うつりぎになっちゃう

夕飯にキムチと豆腐とスイカを食べた。外をみやると、明るい月がでている。そういえばこの間近所を散歩したときも、太陽がでているのかと思うくらいに月が明るかった。抜けた灰色に、白とも黄色とも言い切れない円が浮かぶ。色の濃い月はなんだか妖しげでいい。

冷凍庫からみかん味の棒アイスを取り出して、ベランダに出てみる。見上げると、月は右上が少し欠けていた。ずっと右手の空に、一つだけ星が見える。金星かな、と思いながら、アイスを齧る。思ったよりも甘かった。

昼間は真夏日を観測したけれど、今夜は過ごしやすい。湿気はそこまでなくて、遠くには虫の声が聞こえる。やることがなくて、でも動画サイトをみてやり過ごすのも嫌で、ベランダにパソコンを持ち込んだ。食べ終えたアイスの棒を咥えて、昼間のことを書いてみる。

今日は少しだけ、心のざわつく出来事があった。会社でちらっと、先輩を見かけた。わたしは社内の打ち合わせをしていて、ふと顔を上げたらちょうど彼が目の前を横切っていった。声でも聞こえていたのか少しだけこちらに目を向けたような気もするけれど、目が合うことはなく、あるいは合わないように向こうが顔を伏せたのかもしれない。髪色が少し変わっていた。わたしもどこか変わったように見えるかな、と思った。

少し前、そのひととの関係はびっくりするくらいこじれにこじれた。わたしはどうしたらいいのかすっかりわからなくなって、たくさんの友人に話を聞いてもらい、職場の上司にまで相談した。「ほんまごめんな、え、ちょっと、まじで気持ち悪すぎんねんけど」と、いつも穏やかでたおやかな彼女が女子高生みたいに椅子の上で体育座りをしながら暴言を吐いた。それくらい相手の行動は常軌を逸していて、わたしは「おっしゃる通り気持ち悪いです」と答えた。

思い出すと吐き気をもよおすくらい、わたしは彼のことが嫌いになった。散歩中、ふいにそのひとと歩いた道だと気づくと、息を止めて足早にそこを通り過ぎる、まるでいたいけないい女みたいなこともしたりする。ねずみ顔の男性がみんな無理になって、大好きなハリーポッターシリーズでネビルロングボトムが映るたびに気分が悪くなるようになってしまった。日常への損害は大きい。

だけど数ヶ月ぶりに本人を見かけて、わたしが最初に思ったのは「気持ち悪い」でも「消えてほしい」でもなく、「どうして髪を黒くしたんだろう」だった。へえ、わたし、そんな風に思うんだ、と自分のことながら意外に思った。

相手に興味を持つ。それは関係性が壊れるずっとずっと前に抱いていた気持ちだ。どうして今日はトートバックなの、その香水は何の香りなの。久しぶりに去来するそれはとてもあたたかで、そこから一日中、ふわふわとした心地に包まれる。得意げに美術を語ってくるおじさんとの打ち合わせは、だから半分くらい聞いていなかった。ごめんなさい、でもどうでもよかったから。

中学生の頃、自分のうつりぎに涙していたことがあった。なにか嫌なことがあって泣く。あの子はなんであんなひどいことをするんだろう。でもそのあと、こんなに泣いていてもわたしはすぐに元気になるんだよな、と考える。するとそれが情けなくてさらに涙が込み上げてくるのだ。窓から夕焼け空を見やりながら、ベッドの上でそんな風に泣いている中学生。友達にそういう一面がバレなくて、よかった。

わたしはもううつりぎに涙したりはしない。おいおい自分、学びなさいよ、と呆れて少し笑うくらいだ。大人って寛容でいい。

誰かを好きになることは、相手に興味を持つことなのだと久しぶりに思い出した。好きの反対は無関心とよくいうけれど、それなら好きの同値は関心になる。そしてそういった関心がうまれるとき、心の中には春みたいな風が吹く。その余韻に浸るのはひどく心地がいい。

今日わたしが感じたざわざわは、相手ではなく、この春風への愛着なのだな、とこれを書いていて気づいた。彼のことはもう二度と好きになることはできないから。理性的にも感情的にも。彼ではなく、興味を持つことそのものに、わたしは恋しさを覚えたのだ。

なにかを嫌いでいるより、なにかを好きでいるほうがずっとずっと気持ちがいい。ねえ、今なにしてるの、どんなことを考えているの。そう聞きたい相手がいるのはとても幸せなことなのだと思う。

わたしはきちんとひとを好きになることができるのかな、と不安になる。でもきっとなにかがうまくいって、また誰かを好きになれるんだろう。たのしみだな、と思う。そして今はこうやってアイスの棒を咥えてのんびりする夜も、心地よかったりするのだ。アイスなんて食べちゃって、明日の朝に体重計に乗るのがこわい。そうやって、夜がふけていく。

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