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私は、こんな曲聞いてきた。(70s後半〜90s前半)

歌が大好きな子供だった。
小学校から自宅までの帰り道は歌をよく歌ってた。
ラジオ番組に好きな曲をしょっちゅうリクエストして、ラジカセ(!)でテープに録音した。
翼くんは「ボールは友達」というけれど、私にとっては「歌こそ友達」で、十分に大人になってもそれは変わらない。
歌はどんなものでも大体好きだし、歌を歌うと人と仲良くなれる機会が増えると思う。
自分自身の記録と記憶のために、好きな歌をあげていく。


雨の慕情 八代亜紀

昭和55年。私2歳。
昨年、八代亜紀さんの訃報があった際、手のふりをまねながら、「あめあめふれふれ もっとふれ」と歌っていた記憶が不意に蘇った。
当然歌の意味などわかっていないが、サビに差し掛かるとテンションが上がっていたのも思い出した。
2歳でこの曲は渋い。渋いがしかし、2歳にこの曲を本能的に歌わせ踊らせた八代亜紀はもっとすごい。

ロマンティックあげるよ 橋本潮

昭和61年。アニメ「ドラゴンボール」のエンディングテーマ。
ただしく80sの音がする。
この曲は音がこぼれ出してくる宝石箱のような印象があり、とても好きだった。当然、帰り道にはしょっちゅう歌っていた。
「ロマンティックあげるよ」なんて日常生活で言うことも聞くことも恥ずかしいと思ってしまうけれど、歌でなら恥ずかしくない。今聞いてみるとこの歌詞自体がロマンだ。

DESIRE -情熱- 中森明菜

昭和61年。
歌番組でこの曲を歌う中森明菜のかっこよさは、異常だった。
中森明菜が不世出の歌手なのは言うまでもないことだし、本当のことを言うと、この曲について私などが何かをいうのは烏滸がましいと思っている。
どんな言葉を尽くしても陳腐になる。語彙力のなさに絶望すらしてしまう。
この曲を語る時必ず想起されるのは、文楽のような衣装と髪型で、これは中森明菜自身のアイデアによるものと聞いている。もしかしたら、彼女は、自分を「人形」にしてしまい、歌の世界を演じ切ることで、この曲の魅力を最大限に表現できることを知っていたのかもしれない。
子供の私には、恐怖すら感じるほど美しかった。
今ならば、その恐怖は「畏怖」と言うとわかるのだけど、日本のメジャーシーンで「畏怖」をこれほどまでに表現できる歌手は、そう多くはない。

A DAY IN THE GIRL'S LIFE   TM NETWORK

昭和63年。TM NETWORKのアルバム「CAROL」の1曲目。
当時小学3年生で、年の離れた兄が買ってきたCDを一緒に聴き、この曲のイントロの幽玄さにうっとりとし、鳥肌さえ立った。
いまだにアルバム1曲目のイントロで、これを超える衝撃を受けたものは私にとってはない。
今でもこの曲を聴くと、初めて聞いた時の衝撃を鮮明に思い出す。
随分大人になってから改めて聞き直すと、このアルバムには小室哲哉の並々ならぬ情熱がこもっている。彼らにとって特別な作品なのではないだろうか。私にとっても今でもそうだ。

SKIPPED BEAT  KUWATA BAND

こちらも昭和63年。
小学生の私にとって、洋楽みたいにかっこいいメロディと曲、そして「スケベ〜スケベ〜」と繰り返すサビ。どう捉えていいのかわからなかった。
しかしかっこいいものはかっこいい。
このMV、色鮮やかな着物を纏い踊る芸妓さんの映像と、黒い服のKUWATA BANDの対比もかっこいい。実に日本らしい。
80年代後半の日本のミュージシャンは、洋楽に追いつけ追い越せという感じがして、作品にその努力の爪痕がしっかりと残っている。素晴らしくかっこいい。

パパの歌 忌野清志郎

平成3年。確か清水建設のCMに使われていた。
清志郎の声は今でも大好きだけど、子供の私にとっては、よもや人間の声だとは思えなかった。
誰にも真似できない唯一無二の声、歌だと思う。
「昼間のパパはちょっと違う」っていう歌詞も良かった。
子供は、仕事をしてるお父さんのことなんて全然わからない。お父さんに仕事のことなんて聞かない。
だけどこの歌が、お父さんがかっこいいということを最初に教えてくれた。お父さんにわざわざ聞かなくたって、そんなことを知っている自分がこっそり誇らしく思えた。
そして、お父さんたちを励ましてもいる。
子供にも、大人にも、本当に大切なことを知らせたこの歌は、物事を嘘なく見つめられる清志郎だからできたのだと思う。

思いの外長くなりそうなので、続きは別の機会に。
読んでくれた方がいたら、ありがとうございます。

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