成長のために「デザイン中毒」を手なづける
デザインの作業は楽しい。あっという間に過ぎていく。1時間、1日、1週間、1ヶ月、1年。そして、10年がいつの間にか過ぎている。
私のキャリアの最初の約10年は、ビジュアルコミュニケーションのデザイナーでした。その10年間ずっと、時間を忘れる「フロー状態」にあったように思います。
楽しかったのと同時に、時間の使い方としては後悔もしています。約10年間、目の前のデザインの仕事だけに没頭したので、30歳をすぎてもいわゆる「ビジネス」の知識や感覚に乏しかった。目の前のデザインのみに優先的に時間を使い続け、それで不足する発展的な学びに時間を割かなかった。
デザインのスキルを磨き、強力な「武器」を手にすることができましたが、その武器を活かすためのビジネスという「地図」がなく、焦りに焦った記憶があります。
デザイン領域と時間感覚
その後、私はサービスデザイナーに転身しました。そこで、しばらくして気づいたのは、デザイン領域の違いによって時間の感じ方が異なること。具体的には、ビジュアルコミュニケーションデザインとサービスデザイン、それぞれのデザインワークの時間の感じ方がまったく異なることでした。
前者が、常に時間を忘れるような「楽しく突っ走る」感覚であるのに対し、後者はもっと冷静で視野が広く、大局観をもった時間感覚があります。
ビジュアルコミュニケーションデザインとサービスデザインの違いと言いましたが、さまざまな現場を見ていると、それは、制作的なデザインと構想的なデザインの違いと言い換えても良いものだと思います。そして、今の若手のデザイナーの動きを見ていても似たような現象があるので、これは時代特有のものでもないようです。
ここでは、その時間感覚の違いがどんなものであって、どのような対策が必要か。特に、自分が問題に直面した制作的なデザインに対して書いていこうと思います。
デザインとフィードバックの構造
結論から言うと、制作的なデザインはフィードバックが大量に発生するので、報酬系が刺激され、デザインワークの中毒性が起こりやすい「現象」があること。
そして、その現象により、中長期の学びや市場・社会の観察といった、長い時間軸と広い視野をベースとした自己研鑽の時間が劣後されやすくなる「問題」があることです。
たとえば、何かをつくるとします。それが完成物でなくても、途中段階でも、スケッチであっても、それは目に見えるカタチとして表出します。
デザイナーは自分自身が表出したそのカタチを観るわけですが、それは自分の「つくる」という意思がカタチとなってフィードバックされたものです。
それが無意識の報酬としてデザイナー内部で働き、欲求をさらに刺激し、デザインワークの継続を促す、そのような構造があるのです。
つくる:こんなものをカタチにしたい。
観る=報酬:できた。なるほどこんな感じか。
継続:こうしたらもっと良くなるかも。カタチにしたい。
このような構造です。私の経験では「継続」では、つくりたくて、気が気でなくなる。寝る間も惜しんでつくりたくなってしまう。
自分が世界に起こした「作用」に対して、「反作用」が帰ってくることの快感。これは人間のコミュニケーションの本質でもありますし、経済活動の本質ともいえるものです。
AARRRモデルなどのグロースハックのフレームワークにも応用されたりもします。人を動機づけ動かすための基本的な構造です。このような構造が、デザインワークのミクロレベルでも起こっているのです。
さらに、人は美しいものを目にしたときには、ポジティブな感情が生まれるもの。ある種の快楽と言ってもいい。報酬はさらに高まります。
制作的なデザインワークの中では、このようなフィードバックの構造が1日で何周も何周も回る。私の経験も込めて、そこで起こる心理状態をポジティブに捉えるならば「フロー状態」となりますし、ネガティブに表すならば「デザインワーク中毒」となります。
そして、あっという間に時間が経ち、気づいたら中長期の学びがおろそかになってしまう。
ちなみに、サービスデザインなどの構想的なデザインでは、デザイン対象が無形であり、評価軸が「自分」だけでないことが一般的なため、このようなフィードバックの構造は1日に1回も回らない。であるがゆえに冷静で客観的な時間感覚に身を置くことになるのです。
カタチとアイデンティティ
蛇足となりますが、カタチを伴うデザインの中でも自己表現を含むような仕事では、良いカタチにたどり着いたときの「報酬」は一段と高くなります。本当に嬉しい。私も何度も味わった感覚です。
自己表現という言葉は極端に聞こえますが、カタチを伴うデザインは、大なり小なり、つくり手のアイデンティティが投影されたものになります。「デザインは自己表現ではない」と言いますが、これは「戒め」であり、完全な事実ではありません。創意工夫をつぎ込んだデザインに、自己が忍び込むのは当たり前ですし、それが表現されてしまうことは問題でもありません(自己が暴走し、ユーザー視点が無くなるという話とは別の話です)。
アイデンティティを刺激するような「高い報酬」がある場合には、フィードバックの構造はさらに強化されます。時間の流れがどんどんと速くなっていきます。
中毒性に対抗するタイムマネジメント
デザインワークにおけるフィードバックの構造は「現象」であって「問題」ではありません。避けようにも避けられない現象ですし、それ自体を問題視しても何も生まれません。ましてやデザイナーを非難するものでもありません。
むしろデザインを楽しく感じさせる美点。デザインを社会に役立てるための救いと言っていいものです。
ここでの要点は、その構造を見越したタイムマネジメントを身につけること、もしくは組織的な対応の中で、それが問題化しないようにすることです。デザイン中毒を手なづけるのです。
冒頭で私が述べた問題は、要するに「夢中な時間に身をゆだね過ぎて、中長期の学習を怠った」ということです。
シンプルにその解決策を述べるならば、まずは中毒性のあるフィードバックの構造を自覚すること。加えて、自分がコントロールしない強制的な学習の時間を設けることです。
フィードバックループを自覚的に断つことを意識して、作業時間の管理を徹底すること。自分以外の誰かとの勉強の時間を固定的に持つこと。外部のスクールに通うこと。外部講師を招くような重要度の高い育成施策を定常的に回すこと。これに尽きると思います。
時代の要請を先読みするための長期的学習や、自分のキャリアにとって必要な学び。これらは変化の激しい時代には不可欠な作法です。
特に、ビジネス関連の知識やポータブルスキルに関しては、若手時代は自分を動機付けることが難しいものです。個人の裁量に寄せ過ぎると、学習の時間はどんどん後回しとなってしまいます。
組織はデザイン人材をどう扱うか
私が所属するデザイン会社コンセントでも、ビジネス関連の知識やポータブルスキルを身につけるような講座を実施しています。単発の研修ではなく、長い期間で習慣的に行うものです。外部講師を招く形であり、正直、お金もかなりかかっているものです。
それでも残念ながら、デザインワーク重視と学習劣後の個人判断から、欠席は起こってしまいます(相応の事情もあると思います)。
かつて「やりがい搾取」という言葉がありました。「やりがい搾取」は賃金などのお金に向けられた言葉ですが、これは「時間」にも当てはめて考えるべきです。
中長期的な学習の時間をデザイン人材に提供し、長く強く活躍できるデザイン人材を世に生み出すのか。デザインワークの「中毒性」に対して見ないふりをして、個人の時間感覚を利用して目先の業績のみに時間を投入させ続けるのか。
組織がデザイン人材をどのような時間軸で扱うかにかかっています。
※今回は、長期的な学びと対策すべきデザインワークの中毒性について解説しました。下記の記事では、「問い」を持つことで学びと成果を両立する方法について紹介しています。合わせてお読みいただけると発見もあるかと思います。
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