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安心安全な場所


世間では新型コロナウイルスという
100年に1度のウイルスに掻き乱されていた頃。

私は、 職場と家を往復する
平凡な毎日を繰り返しながらも
社会人5年目を迎えていました。


そして、
ステイホームで内観する時間が増えたことで、



『今の職場での自己成長はもう天井寸前。
自己成長し続けるためにも、淡々と過ぎる
日常に飲まれていては何も変わらない!
もうそろそろ変わらなくちゃ!』



という思いが日増しに強くなり、

コロナ禍の収束を待ち続けて貴重な時間を
消耗していく日々を断つことを決心し、

20代のうちに出来ることをしようと
家から一歩外を出て行動することを
タスクに置くようになりました。

☑︎ステイホームをしていない知り合いに会う
☑︎ゲストハウスやカフェに行く
☑︎自己啓発本を何十冊も読む

、、、とにかく色々とアクションしました。


すると、
コロナ禍は見事に行動する人しない人を
二極化に分断する世の中になっていました。

家の一歩外に出たことで、
年齢も職業も出身地もバラバラ、

でも、
引き寄せのように出会うべくして
出会ったというような素敵な人たちと
光栄にも出会う事が出来ました。

そして、
このきっかけから「個」として生きる
ライフスタイルに興味を持ち始め、

資格や肩書きの枠に留まらず
多方面に活躍されている方、

唯一無二のクリエイティブな仕事をしている方、

自分と全く接点のない業界の方まで、
とにかく幅広く影響や刺激を受けていきました。



すると、次第に自分は、

本当は何をやりたいのか、
何にチャレンジしたいのか、
どんな世界(業界)に興味があるのか、

ということを自問自答するようになり、

それらについて
考えない日はないと言えるくらいまで
常日頃、常時考えるようになりました。


今と180度違う仕事をしている自分を
想像してみたり、

日本を飛び出してもっと広い世界に
触れてみたいという好奇心が湧いたり、

あれもこれもやりたいという欲が
いつもひっきりなしに頭の思考を
巡らせるようになりました。

すると、
時が経つにつれてコロナ禍で
引き寄せのように出会った行動している人たちは

潔く仕事を辞めたり、
居住を変えたり、
海外に行ったり、

とにかく今の自分に満足せず
果敢にチャレンジする勇気ある行動を
まさにしている人ばかりでした。


一方で、肝心な自分は、

いまだに行動に移す一手が何なのかを
探してはもがくようになり、

『周りに置いていかれる』

『自分も変わりたいのに何から行動したらいいのか分からない』

と見えない敵に焦るようになっていきました。


でも、

そんな中でも人前にいる自分は
俗にいう 「意識高い系」と周りの目には映り、

次第にそんな自分にも自惚れて、
自分は他の人とは違うと、

次第に行動は伴っていないのに
口だけは一丁前に壮大な夢を語る自分が
形成されていきました。

しかし、

出る杭は打たれるのごとく、
壮大な夢を語るほどに、

『色眼鏡でキレイに世界を見過ぎだ』

『現実はそう甘くない』

と否定的な鋭い意見を浴びて
心を痛める事も度々ありました。


そうして、


未来の自分を考えれば考えるほど、
夢を語れなくなり、

自分の本当の気持ちを心の底に潜ませることが
日常化していきました。


本心が曖昧になると鬱積していき、

どこに向かっているのか、
現在地はどこなのか、
そもそも自分がどう在りたいのか、、、

慢性的にグルグルと
自分で自分が分からなくなっていきました。

自分で自分が分からなくなると、
人間は外側に目が散ります。


そして、
外側の世界と比較することで、
自分の住む世界は
モノクロのように色褪せていきました。

引き換えに、
憧れたり羨ましいと思うSNSの世界ばかりに
流されていくことも習慣化し、

色眼鏡で見ている
鮮やかなフィルター越しの世界が
世の中の全てだと思い込み、

自分のモノクロの世界とのギャップに
行く当てもない恐怖と不安で
押し潰されそうになりました。


だからこそ、
自分の目に映るモノクロの世界を
伏せて隠すようになり、

さも鮮やかな場所に身を置いているかのように
取り繕うようになりました。

承認欲求にまみれて
世間に一目置かれようとすることで、
本来の自分じゃない見掛け倒しの自分が先行し、

自作自演するかのように
その自分に追いつこうと必死になり、

鎧を纏えば纏うほど
本来の自分を置いてきぼりにしていきました。

すると、
どんどん漆黒の闇に吸い込まれていくように、
自分で自分が分からなくなっていきました。

この渦中の心境は、
今思い返しても、本当にしんどかった、、、。



そして、
オンライン面接をして行く寸前まで決めていた
兵庫に転職する道も、

留学センターに4ヶ月通ってあとは
行くだけだったワーキングホリデーの道も、

自分で掴み取った道なのに
自らその道を降りてしまうほど、
人生の方向性が分からなくなっていきました。

踏み出そうと思うほどに
足がみるみる踏み出せなくなり、

出口が見えないほど長くて暗いトンネルの中に
ポツンと取り残されたような孤独を味わい、

自分の人生はこれが全てだと思い込み、
結局コロナ渦で環境は何一つ変わらないまま、
同じ職場で悶々と過ごしながら、
気づけば3年間の月日が過ぎていました。  



そんな中、

色々とタイミングが重なって、
大学からの親友から対面で
コーチングを受ける機会があり、
すがるような思いで東京に行きました。

今でも忘れもしない、、、。



未来の成功が100%確約されているとしたら
あなたは何をしたい? 。

まさに、
外側をグルグル巡回していた自分に、
忘れていた本来の自分へと導く
痛い内側を突き刺すような、
自分では一生かけても気づくことが
出来なかった深い問いでした。


そこで、

やっと自分の中からふと絞り出した答えが


「セラピストとして在り続けたい」

という消えそうで消えていなかった
細く小さい灯火のような希望の気づきでした。



そして、またしても
偶然であり必然なようなタイミングが重なって、

繋がりのあったヨガ講師(ゆかりさん)から

『今、ヨガのコミュニティを作っており、
お試しのトライアルが始まります。
是非来て欲しい。』

という貴重な誘いを受けました。


ヨガを通して
身体を動かしながら自分の内観を
シェアしたりジャーナリングしたり瞑想したり
するという、

6ヶ月限定のメンバーシップコミュニティ。



正直、この誘いを受けた時は、

今の自分が変わる予感も、
期待も、
自信も、
何もありませんでした。

それくらい自分に
寄り添うことすらできなくなっていました。

しかし、
今の自分を脱却するためには
何かしらの今までとは明らかに違う
大きな変化が必要で、

身を置く環境を変えることには
特別な躊躇はありませんでした。


新しい習い事を始めるような感覚で、
今までも興味があったヨガというものに触れて
みるのは悪くないかもという軽い気持ちで、
百聞は一見にしかず!と思い、
まずは体験会に参加してみることにしました。

すると、
初めてのコミュニティの体験会に参加した、
まさにその時。

私は人生で初めての経験をしました。


それはまさに「安心・安全」という場でした。


名前も性格も知らない
初対面のメンバー皆で座って円になり、

年齢も職業も言わない、
自分自身の自己紹介をし合うというワーク。

もちろん
参加したメンバー全員が初めてのことで、
困惑した面持ちで、

ソワソワとした緊張が伝わる空気感、、、。

しかし、

その空気感を
少しずつ和らげほがらかにしていくような
ヨガ講師お二人の言葉と立ち振る舞い、
そして場づくり。


「肩書きもラベルもいらない」
「何者にもならなくてもいい」
「正解も不正解も、良いも悪いもない」
「そのままのあなたで」
「ありのままの心の声で」

そして、

順番に横並びで話していくと
自分の出番になるにつれて
緊張して相手の話が入ってこなくなるから、

当てられたら話すリレー形式にしようという
思いやりのある優しい提案から、


【ただ人の話を全力で聞く】

【湧き出る思いをそのまま話す】


をお互いに全員でし合い、

いつも人前での発言は声が震えがちで、
心より頭の反応が器用で、
上っ面な言葉を並べてしまう万年の癖が
コンプレックスでもあったが、

(それすらもそのままでいいと言われ)

いつもより落ち着いたトーンで
頭ではなく心から湧き出る言葉だけを

出す、話す、
そしてそれが話せているという感覚が
自分にもその時確かにあり、

今までにない感触に、
ここで6ヶ月かけて一つ一つ地道に
鎧が外れていけば

少なからず今よりも
本来の自分を思い出して何かが変わりそう、

という直感だけを持ち帰り、
体験会が終了して
すぐに参加することを決めました。


そこから6ヶ月に渡って始まった、

☑︎週4回
6時からのオンライン30分の朝ヨガ

☑︎週1回
対面の集い
(ヨガ・ジャーナリング・シェアタイム)  

☑︎週1回
オンライン哲学勉強会
(ヨガ哲学・シェアタイム)


このコミュニティを通して、

ヨガに触れて身体からオープンハートを作り、
マインドフルに「今」 に全力でやり抜く練習を

マットの上でも外でも日々の日常に落とし込み、

良い時も悪い時もただ ひたすらに継続し、

湧き出る感情は思う存分
ネガティブもポジティブも全てを吐き出し、

安心安全な場所で、
一つ一つ硬い蓋を解放していき、
ありのままの自分を思い出そうと
過ごしていく中で、

徐々に、
頭ではない身体から
腹落ちして気づくことを経験し、

心の奥底に眠っている自分の思いが
溢れてきたり、

こんな感情の源泉があったのかと
びっくりするくらい言葉を詰まらせるほど
止めどなく涙を流したり、

もがいてもがいて
原点の自分に還っていくという経験を

今年4月から、6ヶ月間かけて、

泥臭くも
一つ一つ積み重ねて
長い道のりをかけてやり抜きました。


家族にも

気の許す友達にも

今まで誰にも話してこなかった



内面からのシェアを通して、
それがメンバー全員
一人一人にも浸透していき、


それぞれが自己受容し、

地に足をつけていく。



経過も、

スピードもそれぞれ、

皆違って皆良い、

ただひたすらに自分と向き合う、

、、、、その練習。


このコミュニティの場はまさに
「安心安全な場所」そのものでした。

こんな場に身を置いた6ヶ月を通して、


転職をせずとも、
海外に行かずとも、
遠くのどこに行っても
きっと成し得なかった、


自分自身に還る
という経験をすることができました。

そして、
今はしっかり地に足をつけて、
自分の力で立ち、
一歩一歩確実に踏み出して前に歩いている、

だから大丈夫!

と自分に寄り添える自分が今はちゃんといます。

自分で自分が分からずに
モノクロに映っていた世界は、

嘘みたいに色鮮やかになり、


人は人。
自分は自分。
人の魂は生きれない。

だから

自分の魂が
今世で何をしたいかだけを研ぎ澄まし
その声を見過ごさずに選択し、
自分だけの人生を歩み行動していく。


しんどくて疲弊し切っていた
コロナ禍の3年間が、

安心安全な場所との出会いから、
まさか6ヶ月後にこんな自分がいるとは
全く想像していませんでした。


だから
私はこれから私自身が経験した

「安心安全な場所」を

もっともっと
コロナ禍の自分のように

"自分で自分が分からない"
という人にこそ広げていきたいです。



end.

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