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日本語の敬語はなぜややこしい?

昨日から始めた【ことばと文化】シリーズ。

第一回はこちら🔽

今日は、敬語と文化に触れていく。

日本語には、敬語が複雑という特徴がある。

学生時代、国語の授業で尊敬語・謙譲語・美化語・丁重語・丁寧語と聞いた時に頭痛がした人も多いのでは。

この種類の多さがまさにそのまま複雑さを表している。

敬語を使うことによって、人間関係を表現することや、身分や役割、立場などの上下関係を明らかにできる。


日本人は、関係性の違いを判断した上で、言葉の表現を使い分けてコミュニケーションを行う。


一方、中国語にも敬語表現が一応あるらしい。

ただし、表現する言葉の量や使用頻度は日本語よりも少なく、上下関係の違いによる言葉使いの差や違いも明瞭ではない。


ではなぜ日本語はこんなにも敬語システムがややこしくなってしまったんだろう?


日本の社会構造と敬語



遥か昔から、日本人の意識には

天皇日本人

という意識構造が根付いている。


昨日の記事では、自然が最上位で「人間は自然に従わなければいけない」と考えるのが日本人の思考だった。

天皇と人民は親と子の関係であり、天は言い換えれば自然の存在。

よって、自然を代表する天皇も最上の存在となる。


歴史的に見て、天皇制度が始まって以来どんなに時代が変わっても常に日本人は『天皇は日本の象徴』として仰いできた。


日本の上下関係は、時代が変化しても根本的に変わりがなく比較的固定しているのだ。


下は上に従順でないと失礼になる
下は上に劣等感を持つ
下は上に不満があっても諦める

このような上下関係の中に身を置いている日本人は、強い階層意識が形成された。

そのため日本は『タテ社会』と呼ばれることもなった。


つまり、日本人の頭の中に根付いた階層意識が敬語という言葉になって表面に現れているってことだ。

敬語を使う=階層意識の表れ
という図式になっているのが日本。

なんか妙に納得した。


じゃあ、他の国がどうなのか気になってくるところ。

前回の記事でも例に出た中国はどうだろう。


中国の社会構造と敬語


中国にも、若い人は老人を敬うという上下関係は存在する。

「子は親に従わなければならぬ」
「妻は夫に従わなければならぬ」

という思想も唱えられている。
なので敬語のような言語形式はある。


でも、前回言っていたように中国では自然に勝つために個々の能力の高さが求められる。

能力が高ければ高位に登れるので、上下関係は一定ではない。


さらに、日本とは違い中国では時代の変化に伴い国の最高位が変わる。

この辺はキングダムを読んでいる人はイメージしやすいと思う。

旧政権を徹底的に倒し、新たな社会の上下関係が形成されるのだ。

その旧政権を潰すためには血縁関係の力だけでは足りないため、ヨコの関係との繋がりを通して勢力を拡大する。


こうしたヨコの関係との確立は中国人に平等の意識を与えた。

加えて、近代に入ると男女同権や人間の平等という思想が広まったため、中国人の階層意識がさらに薄くなった。


絶対的な最上位がない
上下が常に変化するもの

という認識が強い中国人は、階層意識が薄いために日常的なコミュニケーションにおいても上下関係は重要視しない。

よって、常に上下関係に配慮する必要がなくなるとともに言葉の使い分けの必要性も低くなった。


これが、複雑な敬語表現が中国語にみられない理由だそう。


文化を考える上で歴史は絶対に外せないと思うけど、敬語ひとつをとってもこんなに密接に関わってくるものなんですね。

びっくり。


まだまだたくさん、ことばと文化について面白い部分が沢山あるので明日も続きます。



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