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「いいね」はする側よりされる側の方が深く受け止めてしまう理由

皆さんこんにちは

TwitterはじめとするSNSには「いいね」などの評価ボタンがあります
このnoteというサービスにも「スキ」という評価の仕組みがありますよね

思い出していただきたいんですが、普段皆さんが他人のツイートやnoteにいいねをするときの気持ちはかなり曖昧で、本当にいいねと思ってボタンを押すのはまれで殆ど何となくでやっていることが多いと思います

ですが、「いいね」された時はどうでしょう。
自分の発信の内容に大きく共感を得られた気がしてとても嬉しい気持ちになりますよね?

そうじゃない人もいるかもしれませんが、「いいね」欲しさにありもしない情報を流したり、盛られた生活スタイルを投稿したり、ばえを意識した場所や食べ物をわざわざ体験しにいったりと、完全に「いいね」という承認欲求に満たすインセンティブに行動まで支配されてしまう人が少なくない数いるのは事実です。

もちろん、それが悪いことかどうかは分かりません。
ですが何故、「いいね」する側の気持ちとされる側に大きな気持ちの乖離が生まれるのでしょうか?


僕は、する側の「意図」がされる側に全く伝わらない仕組みが大きなポイントだと考えています。

少しずつ掘り下げていきます。
「いいね」はポジティブな行動であることは間違いではないが、どんな意図でされたかは伝わりません。

このようにポジティブであることは確定しているけど詳しくは分からないことをされると、受けては自分の中にあるかなりポジティブな状況から想定します。
男性の場合だと、女性に優しくされただけで自分に気がある可能性を考えます。もちろんその後瞬時に経験や理性から「考えすぎか..」とゆっくり現実に戻っていきます。
他にも、上司から軽く褒められただけでも「凄い!自分のことちゃんと見ててくれたんだ!」と上司の気持ちよりも大きくポジティブに考える人もいるでしょう。

もちろん期待しすぎて違ったら怖いという感情が沸いてポジティブに考えないようにしている人もいると思いますが、この場合も最初にポジティブに考えすぎてしまうが故のものですよね。

ですが確定でポジティブであろう行動の場合、受けては言う側よりもポジティブに考えますが
これがネガティブになると逆で、確実にネガティブな行動の場合は言う側の気持ちよりも受け手の方がよりネガティブに考えます。

例えば、する側は「いじり」くらいの認識だったとしても、される側は「いじめ」に感じるし
とても身近なところで言うと、LINEの「既読無視」もする側は特に意識をしてないが、される側はとても不安になる。

繰り返しだが、やはり行動が「ポジティブ」や「ネガティブ」が明確の場合において、その行動をした理由が明確でない場合は受けては現実的な想定よりも「大きくポジティブ寄り」か「大きくネガティブ寄り」に考える。

そう言う意味では「いいね」などの高評価システムは良くできている
する側の精神的ハードルはとても低いのに受け手側はとても気持ちよくなる。
もちろんシステムとして良く出来てはいるが、このことによる問題もあるだろう。※バカッターなどが起きるのも「いいね」や拡散機能の副作用といえる。

逆に言うと、少しでもネガティブ感のあることをする場合はある程度丁寧に説明してあげることでギャップを埋めなければならない。

ホラー映画などのエンタメに関しては、説明しないと不安になることを逆手に取って設計する場合もあるでしょう。

こういう事を改めて俯瞰で認識する事で、行き過ぎた承認欲求ハイから抜け出したり、過剰な不安感から抜け出すことで少しだけ楽になれる事もあるでしょう。

もしかしたら、新しいサービスや商品のヒントになることもあるかもしれません。

もう何年も前から言われていると思いますが、インターネットなどのある意味行き過ぎる可能性のある空間とはある程度1歩引いてみるスタンスは重要かもしれませんね。

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