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勝手に始めた・「であいと表現」、試み続ける!わたしたちの日常に、将来に、色彩をみる、きく、ココルーム応援プロジェクト

話を始める前に、これを読まれる方に、もし、今回の新型コロナウイルス流行に伴って、最前線と言われる現場で働かれている方々や様々な困難の中にある方々がおられましたら、想像も及ばず言葉も見つかりませんが、知ることができるならばそのご苦労に気を向け耳を傾けたいと思います。

今回の話に入ります。

このプロジェクトをお伝えするにあたって、個人的な体験とわたくしがココルームという場や場所で見聞きし体験してきたことをお話ししようと思います。

長く感じられるかもしれませんので、その前にあらましをお伝えします。それだけで何事か思われた方は終わりの方(※窓の写真の下)にお飛びください。

初めに言います、ココルームの経営がピンチ!です。ココルームは大阪は釜ヶ崎(行政的には西成区の愛隣地区)にあるアートNPOで、ゲストハウスとカフェと庭と、ブックカフェと、「釜ヶ崎芸術大学・大学院」を運営しています。

2004年の法人設立からずっと「であいと表現」の場をつくってきました。それは人と人、人とまち、人とその人、様々な「あいだ」にある出来事です。

あなたが生きる上で大事なことは何ですか?その人がその人のままに社会の中で活かされ生きていけたらいいと思いませんか。人と人とがかかわり合って表現し合って、受け入れたりられたり反発したりされたり嗜(たしな)めたりられたりしながら、共に生きていく。それは日常の関わりの積み重ねにあります。

ココルームはちょっと特異的な環境ではありますが、その日常には普遍性があると思っています。その日常の関わりは、訪れる人や泊まる人、参加する人の周りにも広がっていきます。

そんな日常や試みのある場所が、このままでは半年後に立ち行かなくなってしまいます。みなさんのお力をお貸しくださいませんか。ふるさと寄附金の仕組みによりほとんどの人が、実質2,000円の自己負担になる1万円や3万円、お好きな金額で応援することができます。その間に経営を見直し、新たな「であいと表現」を模索し、未来にかかわりを届けていくことができます。平均して1万円分のご寄附をしてくださる方が200人おられれば、1人につき2,000円の出資が200万円になり、スタッフ1人の1年分の人件費を賄うことができます。それはココルームの財政基盤を支える貴重な財源になります。皆さんのお力添えを、お願いします!

よろしければさらにこの後のお話をお読みいただけますか。ココルーム名物のごはんをご一緒するのは稀でスタッフと特に「仲良く」してるわけでもないただの一宿泊者です。それがなぜこんなことをするのかというお話です。

      (入口は「何屋さん?」。奥に抜けて振り返ると。)

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あなたはココルームに何を見ますか?何を見てきましたか?ココルームは、アートNPO(NPO法人こえとこころとことばの部屋)で、大阪は釜ヶ崎にあり、釜ヶ崎芸術大学・大学院(以下、釜芸)を運営し、ゲストハウスとカフェと庭と、ブックカフェを運営しています。

その場や場所でわたくしが体験したことをお伝えして、これを読む人が何かしら思うことがあれば幸いです。

釜ヶ崎というまち
わたくしは父親と妹と生活する家にいることが精神的にしんどくなりそこを出て10年ほど、東京などで個人的な仕事とアルバイトで生活していました。アルバイトだけになった時、家賃と生活費を稼いで東京で生きていくということは、とても大変でした。飲食店でのアルバイトを得たものの、わたしにとって接客という仕事は合っていても体力的には厳しく、家賃のために週5日か6日にしていた午前中から夜までの仕事を終えると、徒歩5分の道のりも遠く、家への曲がり角を通り過ぎてすぐのコンビニに入り、お金を余計に使えないところでオリーブオイルポテトチップスをストレスが強いときには2袋買い、帰って座椅子に体を預け厚く歯応えのあるそれを食べるだけして寝てしまう、時には帰宅後や休日に横になったまま体を動かせなくもなる、そんな日々でした。ある時、もうもたない、と思いました。借りていた家を引き払う決断をし、ホームレスも考えましたが家があるならと戻ることにしたものの、そこに親はいなくともそれは、自らの収入で生きられなくなった、あれだけ嫌だった家に戻らざるを得ない、屈辱を伴う大きな挫折でした。

数年前から大阪に通う中で、初めは何も知らずに来て、たまに訪れるだけだったココルームに2年近く前からは泊まるようになります。NPOということも活動全体をアートとしているということも、釜ヶ崎という場所についても、過ごす中で少しずつ知っていきます。縁あっての自身の場をひらくだけでなく、その間に、かなよさん、スタッフである湯川さん、さっちゃん、奥山くん、わたるくん、釜ヶ崎支援機構の山田さんはわたくしのことを見てくれていて、声をかけてもらいコミュニティスペースのお手伝いや別のNPOのお手伝いをするようになります。

それはわたくしをほぼそのまま生かしてくれる仕事でした。それが収入というものにもなります。いくつもの場面が印象に残っています。ある時は、コミュニティスペースの談話室でめったに来ない一人のおじさんが黒い長椅子の端に座り文庫本の小説を読んでいたので、近くの机を離れてしゃがんで話しかけました。歴史小説の話から映画の話になり、こちらは小型のタブレットを手にしていて会話に出てくる作品を検索しながら、もう一度観たい映画に『にあんちゃん』などこれまで全く知らなかった3本のタイトルを聞きました。話が続いて、途中からはよく来るいつもリュックを背負っている歌好きのおじさんが来たので「映画の話をしてたんですよ」と声をかけると話に加わり、あの映画がよかったな、あの映画のあの歌はよかったななど、それまできっと話したことも会ったこともなかった二人が、共通する好きなことを話しわたくしがその場を離れても会話がしばらく続いていました。

それが二人にとってどんな時間だったかは知ることができませんし、きっと多くの人にとってなんでもない日常の一コマだと思いますが、わたくしには目にしてちょっとうれしいような光景でした。それは、見、きくこと、人と会話をすること、その場にただ居ることが仕事になっていることでした。人と居合わせることで人に関心が向き、人や歴史やまちを知り、新たな発想が生まれ、苦楽ある関わりがあり、自分自身が面白くいられて、朝の時間に合わせるのは難しくとも日々を生きることが苦ではなくなっていたように思います。ココルームという場がきっかけになり、他で十分な仕事ができないわたくしがそうして様々な縁や仕事や「はたらき」を与えられてきました。そうして、釜ヶ崎というまちにわたくし自身が救われているのでした。

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( 三角公園 越冬闘争ではドラム缶の火の向こうに、夏まつりでは櫓と提灯の向こうに、あべのハルカスが見える。)

こころのたねとして
ココルームやその周りでは日々様々なことが起きそれを目にします。あなたは行き場のなさを感じたことがあるでしょうか。周りの人がそんな思いを抱いていたということがありませんか。
釜ヶ崎の「おじさん」たちとの関わりももちろんですが、わたくしが最近になって象徴的に思っていることがあります。ココルームに出入りする若者たちのことです。この場所で彼らのうち誰かに3日に1度は会います。1人の彼は、いつもキャップをかぶりリュックを背負っていて、見知った顔の誰にでも会うと必ず「怒ってる?」「笑ってる?」と聞きます。ちょっと高い声で早口で、その場にいる間に何回も。リュックにはいつもいくつかのぬいぐるみを入れていて、それぞれに名前がついていて、よく彼らとも会話をしているようです。ココルームに来てはスタッフや見知った人と、多くの人とはちょっと変わった、けれど、自然な、普通の会話をしています。それに満足するか時間が来ると、よく電車に乗っている彼は「それじゃねー、発車しまーす」と帰っていきます。ココルームはカフェなのでお客さんからは注文を受けますが、彼らは注文せずうろうろしたり座って会話をしたり好きに過ごしていきます。自然なことのはずですが、いまの社会では普通にあることではないように思います。そのように彼らが出入りし過ごせる場に、わたくしは、わたしたちは「そこに居られる感覚」を持つのだと思います。

もう一つ、ひと花センターというところでの「詩の時間」のことを挙げれば、わたしたちはふだん今いる世界を実感できずに生きているのではないでしょうか、という事も思います。
ココルームにたまたま泊っていた3人組の方々がその時に「詩の時間」に参加されました。数か月後にそのうちの一人の方が再び来られ、その方と話していると、「(詩をつくるペアになった)岡本さんというその存在がわたしの中に残っています」と話してくれました。それまで全く知らなかった人の存在が、このまちということやわたしたちの今いる世界を作ってきた人ということも含んで、「わたし」の中に残ります。鉄道や道路、団地やビル、水道や堤防、今あるそれらのほとんどがそうした人の手で造られていること、造ってきたその人と一緒に生きていることを直接的に知る時、世界の見方や感じ方が変わるのではないでしょうか。講座やワークショップの中ではよく笑いも起き、もやもやや充実感を持ってその場を後にします。
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ほんとはせめぎあいの場面を置きたいけれど

これらのことはなぜ起きているのでしょうか。その周りにどんな波紋を広げているでしょうか。

釜ヶ崎のおじさんたち、何かの縁で流れ着いた人、困ってやってきた人への関わり、これは「支援」ではありません。人とのあいだにある表現であり、人と関わることを、面白い!と思うことを、覚悟を持って、時に迷いながら、時に矢面に立つことを厭わず、ただしてきたのだと思います。

出入りする人や関わる人の存在が多様であること、受容だけではない関わりがあること、「であいと表現」の場を続けてきたからこその結果として新たなきっかけや変化が様々な人に生まれること、物理的な場所であること、釜ヶ崎というまちにあること。それらココルームの特異性や存在する意義、存在してきたことの意味を挙げればキリがないと思います。

これらは、これまでに関わった多くの、そして現在のスタッフのはたらきがあり、ココルームという接点、「であいと表現」の場をつくってきた活動があってのものです。   

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       (本間にブックカフェミーティング)

大阪の真ん中にあるこんな 景色 が 
                 なくなっちゃうかもしれない
だけじゃない
そのココルームが現在、存続の危機に陥っています。民泊などの増加で新型コロナウイルス流行前からゲストハウスとカフェの経営は「ピンチ!」になっていました。ここ数か月の情勢もあり、このままではココルームは半年後になくなってしまいます。
わたくしにはここでこの営業をしていけるだけの十分に生かされていない強みがココルームにはあると思っています。しっかりと見つめ直したいのは、関わりの積み重ねによる場の力、現在のスタッフとその周りの人のそれぞれの個性とその集合であること。それは現在のスタッフだけでなく、これまでにココルームに訪れたり泊ったり関わったりした人の声を聞き姿を顧みることからより知ることができると思います。もちろん見方によっては良さだけではない見直す必要のあることもあるでしょう。
できることはしつつ強みを生かし、人のなりわいが複数であってもいいように、ゲストハウスとカフェと庭の収入が、その売り上げだけでなく複数の道からあり全体として経営が成り立つようであっていいのではないかと思います。

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時の流れによって有ったものが無くなるのは世の常ですが、3.11以降の東北などの被災地に少しながら通った者としても思うのは、10年後20年後に意味が明らかになるような日常というものや、いまここで起きる変化をもたらす日常のある場所を、一度失ってしまったらそれを再びつくることは容易ではなく不可能かもしれず、それらの可能性を持つ日常を失ってしまうことになります。
そこで、今ここで皆さんのお力添えが必要なのです。それによってまずはこの1年を乗り切れるようになると思います。

後述する方法によって、例えば、20,000円分の寄附を実質2,000円でしてくださる方が200人おられれば4百万円になり、全スタッフの人件費の約4か月分に当てることができます。その間に上記にような経営の見直しをすることもできます。

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日常の関わりがあって うまれてくるもの
ココルームが招かれて各地での展覧会になってきているアートとされる「表現」は、前述のような日常の積み重ねがあってあらわされているものです。そのまとめられた「表現」によって感じる面白さや驚きや発見も少なくないと思います。けれどそれは、その背景にある日常の人とのかかわり一つひとつ一コマひとコマがあってこそのもので、それこそが大事なものであるはずです。
そうではあるものの、そのような日常をあらわすことはなかなかに困難です。時に起伏に富んだ事もありますがほとんどは一見して人目を引くような事ではないでしょうし、スタッフは、ゲストハウスとカフェと庭の運営、ブックカフェの裏方、釜芸では告知など、他の場所や団体と関わる場への調整や行き来、バザーの買い物やカフェ利用や宿泊などに話をしたいなどでランダムにココルームに来る人への対応、それらを調子を保てるようにしながら特に人とのかかわりを丁寧にしていると、そのような日常を記すことは時間的に心理的に難しくなるだろうと察せられます。
ココルームで起きている日常は確かに特殊な場でのと思われるものですが、あらわされるであろう日常の出来事や変化は普遍的なもので、展示や新聞などの記事とは異なる身近さや共感をもたらすものだと思います。それこそがココルームの在りようとして伝えられてほしいものです。それを記すのはアーティストや記者ではないのかもしれません。見て、聴き、聞き、記す方法は言葉でも映像でも、一緒にいながら日常を記述しつつその都度に発信する人のように思われます。

今を乗り越えた来年度もまた、数千円分でも数万円でも、お一人が実質2千円でご寄附くださりそれだけの額が集まるのならば、そのような人を雇うこともできるようになり(決してわたくしではありません、念のため。)、日常が記され、それを見るのか読むのかするそれぞれの人の豊かさ、伝えられた人の周りへの豊かさになるだろうと思います。きっと決してバズることはないと思いますが、そのような小さな豊かさが巡り巡っていく世界の原資になるのだと思います。

記し発信する人を新たに雇うのではなくとも、400万円は現在のスタッフの人件費の2人分を賄うくらいになります。それは小さな豊かさの巡る世界の原資になることに違いはありません。

ココルームの日常があり続けることは、人が表現を通して人とであい、かかわり生きていける社会をつくり続けることであり、であう人の変化をもたらし続けることであり、それらが循環し、誰もがいつでも来られる場所があり続けることになります。

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新たな表現と であう 
その表現は あいだに 生まれる

皆さんのお力添えは、ここで出会った表現をなりわいの一つにしようとする人、困ってる人が何かの縁で来られる場所がここにあってほしい人、アートをわたしたちのものとする活動、後から言い表しての「長すぎる社会実験」(※釜芸「写真とことば」写真集より)の支援にもなります。

これからの「であいと表現」を模索すること、経営を考えることは現在進行中で、ここを通り抜けてどうなるかという具体的な姿を今はまだお示しすることはできません。けれど、そのご支援によって、ゲストハウスとカフェと庭のココルームという場所があり続け、スタッフが経済的に支えられ、そのことにより再び実際に人が集えるようになるまで、釜芸の講座はオンラインでただ配信されたりそのシステムをただ使ったりするだけでなく、「であいと表現」は形を変えて、釜芸やココルームという体験もこれまでと違った形で届けられるでしょう。下記に詳しく述べる仕組みを使った皆さんの支えによって、スタッフと「社会実験」に時間と自由と、わたしたちへの可能性がもたらされます。応援はこうして、ココルームという場を設える人の、自分たちを振り返ることや未来を見ようとすること、試みをしていくことの後押しになります。そしてそれは、参加者や後の利用者として受け取るだけでなく、「社会実験」の結果として社会を経由して「わたし」に巡ってくるはずです。

ゆったりできる空間、よく接するものとは違うアートや「表現」、釜ヶ崎というまちや日本という社会に直結するその歴史、あたたかさや面白い!と思うこと、割り切れなさや衝撃、人がであいによって表現を通して生きられること、そんなことのあれこれがわたしたちに今後もあり続けるということです。一年先、二年先の未来から現在を見たとき、どんな世界にいて、どんな選択がされていたでしょうか。現在から未来へ、人が多様なままに表現しかかわり合いながら生きていく、そんな社会をともにつくり続けていきませんか。

わかった!じゃぁ何をしてほしいの?何ができるの?と思われた方はぜひ以下を読み進めていただきたいと思います。

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ココルームでは現在クラウドファンディング(http://motion-gallery.net/projects/cocoroom2020)を始めていますが、お金というご支援について個人的には「これ!」と思う仕組みがあります。ほとんどの人の使えるお金は有限に思います。応援に使ってくださろうとするお金はその方のお金です。そのようなお金ならば、その方ができるだけ有意義に使えるような方法や選択肢をお伝えすることを全力ですべきと思います

(この仕組みで受けられるのは、所得控除ではなく税額控除です!
寄附した額から2,000円を除いたまるまる分、翌年の払う税金が少なくなります。
←感想を受け追記しました。)

なにわの芸術応援募金」は「ふるさと納税」の仕組みが使われているので、例えば、1万円を寄付すると8千円が戻ってくるもので、実質的に、2千円の寄付でココルームに1万円の支援が、3万円であってもそれが2千円でできるということです(大阪市の手数料5%を引いて)。法人であれば寄附金の全額を損金算入できます。戻ってきたお金はお好きなことに使っても、その分を予めクラウドファンディングやこの時期にあって協力を求める他に当ててもよいでしょうし、また寄附をしたり将来の実際にココルームに訪れたり泊ったりすることに使えます。年に一度2,000円を使いそのように寄附してくださるならば、ココルームの経済基盤の一端を大きく担うことができます。
年末調整や人によっては確定申告をしたり控除額を確かめたりの手間は少しかかりますが(例年に確定申告のない方には「ワンストップ特例制度」があり手間を省けます)、てこの原理を使うように支援ができるのはこの制度しかありません。ココルームがこの制度を使える団体に入っていることは双方に利が大きく、この状況にして奇跡的にも思えます。このところの社会情勢では劇場でもなく映画館でもなく一つの業界が応援される仕組みに入らず、いつも制度や枠の少し外にあるココルームは個人の皆さんの支えが頼りです。大阪市に対するココルームの、芸術と文化への実績にもなります。数千円以上を寄附に使えるお手持ちのある方はぜひこちらをご利用いただけませんか。

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そして、可能であればこの文章をシェアくださいませんか。また、このプロジェクトに関わりを持ってくださる方はこの記事の末尾をご覧になり、よければご連絡ください、そして「勝手にココルーム経営カイギ!」にご参加くださいませんか。非常なおせっかいで、且つ余計なことかもしれませんがわたくしはここにコミットします。多かれ少なかれ疎まれたとしてもスタッフとともに「今」を作っていこうと思います。次回のカイギ!の日程や企画については、まずは個人のアカウントとFacebookページでお知らせしていきます。

ただの一宿泊者からの発信ですが、こうして広がる変化に加わり、ココルームへの応援をよろしくお願いいたします!

【なにわの芸術応援募金】はこちらから。

まずは?全体説明https://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000309989.html

すぐ?寄附金のお申込方法https://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000006525.html

今すぐ「クレジットカード・コンビニエンスストア・ペイジー(インターネットバンキング)決済による寄附の開始する」方は上記リンクから黄色いバナーをクリックください。

注)寄附金の使途内訳を入力してくださいという項の  
「事業の種類」を「芸術・文化団体支援(なにわの芸術応援募金)」に

  確認事項についてご回答くださいという項の
「寄附金の活用方法で「芸術・文化団体支援」をご指定されている場合は、応援したい団体を1つご指定ください。※「芸術・文化団体支援関係」以外の寄附メニューをご指定されている場合は入力しないでください。」で
特定非営利活動法人 こえとことばとこころの部屋」をお選びください。

ご寄付くださった方は、差し支えなければココルームにご一報いただけましたらありがたいです。

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          (ある日の同じ時間に)

ここまで書いてきたこのことを自分の言葉で伝えることがわたくしには必要でした。ココルームという存在とこれまでそこに関わってきた人と現在のスタッフに感謝しています。スタッフとの関わりがあったからココルームに居ることとこの文章になっていて、今のわたくしにとってはそれが関わりと言えるように思います。

その他のご質問やお問い合わせはこちらへお願いします。

おとい(Facebook
   (Mail

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    (ココルームの庭の真ん中にある無花果の木
     庭には自分たちで掘った井戸もあります)


今回のキャンペーンの目的:ココルームの経営基盤の一端をつくること

これはコミュニティオーガナイジングというメソッドに学んだプロジェクトです。参加されましたらそれを体験する機会にもなるかもしれません。

目標:今回は、3ヶ月で、寄附者を200人、又は、寄附を400万円募る

 ・本日、パブリックナラティブを公開

 ・戦略のベースを5月6日までを目処に作る

 ・この状況なので関係構築は知り合いからとオンラインで

 ・SNSから「勝手に経営カイギ!」という集まりに招く

 ・そこで戦略を立て共有

 ・アクションとしては、今のところ思いつくのは、新たに作るサイトか個人の投稿を一斉シェア、オンラインブックカフェラジオなど。

面白いアイデア募集中!

一人から始めて、出会う仲間とどこまでできるか、文字通りの挑戦。
「なにわの芸術応援募金」は昨年度4月から12月で、20余りの団体の登録がある中、集まっていた総額が716万円。1団体でその半分を目指してしまうプロジェクトになりました。
今後のプロジェクトのお知らせや動きはこちらでお伝えしていきます。

であいと表現.試み続ける!わたしたちの日常に、将来に、色彩をみる、きく、ココルーム応援プロジェクト - ホーム | Facebook

自らのしんどさは自分で引き受けながら、自分で、共に、面白く、楽しくなるようにしていきましょう。

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あなたはココルームに何を見てきましたか?何を見ますか?

拙文を最後までお読みくださりありがとうございました。

あなたとあなたの周りの方々が健やかに過ごされますように。



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お金を稼ぐのが苦手です。けれどしていくことがあります。聴く/聴こうとする、場をひらく/ひらいておく、一緒にいる。先達から引き受けるものは周りや次世代の人に継いでいきます。遊びと、できれば朗らかさとともに。よろしくお願いします。