見出し画像

人付き合いよりも”自分と向き合う”

こんにちは!
おさだです。

僕を知ってくれている方も僕を初めて知った方もいると思うので簡単に。
僕は現在27歳。都内で鍼灸師をしています。
鍼灸師になるきっかけは幼少期からやっていた野球で怪我が多かったから。

その後鍼灸師を目指していた専門学生時代にパニック障害になり、自分の経験から
『身体と心の健康』について考える様になりました。

そんな時に思った事の一つ「人付き合いよりも”自分と向き合う”」について少しだけお話ししたいと思います。

自分と向き合う事で見え方が変わる

人付き合いよりも自分と向きあうなんていうと、まるで自己中というかわがままというかそんな風な表現に聞こえるかもしれませんが、決してそんな事はありません。

その理由は「自分と向き合う事で周りの見え方が変わる」からです。

例えば僕がパニック障害になった理由を明確に説明しろと言われても正直わかりません。
これ!と言った出来事はなかったのですが、今考えれば小さい頃の積み重ねというか小さい頃の経験や出来事、記憶は関わっている事は間違いないように感じています。

僕が仲良くさせていただいている心理カウンセラーの方ともそのような話になりました。
となると、幼少期僕が育った家族との話になるわけですが、以前noteにも書いてあるように僕の父はかなり厳しい父親でした。

小学生の頃からゲームのカセットを無くしたり、少年野球の試合で失敗しては、ゲンコツを超える制裁と長い説教と廊下での正座と‥みたいな感じです。

これはあくまで一例で、今の時代には中々あり得ない教育かもしれませんが、当時の僕がどれだけの思い(恐怖、心配、怒り、悲しみなど)をしたかは今でははっきりはわかりません。

少なくとも今の自分の、恐怖感や恐れの感情に関与している事は間違いない事は自分でもわかります。

ここで!「お父さんめ!怖い思いをさせやがって!」って当時の僕は考えていましたが、今では恨んでいるわけでも嫌いなわけでもありません。

その理由はお父さんとの付き合い方を考えたのではなく、自分を見つめ直した事で、お父さんの見え方が変わったのが1番大きかったことかと思います。

自分と向き合うって?

自分の負の感情や、一見マイナスのような感情に向き合うのって体力を使う事ですよね。
でもあえていうのであれば僕はパニック障害という診断を受けた事で自分と向き合うという事を初めてみました。

何が怖くて、何が心配で、何を嫌と感じて、何が自分を固まらせてしまうのか。

その時に子供の頃からの自分に気がつきました。

僕は男3人兄弟の末っ子で、長男とは7個、次男とは5個歳が離れています。
そう言った環境からこれと言った兄弟喧嘩もなく(歳が離れていて喧嘩にもならない笑)反抗期もありませんでした。(反抗心は大いにあった笑)

自分の隠していた感情というか思いというかに気がつきます。
僕の場合にはこれをどうこうしようというよりも自分で気が付く事に大きな発見がありました。

そうする事で自然と「なんで自分が‥」という思いが「〇〇だから△△」というように俯瞰してみる事ができるようになったんですね。

自分が感じる感覚に嘘はなくて、自分が感じる感覚は、まさにその時感じた感覚であり、嫌なものは嫌だし、腹立つ事は腹立つし、好きなものは好きで偽りはないと思っています。

ですがそれを感情のままに生きていると不都合な事もたくさんあるので、自分を含めて、みんながそれぞれの思いを抱えている事に気がつきます。

自分の感情や思いに目を向ける事で、もしかして父親にもいろんな感情があるのでは?父親がなぜそんなに厳しく教育をしたのか?という事にまで目が行くようになりました。

これは父親が怖い!と持っている渦中にはなかなか感じる事はできませんでしたが、今だからこそ感じる事ができています。

自分を取り巻く環境とその背景

もしかすると、自分を取り巻く環境(家庭環境、教育環境、育った場所)をこのように考える事は、親族やお世話になった人を悪くいうようで引け目を感じるかもしれませんが僕はそうではないと思っています。

家族、兄弟、仲間で同じような環境にいた人でも、感じる事は人それぞれですし、自分なりのポジションを持っています。

だからこそ、人とうまく付き合うためにできる事も大切ですが、自分を俯瞰してみたり、自分と向き合ってみる事が大切のように感じます。

その中で自分を取り巻く環境を振り返ってみて、自分に良くも悪くも影響を与えた環境について振り返る事は、他人をけなすためではなく、自分を生きやすくするためであり、自分と周りの人の環境を整える事に役立つと思います。

そして自分にもその生きてきた背景があり、それを取り巻く人にもそれぞれの背景があります。

だからと言って他人をどこまでも許容しなければいけないのかというとそうではなくて、その事実を受け止める事に意味があると思います。

自分は自分であり、自分以外の人もまた自分があり。

そんな積み重ねが人付き合いなのかなと思うわけです。

他人に矢印が向いている時は余裕がない時

「隣の芝生は青く見える」
こんなことわざがありますが、自分自身を見失っている時にもこのような現象は起きやすいです。

自分が置かれてる環境や自分が持っているものも忘れてSNSで見た〇〇さんがうらやましく見えたり、〇〇さんに嫉妬してみたり。

本当に自分に満足がいってなくて隣の芝が青く見えていますか?

どうしても他人の芝は青く見えやすい環境にあるのが現実で、SNS上に上がる情報はいいところの切り取りであったり、あなたが見ているあの人は自宅での状態までわかる術はありません。

僕が皆さんどのように写っているかはわかりませんが、先日もお風呂をでたあとお風呂場の窓を閉め忘れてしまい妻に怒られました(笑)

そんな事言わなければわからない事ですよね。

他の人の存在がやたら大きく見えたりする時もあると思います。

そんな時こそ「自分の状態」に着目して見ると自分の視野が狭くなっているだけかもしれません。

繰り返しますが、自分を振り返るって他の人との関係を円滑に保つためにも役立ちます。

自分を振り返って見ると、少し余裕が出てきて相手に対する思いが変わるかもしれませんね!

少なくとも僕はこのような視点?考え方?を持ってから少し心に余裕が出てきました。

人と付き合う前の自分の心構えとでも言ってみましょうか😌
「人と付き合う前に自分と向き合う。

参考にしてみてください。
まとまりのない文章でしたが最後までありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?