推しとオタク
ネットとかテレビとかメディアで最近、オタクという言葉が減ってきた、オタクに代わる言葉が出てきた。「推し」という言葉「オタ活」が「推し活」にかわるように、徐々に言葉が変化して来ている。
推しという言葉は、AKBなどアイドルグループが出てきたときに、生まれた言葉で、オタク同士の会話に「どの子がいい?」という意味でもある、「推し」と言う言葉はそれでは言い表せない、いろいろな意味が入っている。
最近では「推しの子」「推しが武道館にいったら死ぬ」など推しというオタクスラングが定着してきた。販促にも「推しの一品」など、台湾のドアのごとく(台湾のドアには「推」(押)って書いてある)推しだらけである。
オタク的な「推し」とは?
私なりに、分類してみました
推挙:運営にこの子をセンターに
布教:この子の良さを伝える
投資:ノベルティやCDを大量買い
応援:ライブなどでオタ芸を打ったりする
ただ、好きという言葉ではなく、いろいろな思いが入った言葉でもあるこんな重たい思いがが入った言葉である
「オタク」の語源って?
オタクという言葉は、昭和後期に出てきた言葉である。イベントなどで、名前の知らないひとと話す時に「おたくさん」と声をかけたことからできた言葉です。私もこの言葉を知った時が「高校生」の頃、35年間オタクと言われ続けてきた。がよいイメージがない。
最近、推しという言葉とオタクと言う言葉が融合されつつある。
言葉は時代で変化するのか?
言葉の変化をを感じるのが、「援助交際」という言葉を知っているだろうか、いわゆる売春である。売春だと、アンダーグランド感や犯罪を想像しあまりいいイメージが湧かないし、避けたくなる。最近では「パパ活」と呼ばれ、言葉が常に変化しつつある。
売春→援助交際→パパ活 昭和・平成・令和と時代によって変化しつつある。誰が言葉を変えるのか?その当事者が言葉を作り変化させる、「売春する女性」である。
オタクもそうだ、オタクの人が言い出した「おたくさん」である、けど言葉の変化があまりない 昭和・平成と「オタク」だ、言葉の変化がない
言葉は、当事者によって、浄化される
「パケ」この言葉を知っているだろうか?覚せい剤を小分けした袋の事である犯罪に関わるスラングは、第三者にわからないように、言葉を変える。
援助交際も同じで第三者にわからないようにカモフラージュするだけで罪悪感も薄めてくれる。当事者同士が言葉が罪の意識を薄め浄化させてくれる。ある意味傷のなめあいに近い、しかも、メディアで誰にでも声に出せる単語にしてしまうのである意味、恐怖を感じ、人々に蔓延り大衆化されるようで怖い
なぜ?オタクという言葉の変化がなかったのか
オタクの場合、言葉の変化がほぼなかった。考えてみると、言葉を浄化するという考えがなかったと考える。簡単に言うと「俺たち、日陰の身だし、嫌われてるし、だれも認めても理解もしてくれないぜ」と自浄作用がないのである。「援助交際」という言葉も、売春する少女たちが汚れていくことを感じて「自浄作用」で言葉がもっともらしい、綺麗でかわいい言葉になっていったと考えるのです。
推しという言葉
最近、オタクに代わる言葉として出てきた、「推し」、なぜ令和になって変化し他のか考えてみた。みんな大好き「多様性」である。オタクという単語は「陰キャ・モテない・コミュ障」など、ネガティブなイメージがあり、忌み嫌う傾向があったが、多様化により、どんな生き方でも許される時代になり、「オタク」と言う言葉が、浄化されつつあるのではと最近思う
女性オタクの時代
しょこたん(中川祥子さん)のおかげで平成後期から、「女子のオタク」が解放され、日陰いたオタク女子を日の当たる所へ連れてきてくれた感じがする。この頃からタレントやモデルなどの「オタクカミングアウト」が流行りだしてきた。
言葉の暗いイメージを変えようと言葉を変える傾向が女性にはある。言葉をいいイメージに変えることには長けている。今では、オタクはオタク男性だけのものではなく、化粧、コーデ、などの女子のたしなみになってきたと思うのです。
私のオタク専門の結婚相談所を運営してきていますが、男性も女性も「見るからにオタク」という人は少なく、「オタク趣味と結婚」というところにシフトしている。もう、オタクでもオタクでない時代が来たのである。私から観ると、古参オタクにとっては、良い時代になりすぎて寂しいのですが
推しの意味が、オタク=推し と変わりつつあるが、たぶんオタク同士ならオタクと言い続けるのだろう。対外的に話しやすい言葉になりつつある。
ビジネス的にも、言葉の変化というものを意識していかないと難しい時代が来たと感じている
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