自分の心地いい場所で暮らす
2人ともいわゆる "都会" から来島し、職場も同じ海士町教育委員会。
だけど、視点や価値観はどちらかというと真逆なところが印象的な二人。
自分はこれからも都会で暮らしていくんだろうなと語る名取彩雲さん
都会に近い田舎で、でも人との距離は近いところで暮らせたらと語る山田若奈さん
そんな二人が語ってくれた海士町での暮らしと教育委員会でのお仕事についてお届けします。
2人は、なぜ隠岐島前へ?
名取:
東京にずっといて、他のところに行ってみたかったんです。
就職しても転勤がない職場を選んだので、これから先は地方や田舎で暮らす機会はないなと。
そんな中で島根が生まれだから親近感も沸いたし、記憶のないころだけど昔来たこともあったから来てみました。
また、来年度からの仕事の関係で地域のことを知らないと、いい仕事ができないだろうと考えたのも理由の一つです。
山田:
もともと来ていた人と知り合いで。見ていて、楽しそうだなと。
私は、大阪という都会に住んでいたけど田舎で暮らしたいという思いがありました。
地域と密着して、自分がその中に入りたいなと。暮らし重視な感覚です。
また、核家族ではなく、拡張家族の様な世界線で生活してみたかったため、小さなコミュニティに移り住んでみたいと感じていました。
【仕事編】
自分の思考を一旦置いて、海士流を学ぶ
名取:大学では孤独対策について研究していました。
一般的には年配の方などの孤独が提起される事が多いですが、若い人とか子どもでも孤独を感じることはあって。
色んな大人に囲まれた子どもがなぜ孤独になるのか。
来島時はそう言った部分に関心を寄せていました。
そのことがあり、事業所選びの際に学校か教育委員会かで悩みました。
学校は子どもをみることが仕事だけど、子どもを取り巻く大人の姿も見たい。そんな思いから、教育委員会に入り、いろんな方面から関わりたいなと思いました。
名取
けど、実際働き始めると海士町にはそういう”孤独”っていう視点が
あまりないなって感じました。
だから、途中からそれはあまり考えなくなりましたね。
海士町流の教育(共育)を学ぼうと思った結果、自分の思考は今はいらないなって思いました。
どれが印象的とかはない。全部が新鮮でした。
名取:地元は、知り合いがいないところで暮らしていたので、公民館自体馴染みがないものでした。だから、公民館が教育委員会の管轄であることとか知れたのも新鮮で。
名取:教育委員会は決まり事がはっきりしている職場。役割が決まっていたり、持ち場、守らなくてはいけないもの期日とかが決まっていました。
何もわからない自分としては、場に入っていくのが難しいなと感じることもありました。教育のことが全然分からないから、自分が何言ったらいいんだろう、何かできることはあるかなと。
だから、3ヶ月という限られた期間の中で今の自分にできることを考えました。
私が教育委員会に入って面白さを感じたのは、教育委員会の仕事の幅の広さでした。自分が知らなかったようなこともしているのが教育委員会で。
そこで生まれた疑問が、
「自分も知らないことばかりだったけど、まちに住んでいる人も知らないことがあるんじゃないか」ということでした。
自分が教育委員会で吸収したことを、noteという場所で発信することができれば、海士町内外で今までにない共育のチャンスが増えていくかもしれない。
そんな想いから、新たなマガジンとして共育広報マガジン「あま育」を開設しました。
▼開設までの想いが綴られています!!
こちらも併せてぜひご覧ください
子どもを取り巻く大人たち
山田:
以前関わっていた会社では、コーチングや対話を通して大学生から若手社会人のキャリアを考えるサービスを行なっていました。
その中で”自身の本当にやりたいことは何か?”と問う機会があったのですが、聞いても答えられない若者が多いことに課題を感じていて。
特に大人になるとそう言った自身を省みる機会はどんどん減って、難しくなるなあと。だからこそ、”より小さい頃からの教育や大人の関わりが違えば、私たちは自分の想いを自由に表現できるのではないか?”と仮説を立て、
実際に現場を見てみたいと感じ、教育委員会に入ることを決めました。
山田
そんな仮説を自分の中で持ちながら
実際に学校の授業を見学する機会を頂いた際に、小学一年生の総合の授業を子どもたちの側で見学していました。
その授業では、私が考えていた以上に子どもたちが自分の想いや考えを自由に表現している様子を見て、とても驚いたんです。
それと同時に
「子どもはいつから自分の想いを自由に表現できるようになるのだろうか?」と疑問に思いました。
その後、教育委員会で働いているIターンの方から海士町に来て感じたお子さんの変化をお話ししていただく機会があって。
その中で、
「本土に居た時より、海士町に来てからの方が子どもが自分のことを話してくれるようになった」と話してくださいました。
話を聞く中で、海士町での良さはもちろん教育の中にもあるけど、
地域の人との関わりの中で子どもも大人も安心して過ごせているところに、大きな違いがあるのではないかと思っています。
立場の壁、はがゆさ
山田:現場と事務局という立場での難しさを実感するときもありました。
教育委員会はあくまで事務局。現場での課題は現場でしか吸収できないけれど、あくまで自分は事務局側にいるから動きづらさを感じる場面もあって。
できることはたくさんあるけど、新しいことを生み出すのが全てではないこともあることを感じました。
山田
地区の課題もすぐ見えてくるわけではないし、
現場の方に
「5年くらいは居ないと見えてこないこともあるよ」っていわれて
難しいというより、そうなんだなって思うしかない部分で。
歯がゆさみたいなものもありました。
ただ、教育に興味があったからこそ
教育委員会の仕事の幅や取り巻く環境、事務局としての役割が分かったのは良かったなと思っていて。
【暮らし編】
おかみさんの魅力に惹かれて
名取:外に出てる印象をもたれがちだけど、正直あまり外に出てなくて(笑)
シェハウスのメンバーの中で一番引きこもっていたかもしれない、、、
けど、北分の但馬屋さんが大好きで通っていました。
最初の3日間泊まったことがきっかけで、おかみさんの魅力に引き込まれましたね。
おかみさんは、どんな時でも笑っている人。お客さんだからと接しているときだけではなく、いつもなんです。私が自転車で到着すると家の外まで笑い声が聞こえてくる。それがすごくうれしいです。
仕事関係なく関われる場
山田:基本的に体動かすことが好きなので、行きたいと思ったスポーツ活動には全て行きました。結局継続して言っているのはバトミントン・卓球だけですけど(笑)。そこから色々な人と交流する機会が増えた気がします。
あと海士ではスポーツ関連の大会も多いから、職場の方や地域の方ともそこで仲良くなりました。
6月のソフトボール大会もスタッフで参加していましたが、自分自身が仕事の上司部下をいい意味であまり意識することなく接する中で距離が近く感じれたことは嬉しかったです。
海士だからこその空気観にふれて
手触り感のある経験の中で感じた海士流
名取
自分自身の変化を感じるというより、海士流を知った気がします。
離島というより「海士」。
島前内でもそれぞれ違うし、島後とも違う感覚。
だから他の離島も見てみたいという気持ちです。
海士流っていうのは、離島という点もありますが
他の地方行政と一緒にしたらいけない感じがしました。
みんなでこの島を守っていく雰囲気とか。
この島で成り立っていることがたくさんあると思います。
また、教育委員会として働く中で
自分が行っている些細な仕事やイベントに島全体が関係しているような手触り感のある島の行政の仕事を実感しました。
自分らしさを問う
山田
海士町はベンチャー企業みたいな感じだと思いました。
主に仕事面ですが、 ”仕事ができること・肩書きがあること” によって仕事を任しているのではなく、関係性で仕事が進むイメージがあって。
特に、地域のなかでは周りに応援されることが重要だよ、
と周りの人が話していた意味が最近になって理解出来てきた気がします。
だから、積極的にコミュニケーションを取ることや場に出ることが、島では大切なことなのかなと思います。
山田
今までは誰に会うかで自分のキャラクターを変えていましたが、そうしていると結構息苦しい自分がいると感じました。
島にいるとどんな自分でありたいのか、よく分からなくなることがあります。自分の形を保てないなと感じることがあって。
「自分らしさとは?」をすごく問われる場所だなと思います。
島にいると島全体で大きな家族って感じもするし、
どこに行っても仕事関係の人に出会うから不思議な感じ。
山田
でもそれは良い悪いではなくて関係性が近いからこそ
本当に素の自分で勝負するしかないというか、だからこそ自分のいいところを伸ばしていけたらなって思います。
自分の心地いい場所で暮らすこと
名取
自分はこの3カ月で島を離れますが、海士町のこれからが気になります。
半分以上空き家で、10年後の地区の平均年齢が75歳になる地区もあったり。
そうなれば、地区ごとなくなる可能性もある。
若い人はパラパラ来てるけど、人が移り住んでいない地区ってどうなるんだろうな。
そんな素朴な疑問が浮かんできました。
名取
3カ月の島体験で様々な経験をして改めて感じたのは、自分はやっぱり首都圏での暮らしが私には合うかもしれないということです。
これから自分が社会人になってから携わる仕事は、社会保障の政策を作っていく仕事。
でも、そういった仕事に携わるなかで、都市にいるだけでは気がつけないものに、今回の海士町での経験で気づけたのかなと思います。
例えば医療でみてみると、医療の ”保障内容” はよく話題にでるけど、
ここだと、そもそも島を出ないと受けられない医療がある。
前提となるものが違う環境であることを感じています。
山田
ここでの暮らしは、実際に自分がこれからどの様なまちで生活したいのか、少し考える機会になったと思っています。
離島後も、海士町のようなひととの距離が近い所に行きたいな。
山田
あと、個人的には親子の関係性と地域の関係性をもう少し探求したい気持ちがあります。島は大きな家族だと感じていて、そのような温かい場に自分も住みたいし創っていきたいなと思っています。
3カ月を振り返って
名取
3カ月をひとことで表すと
「みんな大切な自分の時間だった」でしょうか。
海士町で経験した視点を持っているか持っていないかで
これから先、感じることや得られる学びは結構違うと思います。
都会での暮らしがすべてではないということを実感するきっかけになりました。
山田
3カ月をひとことで表すと
「不思議な町/海士町との出会い」です。
島体験の制度で仕事も暮らしも変わる中で、周りの人と上手くやらなきゃって思うときも沢山あるけど、自分らしく在ることを大切にしたいと思います。
あとがき
島での暮らしを経て
変化する価値観もあれば、顕在化するものもあって。
その後どんな道を選択するのか。
自分の目で見て、聴いて、体感して。
そこから考える。
どんな道を選んでも背中を押して応援してくれる人がここには
いるような気がします。
(インタビュー/執筆 : 大人の島留学生 田中沙采)
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