近藤正朗 / Masao Kondo

医療法人オレンジの人類学者/ 早稲田大学理工学術院 文化人類学専攻修了。 北陸先端科学…

近藤正朗 / Masao Kondo

医療法人オレンジの人類学者/ 早稲田大学理工学術院 文化人類学専攻修了。 北陸先端科学技術大学院大学(JAIST) 知識科学系 修士課程中退

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文化人類学専攻で理系出身の私が医療法人で挑戦を選んだ理由

はじめまして。 2021年に医療法人オレンジグループに入社しました、研究戦略セクションの近藤と申します。 「オレンジにそんなセクションあったの?」とよく聞かれます。 あります。私が作りました。 今回はそんなよくわからない肩書き、矛盾ばかりのタイトルについてたっぷり語らせていただきます。 いつも自己紹介をする時、何をどこから話そうかめちゃくちゃ考えています。そのくらい伝えたいことが多いのですが、普段ほとんど伝えられないので思い切ってnoteに書き出してみようと決めまし

    • 【読書メモ】線『生きていること』#4

      インゴルドは、生のプロセスとしての進化(と生産)という見方を「創造性と持続」という考えと結びつけようとした。 ホワイトヘッド:世界は完了したものではなく、絶えずそれ自体を超えていくものである。創造性はそんな運動である。 ベルクリン:生を発展という創造の運動に時間の本質がある。何かが生きているところには、どこかで時間が記入される帳簿が開かれている。 生は進行し続け、その中で向かう先の地点は無限に乗り越えられていく (受験や興味あることもそう。あの山登ろう!登った後には次

      • 【読書メモ】住まうこと『生きていること』#3

        今回の記事では、「住まうこと」と「建てること」の違いを整理して、「建てるということ」を捉え直そうという内容である。 まず、インゴルドは ・建てること=建てられた形に先立つデザインの結果的な表れである。 ・住まうこと=生きていることと同じく進行中であり、単に建てられた構造物を占拠するのではない。生きた世界の流れに浸ることである。それなしでは、建てることも占拠することもできない。 建てることは住まうための手段ではない。住まうことは建てることが具現する目的ではない。建てるこ

        • 【読書メモ】歴史とは『生きていること』#2

          前回の記事では、「生産」という行為について、 生産のプロセスに焦点を当てることで、 動物も人間も実際には変わりはないことをやっているということが書かれていたという記事を書きました。 今回は、インゴルドの「歴史」についての考察をまとめていきます。 2つの歴史モーリス・ゴドリエは、【動物の歴史】と【人間の歴史】を分けて考えていた。動物の歴史(history)は、動物たち側の意図的活動によって生じたものではない。系統の流れを下るとき、生殖活動の結果生じた偶然の変異と遺伝物質の組

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        文化人類学専攻で理系出身の私が医療法人で挑戦を選んだ理由

          【読書メモ】生産とは『生きていること』#1

          前回↓に引き続き、ティムインゴルドの著作『生きていること』の読書メモを綴っていきます。 人間がやることと-動物がやることは何が違うのか?をきっかけに「生産」を考えるようになったという。 人間にしか「生産」はできない??「生産」とは何か?フリードリヒ・エンゲルスは 「人間はあらかじめ建てられた計画・目標に起因して動く」と記した。 つまり、目的志向性を持ち、常に自分が何をしているか、なぜやっているのかを考えている。 よって人間の行為は「生産」していることになる。 動物は

          【読書メモ】生産とは『生きていること』#1

          【読書メモ】人類学を生きかえらせる『生きていること』#0

          この記事では、人類学者のティム・インゴルドが考える「生きていること」とはどういうことか。についてアイデアが詰まった↓の本の読書録を作成しながら、思ったことを綴っていきます。 僕の現在の人類学観は↓の記事で記述しました。 ちなみに、 こちらの記事もインゴルドの『ラインズ 線の文化史』という著作を参考にしました。 ティム・インゴルドの著作は、これからの人類学を切り開いていくような内容が多く散りばめられています。実際読んでみると、まるでポエムのような、哲学のような内容もありま

          【読書メモ】人類学を生きかえらせる『生きていること』#0

          【ものの人類学】植物は生きているのか?

           前回の記事では、植物や庭いじりをきっかけに集まるコミュニティ、庭くらぶについて紹介をしました。  庭くらぶとは、福井市のつながるベースという複合施設(クリニック・カフェ・ジム)の庭スペースを拠点に、苗を植えたり、雑草をとったり、おしゃべりしたり、ゆるく活動している集まりです。植物の扱い方を全く知らない私たち素人で立ち上げ、植物の育て方や土壌、などなどを、まちの人にに教えていただきながら、ときには植物をお裾分けしていただいたこともありました。  庭くらぶは誰でも、どんな関わ

          【ものの人類学】植物は生きているのか?

          手書きの文字でしか伝わらないこと.

          つながるベースでは毎月イベントのお知らせを投稿しているが、その裏面にはスタッフの手書きで作られたつながる新聞を毎月発行している。 なぜ手書きにこだわるのか?手書きという文字が持つ力について考えてみようという記事である。 手書き、大人になるにつれペンを手にすることすらなくなってきている。 手で書くという機会も日常的には郵便配達のサインくらいのものではないか。 手で書かれたものをふと目にしたときのなんとなく感じる温かみのようなものって一体なんなのか?を探っていきます。 突

          手書きの文字でしか伝わらないこと.

          植物・庭いじり好きの集まりー庭くらぶ論①ー

          庭くらぶとは? 植物・庭いじりがちょっと気になる人たちが集まって、植物を植えたり、土を運んだり、雑草をとったり、お茶会したり、するサークルのような集まりです。毎月一回は定期的に開催しています。 〜始めたきっかけ〜 庭くらぶをメインで動かしているメンバーは、 「季節の花や野菜を育てながら、葛藤しながら日々の成長と関わりたいなと思い描いていたことが、この度進み始めました。」 私も最初から関わっており、 つながるベースの隙間を華やかなものにしたいという気軽な気持ちで関わり初め

          植物・庭いじり好きの集まりー庭くらぶ論①ー

          僕にとって人類学のこれまでと現在地

          人類学との出会いは、今から5年前の大学3年の時でした。 過去の自己紹介の記事でも書きましたが、私は大学に理工学部の応用化学を専攻して入学しました。 3年生の時、人の死、終末期医療、に関心を持ち、人類学が気になるようになり、ついには人類学のゼミに所属することになりました。大学を卒業し、もっと文化人類学を深めたい、研究と現場をつなぐ人になりたいという思いから、 福井県の医療法人オレンジに新卒で就職しました。 現場に出る傍ら、人類学・文化人類学を学ぶべく、独学でわからないな

          僕にとって人類学のこれまでと現在地

          ぎりぎりz世代の僕が思う学校健診って

          学校健診って、かつての自分にとってどんな時間だっただろうか思いを馳せてみる 学校で、身長、体重、心電図、レントゲン、視力、聴力、・・・を測定する機会が学校健診だと認識している。 そこでは、「自分の体を数値や画像データをもとに知ることができる」のである。 特に、そこでの関心は、「異常がないか」ではないか。 ちょっとした体の悩みや心配事の相談を元気なうちにできる場でもあったが、 健康かどうか(虐待をされていないか)、どこか異常があるかないかを知る機会だった思う。 ちな

          ぎりぎりz世代の僕が思う学校健診って

          鳥の目になって見える世界

          2023年、 医療法人で働く研究者として、社会人として3年目を迎えようとしています。 昨年は ・大学院入学 ・学会発表デビュー ・新しい拠点の立ち上げ ・・・etc. 生活スタイルが目まぐるしく変化し、始めての経験、業務に取り組んできました。 また、noteでは現場での気づきをもとに書籍や学術領域での思考を絡めた内容を発信してきました。 来年度からは修士2年になります。 学術領域で言及されている理論や先行研究のインプットをもとに、 職場での実践、気づきを加えて発信、

          鳥の目になって見える世界

          若手人類学者がフィールドワークしているお話

          文化人類学は「文化」という側面に着目し、自分とは異なる文化について知ろうとする学問である。 参与観察やインタビューなど 長期のフィールドワークを通して(衣食住を共にし)自分とは異なる「他者理解」を試みる。 「他者理解」は難しい 自分の中の当たり前、バイアスが既にあるためだ。文化人類学には、それを二つの概念で乗り越えようと試みる。 一つ目は異質馴化である異質=自分の文化、考え方とは異なるものを 馴化=対象世界の文脈の中で彼らの論理を理解すること。 二つ目は馴質異化であ

          若手人類学者がフィールドワークしているお話

          地域医療と医療人類学の視座

          ドイツの社会学者のニクラス・ルーマンは近代社会を機能的に分化した社会と捉えました。 「教育」というシステムを担うのは学校であり 「宗教」というシステムを担うのは寺や教会であり 「科学」というシステムを担うのは研究所や大学であり 「政治」というシステムを担うのは議会である。 近代社会のことを高度に専門分化した社会として指摘しています。つまり、教育者に宗教家からの横槍が入っても教育システムはコントロールされないということです。社会の中心が政治でも神でもなく、それぞれのシステムが

          地域医療と医療人類学の視座

          私のサードプレイス

          朝活夜が開ける前に起き、 大学院のレポートを片付け、仕事を始めようとしました。 が 頭の中がパンクしかけており 衝動的に滝を調べ、行ってみました。 すぐそばの駐車場へ車を止め、森の中を進み、滝へ降りていく間、 風景、湿度、気温が目まぐるしく変化していきました。 朝日が差しとても神秘的な空間に圧倒され、 小一時間ぼーっとしていました。 水の落ちる音の迫力、自然のパワーに魅了されながら 「サードプレイス」を見つけました 家から30分、程よい距離にあり、 山

          私のサードプレイス

          断捨離で受け取るものとは

          「釣り竿」をいただきました半年以上まえ、 外来で出会った患者さんに、釣竿をいただきました。 外来で何度かお会いし、いろいろ話しているうちに仲良くさせていただいた方です。 ある時、福井での遊び方について話していると、 その方は昔から釣りをやってこられ、「お金もかからず、楽しく、さらにゆっくりと自分を向き合う時間も作れる遊び」とのことでよくやっていたそうです。 そんな話を何度かしていると、 「釣竿をあげるよ」とクリニックに持ってきて、そのままいただいてしましました。

          断捨離で受け取るものとは