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魔法少女の系譜、その18~『魔女はホットなお年頃』~


 今回は、新しい作品を取り上げます。『魔女はホットなお年頃』です。
 これは、アニメではなく、実写(特撮)ドラマです。昭和四十五年(一九七〇年)十月から、昭和四十六年(一九七一年)三月まで放映されました。

 同時期の魔法少女ものとして、『魔法のマコちゃん』があります。この二作品の放映時期、昭和四十五年(一九七〇年)後半から昭和四十六年(一九七一年)前半にかけて、初めて、日本製のテレビ番組で、複数の魔(法少)女ものが現われました(『奥さまは魔女』など、外国製のテレビ番組を除きます)。
 このことからして、『魔女はホットな~』は、一九七〇年代の、第一次魔法少女ブームの先駆けとなった作品といえますね。残念ながら、二〇一四年現在では、ほぼ、忘れられた作品です(^^;

 『魔女はホットな~』のヒロインは、キツネです。人間に化けられるキツネです。「こん子【こ】」という名前が付いています。この名は、もちろん、キツネの伝統的な鳴き声「こんこん」から付いたのでしょうね。
 ヒロインの名字は、調べたのですが、わかりませんでしたm(--)m 情報をお持ちの方がいましたら、お知らせ下さい。

 こん子は、人間に助けられたことから、その人間に恩返しをしようとします。人間の女性に化けて、助けてくれた人間の家へ、お手伝いさんとして住みつきます。

 ヒロインは、人間に化ける以外にも、魔法が使えます。首から魔法のペンダントを下げていて、そのペンダントに口づけをすることで、魔法を使います。呪文は、唱えません。

 こん子自身は、人間を助けようとして魔法を使います。けれども、その結果は、必ずしも、問題を解決することにつながりません。むしろ、混乱を引き起こすこともあります(^^;
 全体的にコメディタッチで、問題が起こるといっても、さほど深刻なことにはなりません。笑って見られるドラマです。

 ここまで読んで、「ん~、どこかで聞いたことがある要素ばっかり?」と思った方がいるでしょう。
 その感覚は、正しいです。

 『魔女はホットな~』は、先行する魔法少女の作品から、大きな影響を受けています。
 そのうえ、日本の伝統的な異類来訪譚の形を、そのまま踏まえています。

 ヒロインがお手伝いさんなのは、『コメットさん』と同じですね。
 魔法のペンダントは、『魔法のマコちゃん』とまるかぶりです。この二作品は、ほぼ同時期の放映ですから、どちらかがどちらかを参考にしたのではなく、偶然、かぶってしまったのでしょう。
 女性が持ちそうな魔法の道具として、ペンダントというのは、思いつきやすいものだった、ということですね。

 この作品は、ヒロインがキツネという点が、そもそも、伝統的な日本の口承文芸にそっくりです。
 日本の口承文芸に登場する異類として、キツネというのは、とても平凡なものですね。

 キツネの女性が登場する口承文芸で、有名なのは、「葛の葉【くずのは】」伝説です。この伝説のプロットを見ると、『魔女はホットな~』に似ています。

 葛の葉伝説では、ヒロインの名前が「葛の葉」です。彼女は、人間の男性に助けられたために、恩返しをしようと、人間の女性に化けて、その人間のもとへやってきます。
 葛の葉は、人間の妻になって、子供まで産みます。良妻賢母として、男性(恩人)に慕われていましたが、ある時、キツネの正体がばれてしまいます。彼女は、子供も夫も置いて、泣く泣く、山へ帰ります。

 『魔女はホットな~』の最終回でも、こん子は、恩人のもとを去ってしまいます。
 ただし、それは、正体がばれたからではありません。しばらく恩人のもとにいて、「もういいかな」と彼女が思えたので去る、という感じです。
 こん子の行く先は、わかりません。こん子自身にも、わかっていないようです。なぜなら、彼女は、通りかかったバイクをヒッチハイクして、後ろの座席に乗ってゆくからです。行き先は、運転手に任せているようです。

 「キツネが、人間に助けられて、その恩を返すために、人間の女性に化けて、恩人のもとへ来るが、やがて、去る」点が、葛の葉伝説と、『魔女はホットな~』で、まったく同一ですね。
 違うのは、こん子が、人間と結婚しない点と、正体が最後までばれない点です。

 こん子がキツネだということは、秘密にされています。『魔法使いサリー』以来の秘密要素を、受け継いでいます。

 結婚しないので、『魔女はホットな~』は、異類婚姻譚ではなく、異類来訪譚ですね。
 「異類が、異界から人間界へやってきて、福を授けて、去ってゆく」という、典型的な異類来訪譚です。伝統的な口承文芸の枠組みから、一歩も外れていません。

 『魔女はホットな~』は、伝統的な口承文芸に、新しくできた「魔法少女」の皮をかぶせた作品といえます。魔法少女の皮をかぶった民話、といいましょうか。
 本作が放映された昭和四十五年(一九七〇年)~昭和四十六年(一九七一年)の段階では、まだ、伝統的な口承文芸の枠組みが強かったのでしょう。

 それが悪いと言うのではありません。子供の頃に見た記憶では、充分に楽しい作品でした(^^)
 それに、「お手伝いさん」や「魔法のペンダント」といった要素以外にも、新しい要素がありました。

 それは、「ヒロインに、明確な弱点があること」です。

 こん子には、「イヌに弱い」という弱点があります。イヌには、こん子がキツネだとわかる、という設定なのですね。
 この設定は、伝統的な口承文芸そのままです。口承文芸には、「キツネやタヌキが化けていた人間が、イヌに吠えられて―あるいは、襲われて―、正体を現わす」という話が、たくさんあります。

 古い枠組み(口承文芸)に、新しい皮(魔法少女)をかぶせてみたら、新しい要素になりました(^^)

 それまでの魔法少女には、明確な弱点があるヒロインは、いませんでした。「魔法が使える」というだけで、絶対的な強者ですよね。

 魔法少女の草創期には、「魔法が使える」だけで、視聴者は、満足してくれました。『コメットさん』の段階ですね。
 でも、それだけでは、だんだん、ドラマを作るのが、苦しくなってきます。一方的な強者が、その力を、一方的な弱者に向けて発揮するわけですからね。ドラマの幅が限られます。

 そのために、魔法の力に制限がかけられるようになってきます。『魔法使いサリー』で、「魔法の力は、秘密にしなければならない」制限が付きます。おかげで、「魔法を使いたいけれども、魔法をばらしてはいけない」という葛藤が生まれ、ドラマが深まりました。

 『魔女はホットな~』では、さらに、そこから、一歩踏み出しています。「魔法を使おうと使うまいと、ヒロインは、イヌを避け続けなければならない」制限が付きました。

 私が、このドラマを見ていた記憶では、まさに、これこそが、面白い点でした。
 ヒロインは、魔法が使える強者なのに、イヌを見ると、血相を変えて逃げ出します。イヌ好きで、イヌを手なずけるのが得意な私―当時は、ただのガキです(笑)―にしてみれば、「強いのに、イヌが怖いんだ~」と、愉快でした。

 「ヒロインに、明確な弱点を作る」のは、ドラマ作りという点では、成功したといえます(^^)
 しかし、なぜか、「ヒロインに、明確な弱点がある」設定は、のちの魔法少女ものでは、普及しませんでした。そういう作品は、ほとんどありませんよね?

 これは、魔法少女ものというジャンルを考える上で、非常に興味深いです。
 そうすれば、ドラマとして面白くなることが明らかなのに、その設定が使われないのには、必ず、意味があるはずです。

 「魔法少女に、弱点がないこと」については、今は、保留にしておきます。もう少し、いろいろな作品を考察してから、改めて、取り上げます。

 とりあえず、今回の考察は、ここまでとします。次回も、『魔女はホットなお年頃』を考察します。



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