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#5|ニュージーランドの海辺でのシンプルな暮らしから学んだこと

コミュニティは、人生をより豊かにする居場所となるー。
「偏愛物語」とは、オシロ代表の杉山博一が「偏愛」を紐解く連載企画。
第5回は、ニュージーランドと東京の二拠点生活、そして「I HAV.」を開発した当時を振り返る。

四角大輔と知り合ったのは、2009年の年末だった。

それまで面識はなかったが、きっかけとなったのは、実業家で作家の本田直之さんのウェブサイトだった。
ぼくはそのころ本田さんのウェブサイトなどトータルでデザインさせてもらっていて、それを見た四角が「誰がデザインしたのだろう?」とぼくが当時メインでやっていたデザインコンサル会社のHPにたどり着いたようだ。そして会社の思想・理念に共感し、連絡をくれた。

そのころ四角は長年勤めていたレコード会社を辞めて、ニュージーランドに移住する直前だった。すでに日本とハワイを行き来していた本田さんを、二拠点生活の先輩としてフォローしていたのだろう。

四角も会社勤めから独立して活動していくために、ロゴから、名刺、ウェブサイトまでを制作してくれるデザイナーを探していたのだ。

そこでぼくに依頼をする…のではなく、「デザインコンペをしているから参加してほしい」というところから始まった。
彼のまわりには名だたるデザイナーさんがたくさんいて、みんな彼のこれからのクリエイティブをデザインしようと手を挙げていたようだが、なかなかしっくりくるデザイン案がなかったらしい。

そこでぼくは彼の考えである、湖畔と東京を行き来するノマドを反映させたデザインを提案したところ、四角のイメージにぴったり合ったようで、以来デザインパートナーとしてやっていくことになった。

四角大輔と

デザインをしていくうえで、四角の考えていることを整理したり、コンセプトやパーソナルブランディングを一緒に考えたりするところから取り組んだ。

二人ともやっている分野は違えど、お金のために何かをするというよりも、世の中が必要とするものをつくる、という点では共通していたので、より分かち合うことができたのだと思う。

また、当時たまたま近所に住んでいたことも大きかった。
朝、近所の緑地を散歩していると出会ったり、何の用事もないのに四角がぼくのオフィスに来たりして、自然と心理的距離が縮まっていった。もしオンラインだけでやりとりしていたら、いまのように親友という関係にはならなかっただろう。

ニュージーランドでの暮らしと気づき

ぼくがニュージーランドに移住したいと思うようになったのも、四角の影響だった。四角は会うたびに、仕事ではなくニュージーランドの話ばかり。しかも相当に熱量高く語る。

最初は聞き流していたが、偏愛するニュージーランドの魅力をずっと浴びているうちに、まったく興味のなかった国だったが「一度ニュージーランドに行ってみたい」と思うようになっていった。

まずは試しに妻と渡航したところ、なんと妻のアトピーが2週間で治ってしまったのだ。それ以降、ニュージーランドに頻繁に通うようになり、四角家で共に暮らすうちに、自然と移住を考えるようになっていった。

もちろん、ぼく自身もニュージーランドをどんどん好きになっていった。
とくに人がものすごくよかった。
英語ができないとかアジア人だからといって差別されることもなく、現地に住んでいる日本人とも気が合い、一年のうち半分近くニュージーランドで過ごす生活が4年ほど続いた。

当時暮らしていたキャンピングカーと庭

ニュージーランドでは海辺にキャンピングカーを置いて生活していた。
30歩も歩けば砂浜。朝は淹れたてのコーヒーを飲みながら海辺を散歩し、昼間はリモートで東京のデザインコンサルのやり取りをして、夕方は海で泳ぎ、夜は徒歩圏内のスーパーマーケットで活きたムール貝を買ってきて調理して食べる…。
生活費もあまりかからなかったので、必死に働かなくても自分たちらしく過ごせていた。

そういう生活は、楽しかったしストレスもなく満足していたが、自分中心の生活に思いっきり振り切ってみたものの、心のどこかで「もっと志のあることに燃えたい」と感じることがあった。
誰もやっていない、社会に求められていることに取り組みたい、と。

お金を介在しない世界で、お金の必要性を感じた

そんなある日、四角とニュージーランドの湖畔をジョギングしていたときのこと。
ぼくらは散歩しながら課題や身の回りのことをよく話していたのだが、その日は共通の友人でイラストレーターであるタカヒロが「描きたい絵を描きたいだけ描いて暮らせたらいいよね」という話になった。

どうしたら絵だけで食べていけるかな。
絵を描く代わりに食べ物や服、住むところと交換できたら、生きていけるよね。
そうだ、物々交換のサービスをつくれば実現できるかもしれない!

アイデアを形にすべく、ぼくは日本に帰国してすぐにこの想いを資料にまとめ、ともにサービスをつくってくれる仲間を集めた。

「I HAV.」の開発チーム

こうして誕生したのが、シェアリングエコノミーサービス「I HAV.(アイハヴ)」。オンライン上でお金を介さずに貢献(ギフト)する人と受け取る人をつなぐプラットフォームだ。2012年から開発をはじめ、2014年にローンチした。

「I HAV.」を通してタカヒロのように自分のやりたいことで暮らせる人が増えたら…と思っていたが、実際には難しかった。

貢献してくれる人もいたが、受け取るだけの人も多かったからだ。
またお金を介在しないがゆえにマネタイズが難しく、資金調達することも考えていなかったので、サービスをどうやって継続させていけるかが課題となった。

お金をショートカットすることを試みたが、この資本主義のなかで生きていくには、やっぱりお金が必要だということを認めざるを得なかった。

開発は自宅のマンションの一室で始まり、その後空き家を借りて開発メンバーとで共同生活をしながら開発を継続した

1年ほどサービスを運用したが、継続が難しかったため、そして途中から開発がはじまった「OSIRO」に集中するため、「I HAV.」はクローズすることになった。

しかし「I HAV.」をやったからこそ、クリエイターにはお金の支援も、お金だけではない支援も必要だということがわかり、のちの「OSIRO」に大きく影響される経験となった。

このあとの出来事は1話でお伝えしたとおり。
次回は、「OSIRO」の大事な要素である”偏愛”仲間との出会いついて書きたいと思う。


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