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もしも願いが叶うのなら

どんな夢を叶えますか?

僕はもう会えない人に会ってみたいです。今だからこその話がしてみたいです。今日は父との事を書いてみようと思います。

怖かった父ちゃん

小さい時の父親は怒ると物凄く怖い存在でした。幼かった僕は専業主婦だった母っ子で、自ら近づいていく事は少なかったと思います。遅い時間に仕事から帰ってくるとご飯を食べて、風呂に入って横になる。家のことや子育てのことは普段は母ちゃんに任せっきり、ただ何か、ここぞってときは父ちゃんが出てきて僕らを叱ってくれました。怒られた時はめちゃめちゃ怖かったです。頻繁ではなかったのですがたまに雷を落とした日は、しばらくすると深夜のラーメンに連れて行ってくれました。バランスを考えていてくれたのでしょう。

ネット裏からの応援

中学校で野球部時代、下級生の僕は先輩の試合の審判を任されました。

僕のストライクやボールの判定に一部の先輩方が文句をたらたらと言い始め、僕は主審のマクス越しに冷や汗が止まらない針の筵状態に。
そして、ピッチャーが投げた球に自信なくストライクを宣告した僕に、案の定、罵声が寄せられた。

もう嫌。。そう思いそうになった時ネット裏から父ちゃんの声が聞こえたのです。

「入ってる!(ストライク)」と。

その空間で僕の味方をしてくれたのは自分のチームメンバーを含めて父ちゃんだけに思えるようでした。それがとても心強い支えになり気を持ち直したのを覚えています。

進学で、ぶつかる

田舎の6人兄弟の末っ子として育った父ちゃんはお金に苦労していたので僕が大学にいくと言った時、

「お金がないので考えて欲しい」と言われました。

ろくに勉強をせずに公立ではなく県外の私立の大学に下宿すると言い出した僕に対しての投げかけでしたが、幼かった僕は自分で努力することよりも、良く言えばただただ自分で決めたことをやりたかった。

父からすれば反抗する事しか出来きない親不孝な息子だったのかもしれません。

そのまま進路を変えずに進学し、連休で地元に帰った時に笑顔で迎えてくれた事は、とても嬉しかったです。

カナダへ

また、就職し4年が経ってからいきなりカナダに行くと言った時も、仕事を失う恐怖心が強かったのか
「せっかく今までやってきたのに。大学でとった資格を生かして福祉の仕事に再就職したらどうだ」と言われました。

その話も嬉しかったのですが、マインドが外に向いていた僕はとうとうカナダに出ました。

その時が近づいてきた

カナダ生活で1年半が経ち、当時の目標だったTOIECの900に達成する見込みが立っきた時に、家からの連絡で、

「父ちゃんが2ヶ月もたない」

とありました。達成するまでは帰国するつもりは無かったのですが、翌日の飛行機の空きを調べすぐに帰りました。

帰国後、入院していた病室に入った時、僕が帰ってきた事を知らなかった驚いた顔の父ちゃんを今も忘れられません。

会えてよかった。

他愛の無い会話でした。何を話したかは今となってはあまり覚えていないですが、本当に会えてよかったです。

また不思議な力を送ってくれた

一週間の滞在の後、宙ぶらりんになっていたやりたい事のために僕は父ちゃんに「じゃあまたね!」と伝えカナダに戻りました。

精神的に不安定だった僕を支えてくれた友の存在がカナダにあった事も一生の宝物です。

そして無事に目標を達成する事が出来ました。あれは何だったのか、試験当日は不思議なくらい英語を愉しむ事が出来ました。多分、何か力をくれたのかな。

「入ってる!」ネット裏から大きな声援を送ってくれていたのかもしれません。

お役目を終えました

その後帰国の為、全てを片付けている時に父ちゃんは旅立ちました。

あの時の喪失感は他には未だに経験した事がありません。いてくれて当たり前だった世界から父ちゃんのいない世界に入っていったのです。

会いにきてくれたんだね

それから何度か、夢か現実かどうか分からないですが会いにきてくれた事があります。

一番はっきり姿が見えたのは一周忌の法事の時、納骨するためにお骨の入った木箱から喉仏を取り出した瞬間でした。

何とも言えない感情になったのですが周りの目を気にして僕はこみ上げるものを必死に押し殺しました。あれは何だったんだろう。

翌日、仕事に行った僕は気の知れた仲間といつものように昨日のことを話し始めました。

「昨日は法事で親戚が集まったんだ。お寺の納骨堂に父ちゃんの骨を。。」

その時でした。何の予兆もなく、こみ上げてくるもの、抑えきれないもの、一体何が起こっていのか分からないほどの大きな大きなものが、グッと身体中を駆け回ったのです。

次の瞬間ハッと気付きました。僕は本当に父ちゃんに会いたかったのです。その心の叫びだったのです。

父ちゃんのお骨に、父ちゃんの魂があったので、そこで一年前に出来なかった最後のお別れの機会を父ちゃんは僕に作ってくれたのです。

ほんの数秒の出来事の後、僕は大粒の涙を溢していました。するとなんとですね、僕の父ちゃんを知らないはずの仲間の目にも同じものがあったのです。

聴いてみるとお若い時にお父様を亡くされた経験をお持ちの方で、それを思い出したと教えてくれました。通じるものがあるのですね。

もしも願いが叶うなら

父ちゃんへ。今ね会って欲しい人がいるんだ。今なら自由に好きなところに行けるだろうから地元から少し離れた場所に住むうちにも来てくれるよね。

僕にも家族が出来たんだよ。そして平成最後の日に、平成から贈り物としてうちに授かった娘が明日で1歳になるんだ。だんだん歩くようになってオテンバで手に負えない事もあるけど可愛くてしょうがないよ。

ああ、噂をすればその娘が起きたみたいで寝室から声が聞こえてきたよ。もう朝ご飯の時間だわ。今日もがんばろかな。きっと父ちゃんも同じような気持ちだったんだよね。

もうちょっとこっちで出来ることがあると思うからその時まで頑張ります。多分、今後もいろいろ悩む事もあるけど、もしよかったらまたネット裏から応援してください。

じゃあ、またね。

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