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魔法少女の系譜、その176~『花の子ルンルン』と『マイバースデイ』~


 今回も、前回に続き、『花の子ルンルン』を取り上げます。
 というよりは、『花の子ルンルン』と同時代に、日本の少女文化を大きく支えたものを取り上げます。

 『花の子ルンルン』には、「花の精」が、重要な存在として登場しますね。ヒロインのルンルン自体が、「花の精の血を引く人間=花の子」ですし、マスコットのヌーボとキャトーも、正体は、花の精です。
 地球にいる間は、ヌーボがイヌ、キャトーがネコの姿をしています。本拠地のフラワーヌ星に帰ると、ヌーボもキャトーも、本来の花の精の姿(ヒトに似た姿)に戻ります。

 このような、花の精=花の妖精については、『花の子ルンルン』の放映が始まる前から、少しずつ、日本に浸透していました。もともとは、ヨーロッパの文化ですね。
 前回の「魔法少女の系譜、その175」で、以下の年表を示しました。日本の娯楽作品の中で取り上げられた、妖精に関する年表です。

昭和五十一年(一九七六年) 森永ハイクラウンのフラワーフェアリーカード
昭和五十二年(一九七七年) 山岸凉子さんの漫画『妖精王』
昭和五十三年(一九七八年) 実写(特撮)テレビドラマ『透明ドリちゃん』
昭和五十三年(一九七八年)?セイカのぬりえ『キャシー&ナンシー』
昭和五十四年(一九七九年) テレビアニメ『花の子ルンルン』
              サンリオのキャラクター「フェアリーチャーマー」

 『花の子ルンルン』の放映が始まり、サンリオのキャラクター「フェアリーチャーマー」が売り出された昭和五十四年(一九七九年)に、もう一つ、大きな動きがありました。
 少女向けの雑誌『マイバースデイ』の創刊です。月刊誌でした。

 『マイバースデイ』は、創刊時から、休刊するまで、一貫して、「愛と占いの情報誌」がコンセプトでした。女の子たちが大好きな占いと、恋愛の情報がメインでした。
 昭和五十四年(一九七九年)には、インターネットは存在しません。十代の少女たちが、情報を入手する手段は、とても限られていました。『マイバースデイ』に限らず、雑誌は、重要な情報源でした。

 昭和五十四年(一九七九年)当時、十代の少女たちにとって、等身大と思える情報が載っている雑誌は、さほど多くありませんでした。『アンアン』や『ノンノ』などの女性誌は、この頃からありましたが、十代の少女にとっては、大人っぽ過ぎました。
 一九八〇年代に、「オリーブ少女」という言葉を生み出したほど流行った雑誌『オリーブ』は、まだ、創刊されていません。
 昭和五十四年(一九七九年)当時、十代の少女たちにジャストフィットする情報が載っている雑誌と言えば、『中一時代』、『中一コース』などの、いわゆる学年誌くらいだったでしょう。
 学年誌については、過去の『魔法少女の系譜』シリーズで、解説しましたね。

魔法少女の系譜、その86~『なぞの転校生』~(2022年07月09日)
https://note.com/otogiri_chihaya/n/ne1eac22fda78

 学年で輪切りされた学年誌くらいしか情報源がなかったところに、そういう区切りとは関係なく、でも、十代の女の子たちが「ぴったり!」と思える情報が載った『マイバースデイ』が創刊されたわけです。当時としては、画期的でした。
 学年誌は、学研や旺文社といった出版社が出していただけあって、娯楽の中にも、「学校の勉強」の要素が強かったです。
 『マイバースデイ』にも、「学校の勉強」に関する記事は載りましたが、それは、決して、メインではありませんでした。『マイバースデイ』は、最初から最後まで、「愛と占いの情報誌」というコンセプトを外すことは、ありませんでした。

 『マイバースデイ』は、何しろ、文字が多い雑誌でした。毎月の占い情報が、西洋占星術の十二星座ごとに、びっしり書かれていました。今、考えると、老眼のおばさんになったら、あんな記事、読めませんね(笑) まさしく、少女のための雑誌でした。
 それ以外に、さまざまな占いや、おまじないの情報が、毎月、満載でした。もちろん、恋愛相談があったり、ファッションの記事があったり、芸能界情報があったり、読者同士のおしゃべりオーナーもあって、「十代の女の子の好きなもの、全部詰め」という雑誌でした。

 『マイバースデイ』は(字がびっしり詰まっていることを除けば)、お気楽に読める娯楽雑誌でしたが、占いやおまじないについては、本格的な解説記事も載りました。また、それらに絡んで、西洋のオカルト情報―二〇二一年現在なら、スピリチュアルと呼ばれるかも知れません―についても、本格的な記事がありました。それこそ、『ムー』に負けないくらいの記事も、ありました。
 『ムー』の創刊は、『マイバースデイ』とまったく同じ年、昭和五十四年(一九七九年)です。これは、偶然ではないでしょう。

 一九七〇年代の日本は、オカルトブームの真っただ中でした。何回か、『魔法少女の系譜』シリーズでも、書いていますよね。神秘的なものを受け入れる余地が、世の中にあふれていました。占いも、神秘的なものの一種ですよね。
 オカルトブームの一九七〇年代の締めくくりの年に、『ムー』と『マイバースデイ』とが創刊されたのは、示唆的です。

 上にちらっと書きましたとおり、『マイバースデイ』には、占い以外に、「おまじない」の記事も、たくさん載っていました。「片思いの彼と両想いになれるおまじない」とか、「告白を成功させるおまじない」とか、「素敵な人と出会えるおまじない」とか、恋愛に関するものが、圧倒的に多かったです。とはいえ、そればかりだったわけでもなくて、「喧嘩してしまった友達と仲直りできるおまじない」とか、「テスト前に心を落ち着けるおまじない」とかも、ありました。
 「おまじない」とひらがなで書くと、かわいく見えますが、漢字で書けば、「お呪【まじな】い」ですからね。立派な呪術です。

 『マイバースデイ』には、おおぜいの占い師さんが記事を書いていました。当時、有名な占い師さんは、ほとんどの方が、『マイバースデイ』に記事を書いたことがあったのではないかと思います。そのうちのお一方、ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベさんが、注目すべき主張を、『マイバースデイ』誌上で繰り広げていました。
 「魔女っこになろう」というものです。ワタナベさんは、自然の力を借りる「おまじない」などを通じて、自然と調和した生活をしようと主張されていたのでした。十代の少女たちを、「小さな魔女=魔女っこになろう」と誘ったのです。

 これって、すごいことですよね。リアル魔女っ子ですから―昭和五十四年(一九七九年)当時には、魔法少女という言葉は、まだ普及していません―。フィクションの中の魔女っ子を、リアルな世界に飛び出させてきました。
 ただ、ワタナベさんは、終始一貫して、「魔女っ子」ではなく、「魔女っこ」と、「こ」をひらがな表記にしています。『魔女っ子メグちゃん』や『魔女っ子チックル』などの作品の、著作権を気にしたのかも知れません。
 一九六〇年代から育てられてきた、日本の魔女っ子文化が、一九七〇年代の末になって、フィクションから、リアルにも、移行してきました。

 先述のとおり、『マイバースデイ』には、本格的な「おまじない」(=呪術、魔術)の記事も載りました。フィクションの中で育まれた「魔女っ子」への憧れが高じて、それらの「おまじない」を試した人も、多かったでしょう。
 さすがに、人を傷つけるような「おまじない」は、『マイバースデイ』には載りませんでした。なので、『マイバースデイ』が大好きな「おまじない少女」がいたとしても、実害はありません。そのあたりは、良心的な雑誌でした。

 『マイバースデイ』のおまじないと言えば、マーク・矢崎さんです。この方は、昭和五十四年(一九七九年)当時には、『マイバースデイ』の一読者でした。
 それが、読者投稿でおまじないを紹介したのをきっかけに、大人気となり、あっという間に、『マイバースデイ』に、おまじない専門の記事を連載するほどにまでなりました。『マイバースデイ』を足掛かりにして、占い師になった方です。二〇二一年現在も、占い師として、現役でいらっしゃいます。
 マーク・矢崎さんは、正確には、占い師というより、「おまじない師」なんですよね。日本の少女文化における「おまじない」にかけては、日本一、詳しい方だと思います。

 『マイバースデイ』のマーク・矢崎さんの連載とは、「マークの魔女入門」です。はっきり「魔女」を謳【うた】っています。記事の題名で、「『おまじない』を使う魔女になろう」と誘っていたわけです。ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベさんと、ほぼ同じ主張ですね。フィクションから現実へ、「魔女っ子」が進攻しています。
 マークさんのおまじないは、本当に人気があって、マークさん監修のおまじないグッズが、『マイバースデイ』誌上で売られていました。「TRAPSペンダント」なんて、五年以上のロングセラーだったはずです。

 占いや「おまじない」などの実用的(?)な記事ばかりでなく、読み物として楽しめる記事も、『マイバースデイ』には、ありました。ヨーロッパの妖精伝承も、よく紹介されていました。
 ここで、『花の子ルンルン』とつながりますね。『マイバースデイ』も、日本の初期の妖精文化を醸成するのに、大いに貢献しました。

 『マイバースデイ』には、雑誌オリジナルといえる妖精もいました。より正確に言えば、『マイバースデイ』の書き手のお一方、占い師のエミール・シェラザードさんオリジナルの妖精たちです。
 『マイバースデイ』誌上では、フクジュソウの妖精ブロンデール、タンポポの妖精フロリンダ、どんぐりの妖精クロトクリン、松の実の妖精キャデルコン、ジャスミンの妖精ピッコリーナなどが、エミールさんの書いた記事で、紹介されていました。漫画家のまつざきあけみさんのイラスト付きです。
 まつざきあけみさんは、『マイバースデイ』創刊時から、昭和五十八年(一九八三年)まで、表紙絵を担当された方です。華麗な美少女・美少年の絵に、定評のある方ですね。

 これらの妖精たちには、とても人気がありました。個々の妖精に、それぞれ、ファンが付いていたほどです。妖精たちのグッズもありました。
 エミールさんの妖精たちには、元ネタがあるのかと思って、調べてみました。いく人かの妖精たち、例えば、妖精王オベロンと、その王妃ティタニアなどは、元ネタがあります。彼らは、シェイクスピアの『夏の夜の夢』などに登場しますね。
 けれども、多くの妖精たちについては、元ネタらしいものは、発見できませんでした。現時点では、これらの妖精たちは、エミールさんのオリジナルとしか、考えようがありません。

 フロリンダ、クロトクリン、キャデルコン、ピッコリーナなどの妖精たちは、ほぼ全員が、昆虫くらいの小ささで、昆虫の翅【はね】を持つ姿で描かれていました。フラワーフェアリーカードの妖精たちと、同じです。植物と縁が深く、愛らしい妖精の姿が、『マイバースデイ』誌上でも、喧伝されました。

 『花の子ルンルン』の放映開始と、「フェアリーチャーマー」のデビューと、『マイバースデイ』の創刊とが揃った昭和五十四年(一九七九年)は、日本の妖精文化の中で、初期の一つの頂点だったと言えるでしょう。
 おそらく、この頃に、「植物とつながりがあり、小さな体に昆虫の翅」という妖精のイメージが確立したと考えられます。

 今回は、ここまでとします。
 次回は、本道に戻って、『花の子ルンルン』を取り上げます。



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