私の頭に『モクモク』がやってきた。

家の狭い自室で仕事をしていると、時折モクモクが心臓に針をさす。
その痛みのせいで、ため息が増えてしまうのが最近の悩みのタネだ。

私が『モクモク』と呼んでいるそいつは、芥川龍之介なら、「将来に対する唯ぼんやりした不安」と訳すだろう。絶望だとちょっと過激かなって思う。だから、私は珍妙なそいつに『モクモク』と名付けた。お風呂に入りながら、ふと頭に浮かんだのが『モクモク』だった。湯気みたいだけどさっぱりしないやつ。そんな皮肉も含まれている、かも?

『モクモク』は語らない。彼は自分の身体をつまんでこねて、シャボン玉のように飛ばす。シャボン玉の色は黒に近い灰色だけど、まだところどころかつての色彩が残っている。恋人との楽しかった記憶だったり、かつての友人との語らいの記憶だったり。モクモクシャボンが魅せるのは何本もの楽しい記憶。

頭の中は思い出の名画座だ。
映画館って、映画を観ている瞬間は最高体験だ。知らない世界に連れてってくれる。けど、ひとたび劇場から出れば、そこにはグレイと排気と退屈が折り重なった日常がある。

私はいつも、映画館の内外にある、日常と非日常の隔たりに愕然とする。
そういった愕然を、『モクモク』は常日頃見せてくる。楽しい記憶は好きだ、愛おしいとも。けれど、もう戻ってこない日常だ。そう、『モクモク』は過去の美味しい記憶の中から、もう決して戻ってこないものだけをいいとこ取りして上映するたちの悪い生き物なのだ。

この記事を読んでいる、画面の前の貴方も似たような経験があるかもしれない。
過去の思い出ばかりにすがって、現状と未来に希望が持てなくなる、そんなときが。

戻ってこないものに縋ってしまう気持ちはよく分かる。
過去に縋っても何も戻ってこない、というのに後悔が貴方に杭を打つのだ。
『モクモク』は何も手を下さない。あいつはまぼろしをみせるだけのおばけだ。
杭を打つのはあなたであり、私。まぼろしに引き摺られて、両手両足に枷をかけてしまう。

私はいつだって『モクモク』と闘っている。
戻ってこない過去に縋るより、まだ見えない未来を明るく語ったほうが絶対に楽しいからだ。

だからこうして、『モクモク』と出会ったことを記事にしている。
言語化することで悩みの正体を知る。おばけの正体が布切れだって分かれば怖くないだろう? それと一緒。要するにスポットライトを当ててあげればいい。

でも、『モクモク』の正体が判明してとして、そう簡単に退散してくれるとは限らないのも確かだ。

根付いてしまった過去を重んじる気持ちはなかなか拭えない。

犯してしまった過失を帳消しにすることはできない。
払ってしまったものはもとに戻らない。
でも、なぜだか、十字架を背負っていたくなる。

そんなときはこう考えるといいかもしれない。
「貴方が背負っている十字架って、誰が乗せたもの?」
「自分が自分を痛めつけるために乗せたものだったら、もうちょっと軽くてもいいんじゃない?」

わざわざ苦しもうとしなくていい。
本当のところ、苦しい顔見たって誰も嬉しくない。
心配するか、もしくは、鬱陶しがるかも。
無理に笑う必要はないのと同じで、無理に苦しむ必要もないんじゃないかな。


そう思うと、ちょっとだけ頭の中の『モクモク』がシュワシュワ溶け出すかも。
『モクモク』が軽くなったら、美味しいもの食べて、温かいお風呂に入浴剤を入れて半身浴するといい。
電子書籍リーダーがあれば、心温まる優しい話を読みながら浸かるのがいい。
おすすめは、『魔法使いのハーブティー』だ。

https://bookwalker.jp/de01b01398-b3b9-4d3c-a04b-43059354b492/



では、心軽やかな夜を!


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