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失敗が恥ずかしくて逃げたくなる

昔のわたしは、
そんな感じだった。

失敗したら、隠したかったし、
誰かに気づかれると、もう泣きそうになってたし、逃げたくて逃げたくて仕方なかった。


というのも、
先日
知り合いが器をひっくり返してて、
たまたま片付けてる場面に鉢合わせたのだ。

名前は知ってる。
少し話したこともある。
でも、仲良いわけじゃないけど、
こういう時はお互い様だ。

「大丈夫ですか?」
と声をかけた。

「大丈夫なんで」
と言われたけど、
よく見ると床にもそれなりに落ちてる。

「いや、でも下にも…」と、わたしは言いつつ
ティッシュを1枚取ってしゃがんで、そのゴミになってしまったにんじんを取ろうとしたのだ。

「大丈夫ですから!」
と、
手を払い除けられた。

おっ?
おぉーーーーっ!?

と、思ったけど!

なんとなく気持ちもわかるので、
「この人は完璧主義なんだなぁ」と思って手を引いたのだ。


違うときも、
4歳とお母さんがバスに乗ってきた。
4歳は靴を脱ぐたびに怒られるし、
そのお母さんは、ベビーカーに、大荷物で、
その子がベビーカーに乗らないなら、かなり大変になる。
だから、どんどん怒気がふくまれていく声に焦りを感じて、
降りる場所が同じだったために、
お母さんがお子さんを怒鳴る前に、声をかけたのだ。

「お手伝いしましょうか?」

お母さんは、キョトンとした顔をしたあと
真っ赤になって「結構です」と。

わたしは、ガツンと言われた。

そう? 頼んだほうが楽なのに、と思いながら気にしないことにしたのだ。



子育てをしてから
「できないことがはずかしい」という価値観が外れた。
子どもを育てると一人前、みたいに昔の人はいうけど(賛否両論あります)
偏った価値観を外すには子育てってすごい役に立つと思う。

だって、どんなに頑張っても無理なんだもん。
できないんだよー。
保育士には敵わないし、
時間だってうまくいかない。
産後うつにもなったし、いつも、いつもくじけてた。

なんでこんなにうまくいかないの?

思ったから、
「できないときは誰かに聞いてみよう!」と
思うようになったのだ。


出産当時24歳。
支援センターには保育士がいたし
年上のお母さんたちもたくさんいた。

「ねぇねぇ、トイトレ進まないのー!どうしてる?」とか。
「昨日寝なくてしんどーい!助けて〜!今寝ていい?」とか。
「ねぇー!こんな失敗したのー!どうしたらよかったと思う?」とか。

どんどん吐き出した。
そんな5年を過ごしたら、できないことは恥ずかしいことじゃなくなったのだ。
無知も恥ずかしくなくなった。
それよりも、適当に答えて「あっ、違うかも…」と反省してる自分のほうが恥ずかしく思ったりする。



子どもを見てると、
失敗するのがスタートだった。

1回でうまくいくことなんかなくて、
トイレだって失敗しまくりだし、
立ち上がるのだって下手くそだったし(当たり前!)

今だって毎日続けて
やっとできるようになってることも多い。
でも、まだ1発でできないものも多い。わたしだってできないしねー!


あれ??

いつから
「失敗は恥ずかしくて逃げたくなること」
に変わったんだろう?

いつから
「わたし、失敗なんてしないし!」と傲慢になったんだろう?

いつから
「失敗したら馬鹿にされて、失敗したら自分の価値が下がる」
と思ったんだろう?

いつから
馬鹿にされることで、自分の価値を勝手に下げたりしてたんだろう?


どうして

失敗→わたしの価値を下げること

って思い込んでるんだろう?



あれ?

違くない?


失敗したら、できるまでやればいいじゃん。
できないことを見つけたら、できるまでしたらいい。
プロ並みまで頑張らなくてもいいけど、
最低限と自分が思うところまでやってみたらいい。
それでもできないなら、誰かに頼めばいいんだよ。

「わたし、ここに才能なかったわ!笑笑」

って。


できないことは、助け合えばいいんだよ。

助け合いたい相手も
自分も、同じことが苦手なら、
「どうしよっか?」って相談したらいいじゃない?
発明ってそういうところから生まれるんだから。


知らないことのほうが多いんだから。

失敗したっていいじゃないか。
そんな自分も
完璧じゃないからかわいいなぁ、って思えるんだよ。

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