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魔法少女の系譜、その114~『恐竜大戦争アイゼンボーグ』~


 前回に予告しましたとおり、今回は、『恐竜大戦争アイゼンボーグ』を取り上げます。

 『恐竜大戦争アイゼンボーグ』は、昭和五十二年(一九七七年)から昭和五十三年(一九七八年)にかけて放映されました。恐竜は特撮で表現され、人物はアニメで表現される作品でした。
 恐竜がテーマであること、特撮とアニメとの合成作品であることが、『恐竜探検隊ボーンフリー』と共通しますね。放映時期も、昭和五十一年(一九七六年)から昭和五十二年(一九七七年)にかけて放映された『ボーンフリー』のすぐ後に、『アイゼンボーグ』が続きました。
 それもそのはずです。『アイゼンボーグ』は、もともと、『ボーンフリー』の続編として、企画が始まりました。

 『ボーンフリー』は人気を博しましたが、特撮にお金をかけ過ぎて、放映を終了せざるを得なくなりました。とはいえ、恐竜というコンテンツに強い訴求力があること、および、「特撮とアニメとの合成」に可能性があることが、『ボーンフリー』で示されました。
 そこで、「恐竜をテーマにすること」、「特撮とアニメとの合成という表現方法を取ること」を『ボーンフリー』から引き継いで、新たな作品が作られることになりました。
 そうしてできたのが、『恐竜大戦争アイゼンボーグ』です。

 『ボーンフリー』では、恐竜は、保護する対象でしたね。これは斬新な企画で、私などは、好ましいと感じます(^^)
 けれども、製作側から見ると、「戦闘要素が少ないのは、やはり、弱い」と感じられたようです。『アイゼンボーグ』では、恐竜は敵役に回りました。主役の人間たちは、恐竜と戦う善役とされました。
 また、恐竜の表現は、『ボーンフリー』の人形アニメーションとは違って、日本お得意の着ぐるみになりました。これは、予算の関係です。『ボーンフリー』が放映を終了した主な原因は、人形アニメーションがお金を食い過ぎてしまったことですからね。

 『アイゼンボーグ』の恐竜は、『ボーンフリー』の恐竜と違って、中生代に実在した、そのままの恐竜ではありません。白亜紀末に絶滅した恐竜たちが、なぜか、超能力を持って、現代によみがえり、人類に宣戦布告します。
 恐竜と呼ばれてはいるものの、『アイゼンボーグ』の恐竜は、実質的に、怪獣と同じです。怪獣化した恐竜と戦うために、人間は、D戦隊というチームを作ります。主人公の立花善【たちばな ぜん】と立花愛【たちばな あい】とは、D戦隊の主要メンバーです。

 立花善と立花愛とは、兄妹です。二人揃って、対恐竜戦闘車の開発中に、事故に巻き込まれます。その事故で、二人の父親―対恐竜戦闘車の開発者―は、死んでしまいます。
 善と愛とは、事故で瀕死の重傷を負い、その際に、サイボーグに改造されます。彼らをサイボーグにしたのは、生物学の権威の鳥居博士という人です。鳥居博士は、D戦隊のリーダーでもあります。

 サイボーグになった善と愛とは、怪獣化した恐竜が現われると、対恐竜戦闘車の「アイゼンI号」を駆って、戦いに赴きます。二人とも、サイボーグ化したことで、普通の人間以上の聴覚と、赤外線が見える視覚と、深海の水圧にも耐えられる頑丈な体を得ました。右手首に、通信機も内蔵しています。
 立花愛は、人工型の魔法少女ですね。『ミラクル少女リミットちゃん』の西山理美/リミットや、『サイボーグ009』のフランソワーズ/003と同じサイボーグです。もちろん、立花善は「人工型の魔法少年」といえます。
 ただし、二人の年齢設定は不明で、未成年かどうかは、わかりません。見た目は、二人とも、成人しているように見えます。

 何度も言いますとおり、『アイゼンボーグ』放映当時の一九七〇年代には、まだ、「魔法少女」という言葉は、普及していません。立花愛は、当時の「魔女っ子」という概念には、含まれませんでした。当時の「魔女っ子」には、戦闘要素がないからです。

 善と愛との兄妹は、ピンチになると、「アイゼンクロス」という技を繰り出します。二人とも立ち上がって、「アイ、ゼン、クロス!」と叫びながら、腕を交差させます。
 すると、善は、アイゼンボーグマンという変身ヒーローに変身します。設定には、「アイゼンボーグマン」とありますが、物語中では、「アイゼンボーグマン」の言葉が使われることは、ありません。単に「アイゼンボーグ」と呼ばれます。
 愛のほうは、戦闘車のアイゼンI号と合体して、その制御回路になります。これにより、アイゼンI号は、アイゼンボーグ号というスーパーメカ戦闘艦に変身します(!)

 つまり、『アイゼンボーグ』は、変身ヒーローものでもあります。変身ヒーローのアイゼンボーグマンが、スーパーメカのアイゼンボーグ号に乗って、怪獣化した恐竜と戦います。
 アイゼンボーグ号と一体化した愛は、話すことができません。アイゼンボーグマンになった善は、アイゼンボーグ号の機器を通じてしか、愛の状態を知ることができません。視聴者にとっても、そうです。
 アイゼンボーグ号には、活動時間の制限があります。3分30秒しか、活動できません。したがって、アイゼンボーグマンのほうも、3分30秒しか、活動できません。ウルトラマンみたいですね(ウルトラマンは、3分間ですが)。アイゼンボーグ号の側面に、カラーチェッカーが付いていて、限界時間が迫ると、これが点滅します。

 「男女ダブル主人公が、合体して、一人の変身ヒーローになる」は、すでに、『ウルトラマンA【エース】』で、行なわれていましたね。
 それを踏まえつつ、『アイゼンボーグ』では、「女性キャラのほうが、戦闘車両と合体する」という新味を出しています。これにより、戦闘車両のほうも、スーパーメカに変身します。
 善と愛の二人が揃わないと、善は、アイゼンボーグマンに変身できません。アイゼンI号も、アイゼンボーグ号に変身できません。愛と善との兄妹二人は、互いにとって、唯一無二の存在です。
 なお、愛のほうが妹ですが、彼女は、兄のことを、「善」と呼び捨てにします。

 この設定は、独創的で、面白そうですよね。二〇二〇年現在でも、これと似た設定の作品は、ほとんどありません。この独創性は、もっと評価されていいと思います。
 ところが、『アイゼンボーグ』は、製作側が思ったほどには、視聴率が伸びませんでした。そのために、途中から、テコ入れとして、設定の大幅な変更がなされます。

 初期の『アイゼンボーグ』では、なぜ、恐竜が怪獣化して攻めてきたのか、理由が不明でした。後半には、その理由が明らかにされます。
 じつは、怪獣化した恐竜たちは、ガザリヤ星人という宇宙人の手先にされていたのでした。ガザリヤ星人は、地球に移住しようとして侵略してきた宇宙人です。
 地球の地下には、中生代の生態系がそっくり保存された空間があり、恐竜たちは、そこで、中生代そのままの生活を続けていました。ガザリヤ星人は、その恐竜たちに目をつけて、人類に対抗する兵隊として、魔改造してしまいます。恐竜たちは、心ならずも、ガザリヤ星人の手先として、人類と戦うことになります。

 オカルト好きの方ならば、この設定を聞いて、ぴんと来るかも知れません。この設定は、一時期はやったオカルト学説「地球空洞説」そのものです。
 地球空洞説とは、「地球の地下は、マントルや核などがあるのではなく、空洞になっている。そこには、小さな太陽もあり、地上にいるのと似た動植物が棲む。恐竜やマストドンなど、地上では絶滅した生物も、そこにいる」という学説です。二〇二〇年現在どころか、一九七〇年代であっても、学術的には、完全に否定されていたオカルト説です。
 が、フィクションに使うには、便利な説なのですよね。学説としてはトンデモでも、フィクションなら、大いにやっていいと思います(^^)

 『アイゼンボーグ』の地球空洞説は、『ボーンフリー』から引き継がれたものです。『ボーンフリー』の最終回では、地下深くに、中生代そのままの恐竜たちが棲む世界があることが描かれます。
 このあたりは、オカルトが流行した一九七〇年代の雰囲気が現われています。昭和五十年(一九七五年)に連載された漫画『はるかなるレムリアより』にも、地球空洞説が登場しましたよね。

 ガザリヤ星人としては、恐竜魔王ゴッテスと、魔女ゾビーナという、二人のキャラクターが登場します。彼らが登場するようになってからは、人類に対して、より激しい攻撃がなされるようになります。恐竜たちが手先になるのは、同じです。
 これに対抗するため、善と愛の二人も、大きく戦力を強化します。
 愛は、物語の途中で、事故で大量の電流を浴びます。これにより、それまで以上の超能力を身に着けます。具体的には、クレーン並みの怪力、高速走行能力、アイゼンボーという巨大ヒーローへの変身能力を得ます。

 アイゼンボーは、アイゼンボーグマン(になった善)と、アイゼンボーグ号(になった愛)とが合体して、誕生します。アイゼンボーは、アニメではなく、特撮で表現されます。ウルトラマンのような、特撮の巨大変身ヒーローです。日本のお家芸ですね。活動時間に制限があることも、ウルトラマンと同じです。
 アイゼンボーが誕生する前のアイゼンボーグ号には、3分30秒という活動時間の制限がありました。アイゼンボーは、もっと短くなって、2分20 秒の活動時間しかありません。

 怪獣化した恐竜といい、悪役の宇宙人といい、巨大ヒーローが登場することといい、活動時間に制限があることといい、後半の『アイゼンボーグ』は、ウルトラシリーズに似てきます。
 それでも、『ウルトラマンA』とは違って、変身する女性キャラの愛は、途中でリタイアしません。最終話まで、善と共に戦い続けます。
 それどころか、個人の能力で言えば、愛は、兄の善より、多様な能力を身に着けています。特に、物語の後半は、そうですね。愛がいなければ、巨大ヒーロー「アイゼンボー」が誕生することは、ありませんでした。
 最初から最後まで、愛と善と、二人が揃わなければ、『アイゼンボーグ』という物語は、成立しません。男性と同等以上に戦う女性キャラとして、『アイゼンボーグ』の愛は、忘れてはならない存在です。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、『アイゼンボーグ』を取り上げる予定です。



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