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天命を受けてはじまった事業

コミュニティは、人生をより豊かにする居場所となるー。
「偏愛物語」とは、オシロ代表の杉山博一が「偏愛」を紐解く連載企画。
今回は、天命を受けるきっかけとなった出来事を振り返る。

オシロ社はクリエイターさんやブランドさんに対して、熱量の高いファンが集まるオウンドプラットフォーム「OSIRO」を提供している。
一方的な発信ではなく、双方向、横と横のコミュニケーションが活発になることによってファンコミュニティが育ち、クリエイターやブランドがクリエイティブな活動を続けるための土台となっている。

ミッションは「日本を芸術文化大国にする」。
この思いは、ある”天命”がきっかけだった。


文:杉山博一(すぎやま・ひろかず)
オシロ株式会社 代表取締役社長。
1973年生まれ。元アーティスト&デザイナー、2006年日本初の金融サービスを共同起業(2024年3月IPO)。2014年シェアリングエコノミープラットフォームサービス「I HAV.」をリリース、外資系IT企業日本法人代表を経て、2015年アーティスト支援のためのオウンドプラットフォームシステム「OSIRO」を着想し開発、同年12月β版リリース。

成田空港で、天命を受ける

オシロを設立する前、ぼくは1年のうち半分近くはニュージーランドで過ごすこともあった。そして、いずれはニュージーランドに移住するつもりだった。

その一方で、不思議と日本から離れるたびに、日本について考えるようになった。離れることで、自分のなかに積もっていた日本への思いが強くなったようだ。
それは、日本は経済ではなく芸術文化にシフトしないと生き残れないだろう、という危機感だった。

確かに日本は経済大国、技術では世界一になった。現在もGDPは世界第3位のトップクラスではある。が、成長率で見ると、世界のなかでは随分と低い。

もちろん、これを悪いことだとは思っていない。国の価値は、経済力だけではないから。
しかし、これまで経済力で存在感を保っていたのに、人口は減り、成熟し、成長しなくなったいま、日本の未来はどうなるんだろう?と危惧していた。
いまこそ、芸術文化立国として存在感を保つことにシフトするべきなのではないか。

たとえばイギリスは、20年以上前に「クリエイティブ産業」に舵を切ることで経済危機を乗り越えた。「クリエイティブ産業」とはデザインやファッションのほか、広告、建築、音楽、映画、ソフトウェアなどを活用して、利益や雇用を生むこと。実際に成果を出し、ポジティブな空気をつくった。

フランスにも企業が芸術文化活動を支援する「メセナ」という活動があるし、EU全体でも2014年に「クリエイティブ・ヨーロッパ」という文化産業への助成事業が始まっている。
そうした様子を見ていて、工業的な経済だけで生き残ることは難しいのではないか、と思っていた。

とはいえ、ニュージーランドに移住するつもりだったので、今後日本はどうなっていくんだろう?自分には関係ないけど…と、他人事のように日本へ思いを馳せていた。

一方で、ニュージーランドでは「これを成し遂げたい!」という大きなミッションが特になかった。
ニュージーランドに移住した親友・四角大輔(※)にニュージーランドの素晴らしさを教えてもらい、現地に通ううちに自分もここで暮らしたいと思い、「アイスクリームが大好きだからアイスクリーム屋さんでもやろうかな」くらいに考えていた。
もしかしたら、自分中心の人生を送ることに、違和感を抱いていたのかもしれない。本当にこのままでいいのか、と。

(※)四角大輔(よすみ・だいすけ):ニュージーランドに移住するために、レコード会社「ワーナーミュージック」を退社し、執筆家に。後のオシロ共同創業者。

ニュージーランドで過ごしていたときの様子

そんなある日、成田空港でハプニングが起きた。
妻と四角と一緒に、チェックインカウンターでニュージーランド行きの手続きをしていたところ、手違いでぼくと妻は飛行機に乗れなくなってしまったのだ。
四角は問題なく飛行機に乗れたので、ぼくは「どうしてこんなことが起きてしまったんだろう…」と呆然としながら彼を見送った。

その刹那、これまでの人生が走馬灯のように見え、そしてこんな声が聞こえた。

「お前は日本を芸術文化大国にしなさい」

どこからか聞こえてくる、自分なのか、他者なのか、男か女かもわからない、声。
断ることのできない、やるしかないという感覚があり、「天命」だと思った。

これまで何度も足を運んでいたのに、この日だけはニュージーランドに行けなかったことを受け、ぼくは「日本に残れ」というメッセージだと感じた。
「お前にはまだやることがある。ニュージーランドでアーリーリタイアするのはまだ早い。日本を芸術文化大国にする使命がある」と。

渡航を重ねていくたびに、心のどこかで引っかかっていたことの点と点が結びついた瞬間でもあり、また「自分がこれまで生かされてきた理由はこれだったんだ」と素直に思えた感覚もあった。

それ以来、ぼくはニュージーランドに移住することをやめ、「日本をどうしたら芸術文化大国にできるか」という一点にだけしぼって考え、行動をはじめた。

ニュージーランドの美しい湖畔にて、四角と

オシロの創業へ

日本は経済ではなく芸術文化にシフトしないと生き残れないだろう。
この思いは、前々から考えていたことだった。

しかし、ニュージーランドに移住するつもりだったので、まぁ日本のことは自分には関係ないけど…と思ったり、でもやっぱり日本を芸術文化大国にしないと…と思ったり、気持ちが揺らいでいた。

その背景には、日本には30歳を機にアーティスト活動を辞める人が大勢いることが大きい。かくいうぼく自身もそうだ。20代のころは絵を描きたいという一心で生きていたが、続けることができなかった。

理由は、お金がない、だけではなくて、それよりも応援してくれる人がいなかったから。
お金はバイトなどをすればまかなえるが、アーティスト活動は応援がないと続けられない。孤独だし、不安だし、このままやっていて本当にいいのだろうかと悩む日々。そんなときに親身に寄り添ってくれる応援団のような存在が必要だと感じていた。

そこで、継続的にアーティストにお金とエールを送る仕組みを考えた結果、サブスクリプションとコミュニティを組み合わせたらどうか?と仮説を立てた。

海外にはサブスクでアーティストを応援するサービスや、偏愛するテーマに没頭して会話できるコミュニティサービスがあったが、両方を併せ持つサービスはなかった。
自分が求めている形がないなら作ろう!と、それまでプラットフォームサービス「I HAV.」を一緒に作っていたメンバーであるニック(現OSIROのリードエンジニア・西尾)とたくま(現OSIROのUI/UXデザイナー・笹川)とともに開発をスタート。その9ヶ月後にはOSIROベータ版を提供するに至った。

現在、オシロの取締役を務めている佐渡島庸平(※)とは、このベータ版をリリースしたあとに「こういうの作ったから見てみてよ」と伝えた。
佐渡島とはもともと飲み仲間で、「ニュージーランドに行ってるんじゃないの?」と言われたので「いや、天命を授かったから、ぼくの人生はこれにかけることにした」と伝えると、「そこまでやるなら使わせてもらうよ」ではなく「一緒にやろうよ」と言ってくれた。

(※)さどしま・ようへい:講談社を経て、日本初の作家エージェント会社「コルク」を設立。オシロ取締役でもある。

これを機に、それまでOSIROはぼくが妻と暮らす自宅マンションの一室でメンバー2人と開発していたが、佐渡島が創業した会社「コルク」のオフィスに間借りすることになった。

そして2017年1月。ぼくと四角と佐渡島の3人が取締役になり、オシロを創業。天命を受けてから約2年後のことだった。

左から四角、杉山、佐渡島。2人のおかげで現在の「OSIRO」はある

コミュニティ特化型オウンドプラットフォームの誕生

じつはOSIROの前身は「テオ」という名前だった。
画家であるゴッホの弟の名前で、テオがたくさん仕送りをしていたから、ゴッホはあの素晴らしい絵を残すことができた。だから、お金と応援の2つを組み合わせたサービスを考えたとき、テオの存在を思い出したのだ。

「テオ」として開発していたときに、最初のユーザーは四角大輔をイメージしていた。ところが彼はとんでもないことを言い出した。「テオはいいんだけど、でもさ、プラットフォームを自分のものとして使いたい」と。

これはFacebookでいうと「Facebook」とロゴが入っているところを「四角大輔」にしたい、というリクエストだった。つまり、一人ひとり仕様を変えなければならない。

「自分だけでなく、アーティストはみんな自分の名前で使いたいと思うよ」と四角に言われ、確かにそれができたらいいけど、でもリリースまであと数ヶ月だし…と流していた。

しかし、彼は執念深い。なぜ自分の名前の仕様がいいのか、ほかのクリエイターやアーティストにとってもそうであることを、切実に説いてくる。

そうした熱い説得が長らく続いた結果、ついにオウンド型に変更し、現在の「OSIRO」が誕生した。そう、たった一人の親友のためにピボットしたのだ。

自宅マンションで開発していたときの様子

「OSIRO」というサービス名は、システムの構造がお城の構造と似ていたのと、クリエイターに一国一城の主になってもらいたい、という思いがこめられている。

構造というのは、お城は門を開けておくと、庭は無料で遊べる場所で、建物の1階はたとえば月額1000円、2階は月額1万円、といったように中で繰り広げられるイメージ。

もし四角に説得されなかったら、今のようなサービスにはならかったと断言できる。

ほかにもこれまでの人生にはたくさんの伏線があり、天命を受けたあの日にすべての点と点がつながった、という感覚がある。
この連載では、天命につながる出来事を一つひとつ振り返っていきたいと思う。

最初は「小学生のときにオルガンから落ちて三途の川を渡る」という出来事をお届けしたい。

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