偏愛仲間との出会い
今回は、偏愛に没頭する人たちとの出会いを通して感じた、コミュニティの価値について振り返る。
フリーランスからいくつかの起業
「アーティスト活動に終止符を打った日」で綴ったように、ぼくは24歳からフリーランスのデザイナーとしても仕事をしていたが、32歳で初めて起業したあと、そのときの経験をいかすべくデザインコンサル会社を立ち上げた。
ただデザインをするというのではなく、「なぜデザインが必要なのか」というところから考え、ロゴからウェブサイトや広告、本の装丁まで幅広く制作していた。
オフィスは表参道で探していたが、なかなかいい物件が見つからない。
そんなあるとき、不動産屋さんが「表参道ではないのですが、とてもおもしろい物件があるので一度見てみませんか?」と紹介してくれた。
見に行ってみると、確かに変わった物件だった。
外苑東通りに面したレンガ造りのビルの屋上に、70平米ほどの部屋と、部屋の何倍もの広いベランダがあった。かっこよく言うとペントハウスだ。
ひと目見て気に入ったのと、自分の生まれた赤坂だったこともあって、ここにしよう!と即決。立地や景色もよかったが、この広いベランダでいろんなことができそうだと思ったからだ。
「変なオフィス」に「変な人」が集まってきた
新しいオフィスは、まず自転車チームのたまり場になった。
もともとロードバイク好きの仲間と自転車チームを結成していたが、このオフィスを手に入れたことでより集まるようになり、つながり、親密度が深まっていった。
ベランダで自転車を整備するだけでなく、乗ることへの熱中にも拍車をかけた。次第にレースやイベントにも参加するようになり、毎年「Mt.富士ヒルクライム」や「ツール・ド・おきなわ」に出場するほどのめり込んでいった。
自転車チームのほかにも、「乃木坂におもしろいオフィスがあるらしい」と聞きつけたクリエイターたちが集まるようになった。
特に編集者のOさんがいろいろな方とつなぎ合わせてくれた。
たとえば今でこそIPOしたスタートアップを創業されたKさん。当時は出版社に勤めていて、彼が担当した書籍が爆発的に売れ始めたころだった。
それから、スティーブジョブズが認めたアプリを開発しているHさんや、映画プロデューサーとして活躍するKさん、大ベストセラーをライティングされたKさんなど。
のちにオシロの創業取締役になる佐渡島庸平(コルク代表)や、オシロの株主にもなってくれた「PARTY」の中村洋基さんとも、ここで出会った。
こんなふうに「変なオフィス」をきっかけに、思いがけず多方面で活躍される人たちと知り合い、交流することとなった。
エンジニアの増井ドライブさんとの出会いも、このオフィスがきっかけだった。OSIRO開発時に技術の相談に乗ってもらっているうちに、オシロの技術顧問に就任してくれた。
当時はまさか一緒に仕事をするなんて思ってもいなかったし、オシロを創業する上で重要なメンバーとの出会いと親交は、間違いなくこの変なオフィスがご縁になっている。
この経験から、現在のオフィスも、ちょっと背伸びをしておもしろいオフィスを選んだ。この判断軸は当時もいまも変わっていない。
一風変わったオフィスは人と人が仲良くなるツール。
今のオフィスも、おもしろい人たちが集まることを期待している。
偏愛に没頭する人たちのコミュニティに価値を感じた
彼らは仕事や趣味の境がないというか、自分の大好きなことに熱中・没頭していて、まさに偏愛する「へんじん」の集まりだった。
それぞれ違う分野だったが、みんな楽しそうに自分がやっていることを熱量高く話してくれた。それを聞くだけでものすごく刺激的だった。
なかには涙ながらに相談する人もいて、家族でも会社でもないサードプレイス(第三の居場所)だからこそ、いつも言えないことを言えたり、本音をさらけ出したりできたのかもしれない。
あとになってから、あれは「コミュニティ」だったんだと気がついた。
ただ人が集まっていただけでなく、偏愛に没頭する人たちとつながることで、また新たな何かが生まれていく。それはチームで自転車レースに出たり、書籍をつくったり、新規事業を始めたり、形はさまざまだが、つながるだけで終わらないコミュニティの価値を感じていた。
このオフィスで過ごしたのは、ニュージーランドを行き来し始めるまでの2年ほどだったが、あのとき出会った人たちとはいまもなお親交が続き、リスペクトしつづけているし、当時の経験はOSIROにも活かされている。
次回は、ぼくが週末過ごしている、自然の中に身を置く生活について紹介します。
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