると殺されてしまいそうだ
そうなったらそうなったであるが…
それは、神が予定されていたことなのだから

しかし、私は選ばれし人間だ
私は救済が約束されているm(__)m

とは言え
救われるか正直不安だ(◎_◎;)
ではいもげんが救済されるために
真剣に考えていきたい

🍠どこで救われるのか?

時間は一直線に過去から現在を貫き未来へ流れていく
私は未来で救われるのだ

時間が一直線に過去から未来へ流れていく
これはおかしい
理論物理学でもこれはトンデモ論だ

今を犠牲にして未来で善きことがある
未来のために

我々は罪深き存在だ
人間は必ず間違える
人間はゴミのような存在だ

現代文明の頭からつま先までこれに浸されている
それに無自覚に

日本人はこの辺理解できない
民主主義国家としては失格だ
それでは上手く回すことが難しい

しかし
理解できない
一神教の考え方が深層心理まで浸透していない

🍠最後の審判なんてあるらしい
死んでもこの「いもげん」というやつは残るらしい

日本も例えば鎌倉仏教徒かもそういう感じだろうか

エゴイスティックだ
それは罪深い
傲慢の罪だ
死んでもなおこのエゴとやらを手放さないのか
いもげんという名前を死んでも手放さないのか
そんないもげんは地獄いきだ
業火の紫炎🔥に焼かれて焼き芋にされてしまう

天国にも地獄にも
このエゴを持っていくのか

このままだと、いもげんは救われないではないか

🍠そのエゴ、私とは何か?

その問いの忘却
我々はそこから出発していかなければならない

皆、自分が誰で
誰を救ってほしいのかわからない
その問いを拒む

私は救われたい
じゃあ一生懸命考えなければならない

どうしたら救われるのか?

いや、その前に

🍠誰が救われるのか
それを考え、根を張らなければ
足元をすくわれる

うまいこと言えなかった

私とはだれか?
神に創られし存在

神とはだれか?
???

私は罪深い
地獄行は決定か!?


まあ、この論は実にくだらないとは
おいもますがね




13.靖国参拝論🍠 理屈じゃないもん


私?はかなりの本質主義者だし
お釈迦様ファン、もろに影響を被っている
仏教的な、本質主義的な傾向が強いと思われる

そのくせ
自分を日本人だと思っている

(それは日本国の主権者という言葉の外にも意味を持つ)

矛盾?している

そんな私が靖国について語りたい( ´艸`)m(__)m


今年はこんな発言が問題になっていた

以下のポストを引用した

この意図は分からないし
興味がない

だが、イラっとする

それは
そもそも日本の憲法はないに等しい
憲法の理解、九条以外の議論
日本のお粗末な憲法議論
どうにかならんかねえという
どこかのおじいちゃんが言っているような
そういうことから来るのではない


靖国神社に政治家が公的に参拝すべきではない
これは納得

私が大統領になっても公的に参拝するべきではないと思う
コミュニケーション
国際政治というゲームの中で悪手である可能性は高い

それは重々承知である
政治家の軽率で無知な行動に悩まされることの多い国

だが
殊に靖国のことになると
海外からバッシングを受けたり、国内で非難があると
どうもイラっとする🔥

まあ、激昂するとかそういうレベルではないのだが
どうも、イラっとするのだ🔥

理屈では分かってもいても…

日本に生まれて来れて良かったと私は思う
形はどうあれ、先人たちのおかげさまで今がある
感謝を申し上げる

理屈ではない
理屈を腸えて来る感情
どうも抑えられませんな

この感情はどこから来るのか
それは私がまだまだ未熟なだけなのでありましょうか

解脱への道は遠し

私は煩悩の塊だ



14.どこから来るのか、このいもは🍠


物理的にあるもの、目に見えるものこそ真実だ
これは現代日本か
わかりやすいものこそ真実だ

そういう世の中には困ったものだ

シニフィエに呪われた我々

街を見渡してみよう
わかりやすものであふれている
皆、同じような感じ

花が咲き誇るあの野原、畑🍠
そこに見る影もなし

暴力的だ

暴力が溢れている
怒りが溢れているのだ

なんててへぺろ

深掘っていく

そこで🍠に出会うのだ

そこで嘔吐するものもいる

エクスタシーを感じるものもいる

表せない


そこに長く留まっては居られない

何にも代え難き
この感じ

感じ
におい

表せないことを知りながら表す

それは「どこか」にない
「ここ」にあるのだ

超越ではない
腸悦なのだ


我に返った
怪しいも( ´艸`)
オカルト回にふさわしい














更新中🌀







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