これも多様性なのか?多様性の前に、前提条件の確認がいるのではなかろうか?
日本人は耳障りのいい言葉が好きなように思う。
で、
今回は多様性と自分らしさについて。。
というのも、
電車に乗ってる時に、
隣の男性が、スマホを見ながら立っていた。
これだけなら、普通のこと。
でもひとつ違うのは、
そのスマホから結構な音量で音楽が流れてたこと。
ヘビメタ系の。
ヘビメタ好きなんだなぁ。
ちょっとうるさいなぁ。
迷惑だよなぁ。
でも、気分よく聞いてるのよね…
と、
いろいろ考えてしまったの。
ヘビメタが好きなのは、かまわないと思う。
「ねぇ、ちょっと!この曲よくない?」
と話しかけられたら、ビックリするけど。
公共交通機関で、
かけ流すことが問題なのだ。
でも、
これも、
「俺は聞きたいんですよ!
多様性でしょ? 俺の価値観、認めるべきでしょ」
とか返されると、
面倒くさいなぁ、と思ってしまう。
「俺、自分らしく生きてるんですよ。
俺の生き方、否定するんすか?」
とか言われても、うざい。
実際には言われてないんだけど、
「そう返されたらどうしよう」と気になってしまったのだ。
語彙力と情報で、権利を主張して
根っこにある「思いやり」や「基本的価値観」がないことを、見てみぬふりをする。
自分を棚に上げる。
なんと滑稽なことだろう。
でも、
日本人の「声の大きな人の意見が通る」という特性からすれば、
声高に、中身のない権利を主張するほうの勝ちなのさ。
間違って欲しくないのは,
多様性も自分らしさも、わたしは、本当に大切だと思ってること。
わたし自身が、ノンバイナリーだもの。
男でも女でもなく「わたしは人間」って思ってる。
子どもが産みたかったから、女をチョイスした時期があっただけで、
今は、どちらの雰囲気も楽しんでる。
おっと話がズレた!
何が言いたいかというと
自分らしくいたいからと、他人を傷つけるのは違うと思うし、
自分らしくいるために、自分勝手にするのは違うってこと。
「わたし、ちょっとストレートに言っちゃう性格で、先に謝っておくわ」と言いながら
ズケズケとものを言い、他人を傷つけていいわけじゃない。
先に謝ったからと言って、免罪符になるわけじゃないのだ。
多様性を認めるって口でいう前に、
基本的な価値観がないと、
多様性もなにもないんじゃないかなぁ。
例えば
公共の場では他人に迷惑をかけない。
とか。
大きな声で話さない。
とか。
人を傷つけてはいけません、
とか
人に優しくしましょう、自分に優しくしましょう
とか。
とはいえ、
わたしもそんな勇気はないので、
そんなことを考察しながら、
音楽男から距離を取るしかないのである。
あれ?
だから、格差って広がるのかしら?
ちょっと考察案件だわ。
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