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自己責任論と自己肯定感【おススメまんが~⭐】

こんにちは!

今日は、今迄ずっと書きたかった,社会派マンガのことについて語りたい。

ペリリューだとかモリのアサガオ等、挙げれば結構たくさんあるが、今のわたしがイチ押しするのは…

まんが‐「新・ちいさいひと」。

現在何巻まで出ているのか…古本屋で入手して,8までは読んだが、それから時間が経っているので、更に出ているかも知れない。

この画像は6巻で、トップ画像も同じ本の表紙👇

note画像-漫画「新・ちいさいひと」20210923

ここでは著作権絡みもあるから、丸ごと全てお伝えするのでは長文になってしまうこともあり、上のページを抜粋する👆

このマンガは、児童虐待や児童相談所に関わる子どもたちをテーマにして、子どもの権利や成長阻害の問題にスポットを当て、非常にヒューマニズムあふれる作品になっているので,それでおススメ。

自己責任論と言うのが、今もはびこっていたり,自己肯定感が育まれない社会の根っこを炙り出していたりする点で,とても分かりやすい文章ではあるが、マンガのページしか見ない人もいるだろう。

是非とも,マンガばかり見ないで、コラムページを飛ばさずに,マンガはその補足程度にとらえて見て欲しいと,願うような思いでいる。

だから、ここにイチ押しマンガのコラムの一部を紹介する訳なのであ~る👇

❖「貧困=自己責任」論から抜け出せない貧困対策推進法❖

2014年1月に施行された日本の「子どもの貧困対策の推進に関する法律」は、「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、貧困の状況にある子どもが健やかに育成される環境を整備するとともに、教育の機会均等を図る」ことが第一義(第1条)で、教育の支援に力点が置かれてはいるものの、所得格差と経済的困窮に苦しむ家族をまるごと救済すると言う視点は弱い。

と、法を解説してくれている。

それを更にかみ砕くために、名古屋大学の中嶋哲彦教授の話を引用している。

「自助努力による貧困からの脱却があるべき姿だという意識が背景にあるのだろう」


更に続けて…


経済的困窮者を救済する仕組みのはず活保護制度は、本来ならば貧困対策推進法の制定に併せて拡充されるべきを,2018年に生活保護受給者の限定や給付金の減額が行われた点


を問題として、指摘しているそうだ。

本当に、国は矛盾している(怒)!!!

国はおもての顔だけ,良いことをしたアリバイ作りをして、中身を本当に良いモノにしようとはしない。

つまり、心がないのだ。

これを,空洞化と言う^^;

結局はやる気がないんだな,実に…。

政治家にヒトのこころがあれば、こんなことにはならない。

イイ顔して,裏では舌を出しているような言動~👅👊💔

日本はこういう政治しかしないから、社会がダメになるのだが、他に良い政治家がいないだとか,知ったような口を利いて、自公政権に相変わらず投票するような有権者は、片棒を担いだ共犯罪だ。

シッカリこのことを認識した上で,選挙に誰を投じるかは、一人ひとりが責任重大なことを,自覚して欲しいものだ。

自公政権が今後も続くようでは、日本は確実に終わる。

このページでは最後に,子どもの権利についての定義を解剖?しているので、もう少し覗いてみよう。

教授の指摘したことがマンガの場面でも出て来ると、すり合わせをしているようだ。

①だらしない親の元に生まれたお前は価値がない——貧困を放置することで,嫌がらせを受ける言葉の1つ➡人格権の侵害

②学びたい学問や知識、身につけたい専門技術、やりたい仕事について、「どうせ家にはお金がないから実現できるわけがない」と諦めるような環境や空気が家庭の土壌にある➡自由権の侵害

③栄養バランスのとれた食事を取る、暖かい布団で眠り、清潔な衣服で生活することが保障されない➡生存権の侵害

④希望に応じた教育を受けられなかったり、誕生日祝いなどをしてもらえなかったり、自分は周囲に(少なくとも親に)望まれて生まれて来たのだと確信できない➡発達権,学習権、教育を受ける権利の侵害

こうした貧困がもたらす環境によって、オレって結構イイやつでしょ!なんて自覚も芽生えず、自己肯定感も生まれないという図式なのだ。

この漫画は、2019年1~5月号の連載漫画の収録で、週刊少年サンデーS増刊号に連載されていたものだそうだ。

6/23に初版が売り出されているので、2年以上経つマンガではあるが、この間も、両親に幼女が殺されたり放置されたりする事件(2018年、船戸結愛・ゆあちゃん5歳等…)が、あとを絶たなかった。

国は一体、何をしているのだ。

こうした事件が明るみに出たことは、氷山の一角と捉えた方が良い。
それだけ,社会に適切な制度や政策を施して来なかった、怠慢な政治の結果が今に現れるのだ。

それが回りまわって,弱者にしわ寄せが来る社会が、今の日本の現状だ。

わたしもシングルマザーだったが、その当時は何とかやって来れた。

それは、制度がもっと充実していたからだと思う。

母子家庭のための補助金みたいなものも,都や区から支給された。

それが、バブルが弾けると同時に、どんどん薄く狭い保障となって行ったようだ。

まだ、もやい湯浅誠さんがいらっしゃった頃,その会でわたしも政府へ窮状を訴えたことがある。

制度をこのままにして,保障額を今より下げないようにと――。

だから、制度が充実していた頃を知らないシングルマザーの皆さんがお気の毒でならない。

知らないというのは、恐ろしい。

よって、何でも吸収してやろうという気構えで,ハングリー精神を持って欲しいと、多くの若者たちに願っている。

ただ,こうした自己責任と言う見方をしてしまうと、例えば,池江璃花子選手などは「努力すれば必ず報われるんだなぁと思った発言」をしたが、これも正直,止めて頂きたい。

「あなたが1位を取ったら、もう他にも頑張って死ぬ気でトレーニングを積んでいる人がいても,その人は1位を取れないんだよ?」と言いたい!

努力は報われるということばは、毒であることを知って欲しい。

毒語だ。

でも、努力は大事

半面,努力が必ず報われると思ったら、燃え尽き症候群様状態になって,鬱になるリスクもある。

どんなに努力をしても,1位になれない人はごまんといる。

だって,池江ちゃんが1位を取ったんだから、あとの人は2位か3位になるしかない。

世の中、そんなに甘くない。

それだけ池江ちゃんも努力をしたが、あとは幸運の女神がウインクをしたってこと。

そして、あなたには相応の才があったってこと。

それと同じように、努力をしても自己責任で這い上がれない経済状況や、環境と言うものが必ず存在するのであって、努力は積まなければならないが、それは同時に,手を差し伸べる社会があってこそ成り立つもの。

手を差し伸べるような,成熟した社会があってこそ、自分だけのリスクを背負わないで、自由にのびのび頑張れる。

その中で、背中を押ししてくれるような社会の仕組や制度,法整備がないと、途中で成長を止められてしまうような環境や貧困状況が壁となって立ちはだかる人のことを、もっと想像を広げなくては…。

自己責任ということばは、短絡的な思考しか産み出さない。

自己責任というレッテルは、他の多くの想像力を排除してしまう,非常に都合の良いことばでしかない。

自己責任と軽々しく言う人は、それをよく認識した上で,深慮して扱って欲しい。

                            (おしまい)

-----------------------------(ここまでで3000字内)-----------------------------

※ ここでは字数制限に鑑みて、池江ちゃんが白血病を克服して闘い抜いたことには言及しなかったが、当然のことながら、彼女がそれを克服することは容易なことではないし、わたしの想像や体験の及ぶところではない。

だからこそ,彼女の栄誉は大いに称えたい。

でも、ここで語ることをしなかったのは、別次元だからだ。

ご容赦願いたい。 ※

よろしかったら、サポートをしてください。 つれあいの闘病期間は、わたしはワークを休んでおりますので、 つれあいの療養に、使わせて頂きます♥