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「いまここにある」という感覚

 こんばんは。

 今日は、思ったことをつらつら書いていこうと思う。

 昨日の投稿でも触れたんだが、「いまここにある」ことを強く意識すること、つまりマインドフルネスについて考えてみたい。

 そもそもマインドフルネスの定義をちゃんと見たことがないので調べてみた。

 マインドフルネスとは、現在起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想及びその他の訓練を通じて発達させることができる。(Wikipedia参照)

 マインドフルネスには、瞑想として仏教を源流にしたものと、そこから派生してアメリカで生まれた医療目的のもの、2種類が存在するらしい。

 今回は、マインドフルネスを紹介するわけではない。紹介するほど詳しくはないし、瞑想を実践しているわけでもない。ただ心の動きとして「いまここにある」を強く意識すること自体に興味がある。

 いつかの投稿でも書いた記憶があるが、「いまここにある」感覚は、不安に有効だとされている。不安とは主に「不明瞭な未来」に対して抱く感情だ。

 「あー明日のプレゼン嫌だなあ」
 「仕事でミスをしてしまった。絶対に怒られるの嫌だなあ」
 「将来ちゃんと収入を得られるんだろうか」
 みたいな感情だ。(不安のボキャ貧なので全部仕事の不安になってしまった)

 「不安」は「分からないこと」に対しての恐怖だ。なので、何に対して不安なのか明文化することが解消の一歩だと思う。私は不安なことがあるととりあえず紙やタブレットに殴り書きしている。こうすると「今」置かれている状況が分かってきて、「分からない」ことが少なくなる。

 書き出した結果、もし「今の自分が何をしてもどうにもならない」ことがわかったのなら諦めるしかないが、多くの場合は「今から何かをすれば解決もしくは事態を緩和できる」と思っている。

 「今ここにある」感覚は、広い意味でその瞬間の自分を客観視することでもあるだろう。

 もちろん、感情的に考える必要がある場面もたくさんあると思うが、こと不安に関してはそうではないと思う。

 では、「何が不安なのか分からない不安」はどうなのか。

 どうなんでしょうね。

 「言い知れぬ不安」なんて言ったりしますが、何となく不安に苛まれて思うように活動できないとか、イライラしてしまうことは、たくさんの人に経験があるかも知れない。

 言葉を操る天才たる芥川龍之介も「ぼんやりとした不安」に苛まれていたという。

 個人差があるだろうからなんとも言えないが、私は落ち込むことがあったらとことん落ち込んでも良いと思うが、不確定の未来を思ってぼんやり不安に苛まれるのは嫌なので、「何とかなる」と思うようにしている。

 テキトーと言われればそれまでなのかも知れないけれど。


今日の日記

 昼にサイゼリヤに行きました。

 ティラミスコーヒーゼリーとミラノ風ドリア+フォッカチオを食べました。ぜーんぶ美味しかった。

 近所にサイゼがある生活が初めてなんですが、良いですね。近くにジョナサンがある生活より大差で良い。

 ファミレスに入ると、周りの席の人がどんな人なのかすごく気になってしまいます。

 この間は、隣の席のおそらく大学生2人がずーっとパズドラしてました。私も昔やっていたので会話内容が全てわかってしまい、全然目の前の料理に集中できませんでした。

 今日は左斜め前の席の男女がサラダをシェアして食べていたんですが、見事に2人ともずっとスマホ見てました。悪いとは言いませんが、他からだとこう見えるのか……という学びになりました。

 それでは。

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