見出し画像

ハッピーアイスクリーム

皆さんこんにちは、もしくはこんばんわ。
夏の日差しもどこ吹く風、日が柔らかく感じる様になりました。雲が高く登って、空が高く感じます。日暮の声、夜に鳴く虫達の声、もうすぐ秋も目の前。
体力向上の為にウォーキングをしている様にしているけど、薄着だと冷んやりとした風が逆に心地いい。
アイスクリームも本当なら美味いのだろうけど、オイラは相変わらずの油の塊にしか食感、味を感じる事ができない。いつになればアイスやらチョコやらお菓子の甘味を感じられることやら…。

自身の昔話で昔と使う言葉は一体何年前の事をさすのか?5年?10年?20年かも?

新卒で早期入社したのは良いが、事業が長続きせず、2年もすれば東へ西へと根無草の時期があった。戻って来ても、仕事がない。挙句は派遣会社でもないのに派遣された。当時の専務から「いいんだよ。お前がたこ焼きでも焼いて会社に金を入れれば。なんでもやっていいんだ。」
…今じゃ考えられないけど、昭和の時代、平成の時代にも、団魂世代の会社ってこんなのが当たり前だった。いっときは国営だった大会社。その子会社に就職してもこのような扱い。天下って親会社から子会社の重役。今じゃ、ブラックどころか、訴えられてもおかしくないような会社だったなぁ。
そんな会社の直属の上司も同じで猿山の大将。ワンマンで支社を支えていると自負している割には、部下の扱いはひどいものだった。まあ、おいらが鬱を発症した原因もこの上司に半分近くは原因があるかと思われる。

そんな会社でも直属の先輩はよくしてもらえた。気が利く、こちらの話も聞いてくれる。上司の肩持ちはやられた事もあったけど、その分きちんとフォローしてくれていた。
その先輩からか、「ハッピーアイスクリーム」を教えてもらったのは。
会話中に同時に同じ言葉が被ったら、すぐさま、「ハッピーアイスクリーム」と言わないと、アイスクリームを奢る。というゲームか遊び縛りみたいなものだった。

アイスクリームを食べる時、ふと懐かしく思い出す。
そういや、そんな遊びあったなぁと。言葉が被る事ってそういや、ここ数十年ないなぁ。
家内とは考えている事、雰囲気はわかっていても、お互いにどんな事を言うかは大体分かる。まあ15年以上も連れ添っていると腹の中は分かるよね。
でも、一番近くの他人。子供がいるから家族。
社会に出て、気の合う人間は沢山いた。けど、「ハッピーアイスクリーム」ができる人間と出会う事はなかった。先輩とも離れて、転職して、いろんな人間と交流して、記憶の片隅に「ハッピーアイスクリーム」は消えていった。

社会に出た時は当たり前の世界だったものが、今では遠い世界に変わって、ブラック企業、パワハラ、アルハラ、セクハラ…、ハラスメントが個人を守ってくれるようになった。
今も確かに風潮やら、老害、おかしな社風は耳にするが、見つかれば集中砲火で延々と晒される。
昔なら、「はい、それまでよ。」で、全てが片付いていた。

時代の流れ、それにも取り残されてしまって、結局は誰も護ってくれなかった。自分で出した舟もすぐに泥とかして沈んでしまった。当たり前の世界の波に乗れなかったら、今の世界の波にも乗れない。それだけ強い「船」を用意しないとすぐに沈む。そんな世界でもハッピーアイスクリームを求める世捨て人がいてもいいじゃないかなぁ。

ー締ー

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?