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魔法少女の系譜、その166~原始もの、あるいは、ターザンものの話~


 今回は、直接、魔法少女とは関係しないジャンルの話をします。「原始もの」、あるいは、「ターザンもの」と呼ばれるジャンルです。
 直接は関係しませんが、間接的には、関係します。のちに取り上げる予定の魔法少女ものに、このジャンルと関係する作品があります。

 「魔法少女の系譜、その163」で、『原始少年リュウ』という作品を紹介しました。この作品は、「原始もの」、あるいは、「ターザンもの」の作品です。原始時代、または、現代であっても、文明の光が届かない世界を舞台にしていて、主役は、そこで、野生的な生活をする作品です。

 このジャンルの嚆矢は、何と言っても、小説の『ターザン』シリーズです。米国の小説家エドガー・ライス・バロウズが書きました。『ターザン』シリーズの最初の小説が出たのは、何と、一九一二年のことです。二〇二一年現在からは、百年以上前なんですね(*o*)

 小説がヒットしたために、映画化されることになりました。『ターザン』シリーズは、今や、ハリウッド映画の古典作品として、何度も映画化されていますね。
 中でも、水泳選手のジョニー・ワイズミュラーが主演した『ターザン』の映画シリーズが、大ヒットしました。今でも、ターザンと言えば、ワイズミュラーのイメージが思い起こされることが多いです。
 一定以上の年齢の方なら、子供の頃、「アーアアー」と叫びながら、「ターザンごっこ」で遊んだことがあるでしょう。あの叫び声は、ワイズミュラーの『ターザン』映画で生み出されました。原作小説には、ありません。
 とはいえ、今や、ターザンと言えば、あの叫び声が付きものですね。そのくらい、ワイズミュラーのターザンが、人口に膾炙しています。

 ワイズミュラーのターザン映画は、最初に封切られたのが、一九三二年です。二〇二一年現在からは、九十年近く前です。こんなに昔の作品なのに、いまだに、ターザンのイメージに、最も影響を与えています。

 ワイズミュラーのターザン映画が、いつ、日本に入ってきたのか、正確なことは、わかりません。原作の小説は、最初の作品『類猿人ターザン』が翻訳されて、早川書房から出たのが、昭和四十六年(一九七一年)です。遅くとも、この年には、『ターザン』シリーズが、日本人に知られていました。
 そして、『ターザン』に影響を受けた作品が、次々に生まれました。今では、「ターザンもの」という言葉が、ジャンル名に使われるほどです。

 『類猿人ターザン』の翻訳小説が出た昭和四十六年(一九七一年)は、まさに、『原始少年リュウ』の漫画連載と、テレビアニメ放映とが、始まった年ですね。『原始少年リュウ』には、『ターザン』シリーズへのオマージュと考えられる箇所が、いくつもあります。ここでは、そのうち二つを挙げましょう。
 一つは、リュウの肌が白いことです。リュウの周囲の人間は、みな、褐色の肌をしています。
 もう一つは、リュウが、「猿人」に育てられることです。

 『ターザン』シリーズの主人公ターザンは、アフリカのジャングルで育ちますが、白人です。英国貴族の子です。両親がアフリカに赴任したところで生まれます。
 両親は事故に遭い、彼が一歳の時に亡くなってしまいます。取り残されたターザンは、ジャングルで、カラという大型類人猿の雌に育てられます。ターザンという名は、養母となったカラが付けました。類人猿の言葉で、「白い肌」という意味です。
 やがて、立派に成長したターザンは、類人猿の群れのボスとなり、類人猿並みの体力と、ヒトゆえの知性で、ジャングルの動物たちの頂点に君臨する王者となります。
 ね? 『原始少年リュウ』が、『ターザン』へのオマージュに満ちていることが、わかりますね。リュウは、白い肌を忌み嫌われて、生まれ故郷の村を追われてしまう点が、大きく違いますが。

 日本で、「ターザンもの」の作品が作られたのは、『原始少年リュウ』が最初ではありません。少なくとも、昭和二十年(一九四五年)には、登場していました。紙芝居の作品として。

 それは、『少年王者』です。紙芝居だったものを、ある出版社が目をつけて、絵物語として描き直してもらい、出版しました。これが大ヒットして、その出版社は、少年向け娯楽作品の出版社として、大成長しました。今の集英社です。
 『少年王者』を看板作品として、集英社は、『おもしろブック』という少年雑誌を創刊しました。『おもしろブック』は、『少年ブック』に名前を変え、やがて、『別冊少年ジャンプ』に統合されました。
 つまり、『少年王者』は、こんにちの集英社の基礎を作った作品です。偉大な作品ですね。

 『少年王者』の内容は、以下のとおりです。
 主人公は、日本人の少年、牧村真吾です。彼の父親は牧師で、宣教のため、家族ぐるみでアフリカへ赴任します。ここで、真吾の母親は熱病で死んでしまい、真吾はライオンにさらわれて、行方不明になります。真吾は、雌ゴリラのメラに救われて、彼女に育てられます。
 数年の歳月が経つと、真吾は、体力・知力ともに優れた少年となり、ジャングルの動物たちの頂点に君臨する存在となります。

 二〇二一年現在でしたら、この内容は、『ターザン』シリーズに似すぎていて、「パクリだ」と問題になるでしょう。しかし、昭和二十年代(一九四〇年代後半)の日本の出版界に、そんな倫理観はありません(笑) 終戦直後で、何もかもがごたごたしていた時代です。娯楽に飢えていた日本の子供たちに、『少年王者』は、大ウケしました。

 前記のとおり、ワイズミュラーのターザン映画が、一九三二年に、米国で公開されています。それから、『少年王者』の紙芝居が始まるまでのどこかで、日本に、ワイズミュラーのターザン映画が紹介されたのでしょう。

 『少年王者』は、漫画ではなく、絵物語という形で出版されました。現在の漫画とライトノベルとを、足して二で割ったようなものです。ライトノベルより絵が多い物語ですが、漫画のようなコマ割りはありません。小説から漫画へ進化する途中のミッシング・リンク(失われた環)といえます。二〇二一年現在は、ほぼ、絶滅していますからね。

 『少年王者』の作者の山川惣治【やまかわ そうじ】さんは、絵物語作家として、一世を風靡しました。絵も文章も、山川さんが描き/書きました。
 『少年王者』が大ヒットしたため、これに似た作品が、再び、山川さんによって作られました。昭和二十六年(一九五一年)のことです。その作品は、『少年ケニヤ』です。

 『少年ケニヤ』は、産業経済新聞、今の産経新聞に連載されました。やはり、絵物語です。こちらも大ヒットして、最初は週一回の連載だったのが、毎日連載になりました。昭和二十六年(一九五一年)から、昭和三十年(一九五五年)まで、連載が続きました。
 大ヒットしたために、『少年ケニヤ』は、マルチメディア展開されました。といっても、一九五〇年代のことですから、限られたメディアしかありません。マルチメディアという言葉すら、存在する前です。
 まず、ラジオドラマ化されました。次に、実写映画化されました。
 テレビ草創期の昭和三十六年(一九六一年)から昭和三十七年(一九六二年)にかけて、実写テレビドラマ化されました。同時期に、石川球太さんの作画で、漫画化され、『週刊少年サンデー』で連載されました。

 一九五〇年代に華々しく活躍したあと、山川さんは、二十年以上も、不遇の時を過ごします。一九八〇年代になって、当時、角川書店の社長だった角川春樹さんに見出され、『少年ケニヤ』がアニメ映画化されました。山川さんの原作の絵物語も、一九八〇年代に、再版されています。

 『少年ケニヤ』の内容は、『少年王者』と似ています。
 主人公は、村上ワタルという日本人の少年です。舞台は、第二次世界大戦中の東アフリカ、ケニヤです。戦争が始まる前に、ワタルの父親の村上大介が、商社マンとしてケニヤに赴任し、家族もそれに付いてきます。
 ケニヤは、当時、英国領でした。このため、戦争が始まると、大介は、日本人が拘束されるかも知れない―英国と日本とが、敵同士ですからね―と考えて、家族を連れて、奥地へと逃げます。その途中で、ワタルは、家族とはぐれてしまいます。
 ワタルは、アフリカ奥地を一人でさまよううちに、マサイ族の長老ゼガや、白人の少女ケートに出遭います。彼らと一緒に、家族を探して、アフリカの大地を放浪します。たくさんの試練により、ワタルは鍛えられて、たくましく成長します。

 『少年王者』と大きく違うのは、ゼガとケートという登場人物が加わることです。この二人のおかげで、『少年ケニヤ』は、より、彩り豊かな物語となりました。

 ゼガは、白髪の老人ですが、強くて格好いいです(^^) 病気で倒れていたところを、ワタルに救われたため、ワタルに恩を返そうと、ワタルの親探しの旅に付き合います。ワタルに、アフリカの自然の中での生き方を教えてくれるメンターです。
 ゼガは、日本の少年少女向け娯楽作品で、非常に早くに現われた、善役の黒人です。

 ケートは、白人の少女ですが、幼い時にさらわれて、ケニヤ奥地の民族のもとで育ちます。さらったやつは、地元民の無知を良いことに、ケートを神さまに仕立て上げ、神さまの御託宣というていで、人々を操っていました。ワタルとゼガが、その境遇から、ケートを救い出します。ケートも、自分の親を探して、ワタルとゼガの旅に加わります。
 ケートが、『少年ケニヤ』のメインヒロインです。

 『少年王者』にも、「すい子」というメインヒロインが登場します。彼女は、主人公の真吾のいとこです。愛らしい少女ですが、伝統的な物語のヒロインらしく、基本的に受け身です。
 『少年ケニヤ』のケートは、一九五〇年代という時代を考えると、斬新なヒロインでした。まず、白人の少女がメインヒロインになるというだけで、当時の日本では、珍しいです。それでいて、アフリカの奥地の現地人のもとで育ったため、ヒョウの毛皮を着ています。そんな姿でも、美少女です。
 誘拐犯に脅されて育っているのに、彼女は、優しさや勇気を忘れていません。とても気が強く、危機に陥ると、自ら槍を取って戦います。いっぽうで、けがをしたゼガを介抱するなどの優しさもあります。
 最初にワタルと出遭った時には、ケートは、「神の領域に勝手に入るな」と、槍でワタルを脅します。今、見ると、典型的なツンデレですね。
 もちろん、一九五〇年代に、ツンデレなどという言葉は、存在しません。言葉がなくても、キャラクター造形としては、すでにあったわけです。

 白人少女のケートをメインヒロインにしたのは、『ターザン』シリーズのメインヒロイン、ジェーンに由来するのでしょう。ジェーンは、米国人で、白人の女性です。

 白人である点は、『ターザン』からそのまま取っているにしても、気の強さ、ツンデレぶり、毛皮を着た野性的な美少女ぶり、戦闘少女(の一歩手前くらい)であることなど、一九五〇年代の少女ヒロインとは思えない斬新さです。だからこそ、一九八〇年代にアニメ映画化しても、違和感がなかったのでしょう。
 なお、一九八〇年代にも、まだ、ツンデレという言葉は、存在しません。

 ケートは、超常的な能力は持ちません。なので、魔法少女ではありません。
 けれども、ケートの造形は、のちの魔法少女作品にも、影響を及ぼしています。

 例えば、これまで、『魔法少女の系譜』シリーズで紹介した中では、『紅い牙』シリーズに、その片鱗が見られます。
 『紅い牙』の主人公、小松崎蘭(通称、ラン)は、古代人類の超能力を受け継いだ魔法少女ですね。それとは別に、幼いころにオオカミに育てられたため、並みはずれた運動能力や、闇の中でも見える視力を持ちます。
 彼女の両親は、飛行機事故で死にました。その時、一緒に飛行機に乗っていたランだけが、助かりました。飛行機がどこに落ちたかは定かではありませんが、人里離れた場所であることは、確かです。そのために、生き残ったランは、長い間発見されず、オオカミの群れに拾われて、育てられました。
 この「かつて野生児だった」設定は、魔法少女作品の中に、時たま、現われます。

 魔法少女作品ではありませんが、美内すずえさんの漫画『はるかなる風と光』のヒロイン、エマも、「かつて野生児だった」設定ですね。自然豊かな南太平洋の島で、のびのびと育ちましたから。
 エマも、ちょうど、ケートと同じような「戦闘少女の一歩手前」状態の人です。

 二〇二一年現在ならともかく、昭和の時代には、「男性に対しても、自己主張できる女性」、または「男性と対等に動ける女性」を登場させるには、「かつて野生児だった」設定が、便利だったのかも知れませんね。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、「原始もの」、「ターザンもの」の話を続ける予定です。



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