見出し画像

ぼくたちはなぜ「名前」で仲良くなれるのだろう


真面目に「ひややっこ」が本名になりかけた

オシロ社内コミュニティツールとして「OSIRO」を使っている。
そのプロフィールページ、コミュニティネームは「ひややっこ」

ぼくはコミュニティのなかで活動するときに、ペンネームのように「コミュニティネーム」を使用している。その名も「ひややっこ」。このコミュニティネーム、じつは本当に本名になりかけた名前だった。

ぼくの母は冷や奴が大好物で、ぼくがまだお腹にいたときに、冷や奴しか食べることができなかったと聞いた。そういった経緯から、母は冷や奴に大好物以上の感情を抱くようになったのか、息子の名前も冷や奴にしようと本気で考えていた。嘘みたいな話だけど、母はいたってまじめだったらしい......(笑)。

幸いなこと(?)に、役所に「杉山ひややっこ」(漢字であったか、ひらがなであったかは定かではない)と書かれた出生届が提出される前に父が止めてくれたため、ぼくは「博一」という名前を付けられた。

もしも「ひややっこ」が本名だったら、ぼくの人生はどんな風になっていたのだろう。DNAや根本的な見た目に違いはないとはいえ、おそらく「博一」で生きてきた人生とは違う経験をし、今のぼくとはまったく違う自分になっていたんじゃないかと思う。生まれてすぐにあった「博一」と「ひややっこ」という名前の分岐点。ぼくはそこに切っても切れない縁を感じていて、コミュニティネームは「ひややっこ」で通している。

名刺のA面に「御城」の名字を入れる理由

名刺A面は「御城博一」、B面は「杉山博一」

名は体を表す。そう、名前はアイデンティティの一部だと思っている。

ならば、もっと今の自分を体現するような名前を付けてもいいんじゃないか。今の自分にとって、一番のアイデンティティであり、愛情を持っているのはオシロだ。プロダクトをつくり名前を「OSIRO」にした。その後法人化する際も迷わずオシロ株式会社にした。人生をかけてオシロをやっていることもあり、自分の名字を真剣に「御城」に改めたいと考えた。

ぼくにとってのA面は「御城博一」であり、強いアイデンティティを感じている。だからこそ、オシロの名刺のデザインは、表面の名字を「御城」にした。裏面は本名の「杉山」である。

これには、もうひとつの想いを体現している。ぼくは社員一人ひとりを家族のように思っている。家族なら苗字が同じであることは自然であるし、社員にも、オシロで働くという「A面」に、自身のアイデンティティを感じてほしい

これだけたくさんの企業があるなかでオシロという会社を選び、同じ志でともに働いてくれている大切な社員と、ぼくはもっと仲良くなりたい。社員同士も仲良くなってほしい。だからこそ、創業2年目の2018年ごろから会社起点で見た「A面」には御城の名字を、「B面」には本名を記載している。当時名刺管理のスタートアップSansanに在籍していた友人には、「これまで見てきた名刺で一番ユニークだ(笑)」と言われた。

「同じ名字になることで、何の効果があるの?」と疑問に思う人もいると思う。

しかし、ぼくは身近なところで「同じ名前」の力を知っている。

名前が同じだけでも、人と人とは仲良くなる

ぼくの友人に、田中宏和さんという人がいる。彼は、同姓同名のコミュニティ「タナカヒロカズ運動」の発起人だ。

タナカヒロカズ運動は、かつて全国178人のタナカヒロカズさんを集めて「同姓同名の最大の集まり」としてギネス世界記録にも認定されていたこともある。その人数は増え続けていて、今では250人を超えるとか。

2024年7月、タナカヒロカズ運動はコミュニティの域を超えて「タナカヒロカズ株式会社(タナカヒロカズカンパニー)」となった。最初は同姓同名の集まりであったのが、やがてギネス世界記録に認定されるほどの動員力と結束を持ち、そして今度は起業までしてしまった。しかもその人数は今も増え続けているというから、驚嘆のほかない......。

姓名どちらかが同じこともそれほど多くないのに、苗字と名前が同じというのは、確率的にもだいぶ低い。苗字と名前が同じというだけで、人と人とは仲良くなれる。それは、 自分の名前は大きなアイデンティティにほかならないからだと思う。

しかし、名前が同じだからといって見た目や性格も同じではないし、どんな人生を歩んできたのかも人それぞれ。それが、名前が同じというだけですぐに仲良くなってしまい、それぞれの違いを受け入れて、個性を発揮できる場にすらなっている。

では、なぜぼくたちは名前が一緒というだけで仲良くなれるのだろうか。

アイデンティティには「ポートフォリオ」がある

ぼくは、自分自身が持つアイデンティティには「ポートフォリオ」のようなものがあると思っている。

例えばぼくの場合、アイデンティティの半分はオシロで占められているとして、4分の1は名前。では、残りの4分の1はなにで占められているのかというと、ぼくは「アイデンティティの種」なんじゃないかと思っている。

それは例えば、「ニュージーランドが好きだけど渡航できていない自分」だったり、「いつかハーレーに乗りたいけどまだ乗れてない自分」。そんな感じで、自分のアイデンティティの中ですでに大きく育ったものもあれば、まだ小さく、萌芽を待つ種もある。しかし、その小さな種は自分一人で大きくしていくことは難しく、芽を出し育てるための「土壌」が必要だ。

アイデンティティを形づくる構成要素の比率を考えたとき、どんな人でも自分の名前は結構、大きなシェアを占めるものだと思う。だからこそ、人は名前が同じなだけで仲良くなれる。それが同姓同名ならなおさらだ。

アイデンティティのシェアと「所属」

名前が同じ人に親近感を覚える。その背景には「所属」も一因なのではないか。例えば、名字はどの家族(や一族)に所属していうるのかを示すことが始まりで、名前は自分自身の存在を言語化したものといえる。だからこそ、同じ名字である人にはどこか連帯感を感じるし、そこからさらに個別的な名前が一緒であれば、より私的な共通点を覚えるのだろう。つまり、人と人とが仲良くなること、無意識に所属すること欲しているためなのではないだろうか。

会社への「所属」も、本来は大きなアイデンティティになる要素だ。だから、ぼくはオシロに限った話ではなくて、他社でも同じ会社で働く人同士は仲良くなりやすいものだと思っている。しかし、現代では多くの企業が社員とのエンゲージメントやコミュニケーションで悩みを持っている。その大きな理由は、社員同士が「本来もっと仲良くなれるはずなのに、そのような仕組みができていない」ことにあると思う。

その解決手段が、今ぼくたちが実践している「B面」社内コミュニティだ。

2024年7月31日。株式会社YRK andさんとの共催セミナーに登壇する。講演タイトルは「『組織力強化』成功の鍵 社員コミュニケーションの『A面』と『B面』とは?」。

サムネイル作成・提供:株式会社YRK andさん

社員同士のコミュニケーションやエンゲージメントの向上に、なぜ社内コミュニティが必要なのか。そして、オシロが提唱している社員コミュニケーションにおける「A面」と「B面」のあり方について、セミナーの場でより詳細に説明していきたい。企業の経営層や組織開発を担う方々には、きっと新しい発見を提供できると確信している。

セミナーの詳細はこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?