見出し画像

夢のような人生

16歳の夏休み。
その日は1ヶ月のホームステイを終え、自身にとってはオーストラリアで過ごす最終日。オペラハウスへ向かう、その前に立ち寄ったシドニー市内のマーケットで、ターコイズブルーの、ペンダントを見つけた。


数々の露店、数々の品物が並ぶうちの、一つ。小さいけれども、惹かれるものがあった。目が釘づけ。心が虜に。散歩がてらマーケットとはどんなものなのか、みて楽しもうとしていた当時の自身からすると、若干値段は張った。でも迷っている時間もなかった。もう出会えないだろう。明日の帰国が決まっている自身は、日本へ持ち帰ることを、即決した。


以来、何度見ても、飽きなかった。ずっと、見ていられる、見るとなんだか吸い込まれるような不思議な気持ちになった。手で触ると、なんとなくウキウキした。


ただ、アクセサリーとして直接肌にのせるには、自身の肌の色が暗すぎた。似合わないから、結局一度も身につけることはなかった。


でも大人になって、ヨーロッパへ1人旅へいくとき、キーホルダーのように黒いリュックにぶら下げていくことにした。これなら、自分のリュックが誰かのと間違えられることもない。


宿泊場所であるスイスに到着し、2日目にはボートで湖を渡り、国境を越え、フランス、イボワール村に到着した。

綺麗な湖だった。
村沿いのレマン湖の色味と、ペンダントの色味が、本当にそっくりだった。


そして村は、人間が住むことのできる、夢のような場所だった。中世の面影が残る石畳を覆うような緑に、さんさんと降り注ぐ強い日差し。至る所にお花も咲き誇り、ファンシーさも兼ねそろえた、水辺の村。
本当に、夢のような場所だった。


そして、そんな感じで、
夢のような人生だった
って、本当は、思っていたい。


日々、夢の中を、生きていたい。

振り返ると、辛く俯きながら過ごしたホテル時代だって、日本語を使うことにいちいち罪悪感抱きながら過ごしたカナダでの日々だって、全部、

時間がたてば、

あの日々は夢のようだった

って思える。



当時はそんなことを知らずに、
ただただ目に映る景色を、
見ているようで、見えていなかった。


それくらい、自身の意識がずっと、自身の内に向いていて、気持ちや思考が、ぐるぐる、ぐるぐる、頭も心も支配していたから、、。


今日の私の目に映る景色は、いつかの私にとって夢の
日々の最中であろうか。

今も、思考に生活が支配されることは多々ある。
きっと、今の当たり前が当たり前じゃなくなって、普通が普通じゃなくなって、はじめて今日のこの日が、目の前に映る景色が、夢であることを実感するのだと思うけれども。


それでも以前よりも、1日1日に重みを感じて、怖さも感じて、いつかはこの世界からいなくなってしまうことも感じながら、日々、過ごしていると思う。1日1日をなるべく、テキトウに生きるのでなく、味わいたいとも思っている。
自分の満足度を高めるには、どうするのが正解なんだろう、、どうしたら後悔せずに生きられるかなって、いろんなことがどうでもよくなったときに、それでもどうでもよくないことが本当に自身がやりたいこと、、なんだろう
なあって 本当はそこにだけ無心で注力したいのかもしれない、でも怖さのほうがまだ、勝っているのだろうな。



あの日あのペンダントをどうして見つけることができただろう。どうして、それと似たような色味の場所やものに、自身は強く惹かれるのだろう。



あの日のレマン湖はきらきらと、輝いていた。スイスへの帰り道、ボートに揺られ、7月の風に吹かれながらつらつらと、ペンが動くままに書き連ねた。それまでにないくらい、最高に心地良く、自分的には極上の時間だった。


この記事が参加している募集

#夏の思い出

26,339件

#探究学習がすき

7,472件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?