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◆読書日記.《木田元『ハイデガー拾い読み』――シリーズ"ハイデガー入門"6冊目》

※本稿は某SNSに2020年3月6日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 木田元『ハイデガー拾い読み』読了。

木田元『ハイデガー拾い読み』

 タイトルは軽いが、けっこう内容は充実したハイデガー解説書。「
「ハイデガーの文章は難渋で分かり難いが、講義録のほうは噛んで含むような丁寧さで面白い」と主張する著者が、ハイデガーの講義録の面白さを解説する1冊!

◆◆◆

 ハイデガーの主著と言えば何といっても出版当時多くの人間に読まれ、後の実存主義哲学者に多大な影響を与えた『存在と時間』だろう。

 だが、この本はハイデガー思想の"主流"を行くものではなかった。

 何しろ全体の三分の一しか書かれていない未完の書だったので、ハイデガーが本当に言いたかった事を言えていないのだ。

 ではその「ハイデガーが本当に言いたかったこと」というのは奈辺にあるのか?
 著者は「私は近ごろでは、ハイデガーの思想の全貌にふれたければ、通常主著とみなされている『存在と時間』より講義録をいくつか読んだほうがよいかもしれないなどと、ひとに薦めるようになってきた」と言っている。

 ハイデガーが哲学界に与えたインパクトを把握するならば『存在と時間』を読むべきだろうが、ハイデガー思想の本質に迫りたければ講義録を読んだほうがよいかもしれない、ということなのだ。
 それは、ハイデガーが『存在と時間』で断念された後半部分の内容について、同じテーマでいくつもの講義を行っているからだった。

 ぼくも過去何度かハイデガー思想の説明で言及しているが、『存在と時間』の後半部分の内容は、西洋哲学史における「存在」の捉え方についてカントを検証し、デカルトを検証し、中世の存在論を検証し、プラトンーアリストテレスの存在論を検証して最終的に古代ギリシア思想まで哲学史をさかのぼって検証していくという内容だった。

 つまり、ハイデガーは「存在」の謎について、歴史をさかのぼって古代ギリシアの時代まで立ち返り西洋の伝統的な「存在」概念の移り変わりとその源流を明らかにしたいという考えを持っていたのだ。
 だからこそ著者は「ハイデガーの本質はアリストテレス学者であり哲学史家だった」と何度も主張しているのである。

 ハイデガーの講義録は、著者の主張では「噛んで含めるような丁寧さで説明していて面白い」のだという。
 そして、中断された『存在と時間』の結論についても明らかにしている内容の講義もあり、またお得意の古代ギリシア思想やアリストテレス思想などを、原著を舐めるように読解してその真相を説明しているという。

 特に著者が薦めているハイデガーの講義録の面白さといのは、この哲学書の古典の精緻な読解作業にあるのだそうだ。

 ハイデガーは西洋哲学の様々な古典をそれこそ舐めるように一文一文丁寧に読み解き、それまで哲学研究者が持っていた常識的な解釈を覆して新たな読み方を説得力を持って提示してくるのだという。

 例えば、カント『純粋理性批判』についてもハイデガーは決定的な誤訳があると指摘している。
 これはドイツ語のカント用語を、後世のカント学者が間違って解釈していた、ということを指摘しているという事なのだそうだ。
 これはドイツ国内だけでなく、日本の哲学研究者も目から鱗が落ちる思いだったと言われているという。

 こういった「誤訳問題」や「誤解釈問題」は、抽象的な理屈を厳密に言語化しなければならない哲学の宿命のようについて回る問題でもある。

 ハイデガーは本質的に「哲学史家」だからこそ、それら文献を独自解釈して、それまでの定説だった事を覆し且つ説得力のある新たな解釈を提示することができたのだという。

 ハイデガーは、この独自で強靭な読解能力を以てして西洋哲学2500年の歴史を根本から覆そうとしていたのだ。
 そのために、西洋哲学の伝統を背骨のように一本通ってきた「存在概念」の歴史を近代から全て辿っていき、古代ギリシア思想までの全過程を検証しようとした。それが『存在と時間』の初期構想だったのだ。

 この巨大な射程範囲を持った雄大な構想は、未完に終わった『存在と時間』の前編だけでは伺いようもないのである。
 その思想の雄大さというのは、ハイデガーの講義録の中に見出す事が出来る。
 本書の著者である木田さんは、そういう部分にこそハイデガーの講義録の本当の魅力があると言っているのだ。

 ただし、この講義録にも欠点はあるという。
 著作だったら自分の納得いくまで推敲を重ねられるが、講義は一発勝負となる。という事で出来不出来の差というのがあるのだそうだ。
 思ったように話が進まない場合もあったそうだし、ハイデガーは話したい事を喋り終わると、投げ出してしまう傾向があったのだともいう。

 ハイデガーの文章は独特の緊密さや語り口があるが、こと講義録となると「読んでいてムダの多いことは否めない」のだそうだ。

 だが、成功した講義録は翻訳文でも分かり易く哲学研究者でなくとも十分その面白さがわかるだけのすごみがあるのだという。

 本書では、そういったハイデガーの講義録の面白さを解説するととともに、具体的にハイデガーの講義録の中でも重要だと思われるものをピックアップして解説する「ハイデガーの講義録の拾い読み」の試みだ。
 これを10のテーマに分けて雑誌に連載されたものを一冊にまとめたものとなっている。

 竹田青嗣の『ハイデガー入門』によればハイデガーの特に後期思想は難解なうえに神秘的な内容で分かり難いと説明していたが、本書によれば講義録はそうでもないようでもある。
 ハイデガー自身の言葉でその思想を分かり易く解説してくれるという点では、確かに著者が言うように講義録は読むべき著作なのかもしれない。


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