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手書きの文字でしか伝わらないこと.

つながるベースでは毎月イベントのお知らせを投稿しているが、その裏面にはスタッフの手書きで作られたつながる新聞を毎月発行している。

表面:イベントの情報
裏面:つながる新聞

なぜ手書きにこだわるのか?手書きという文字が持つ力について考えてみようという記事である。

手書き、大人になるにつれペンを手にすることすらなくなってきている。
手で書くという機会も日常的には郵便配達のサインくらいのものではないか。

手で書かれたものをふと目にしたときのなんとなく感じる温かみのようなものって一体なんなのか?を探っていきます。


突然ですが、

↑の図を見てどうでしょう

ひとつは、点と点を最短で結んだ、連結した線

もう一つは、点のようなまとまりと点のようなまとまりを結んだ線
あるいは、ペンを使ってどのような手の動きをしたかがわかる、運動の軌跡としての線

それがどうしたということだが、

この対比を東京と福井の移動に置き換えて考えてみる。

東京ー福井の移動を新幹線のグリーン車に乗り、効率的な仕事の時間にする人

東京ー福井の移動で鈍行列車に乗りながら、
いろんな景色を楽しみ、途中下車し、観光して、いろんな人と出会い、何時間もかけて福井に到着し、そのまま敦賀にも行っちゃいそうな人

人類学者のインゴルドは、これら二つの対比を「輸送」と「徒歩旅行」と呼んだ。

今回の主題は、

「活字」と「手書きの文字」

である

「手の身振りと文字の刻印の結びつきを破壊したのが印刷技術であった。
言葉が書かれるのではなく、印刷されるとき、文字生産物から技術的影響を与える
身体動作が断ち切られることによって言葉はものに変わる」

インゴルド・ラインズ

活字は文字を記号に変換し、記号と記号が持つ意味の結びつきに還元する。タイピングされた文字を出力する腕の動きと意味はつながっていない。伝えたい情報・意味を確実に読み手に届くように簡潔に迅速に伝える。

一方、手書きの文字は書くという行為の一部であり、筆圧、ペンの種類、文字の形、クセ、書き順、それらを含めた運動の軌跡である。記号としての文字が持つ意味だけではなく、書き手の感情や思い、表現のユニークさ、も伝わってくる。
さらに心の中で書き手が直接語りかけてくるような感覚にも陥る。

記号ー意味に置き換えると
活字は「輸送」であり、手書きの文字は「徒歩旅行」である。

活版技術の発達により、文字は記号になってしまい、なにかを失ってしまった。
絵文字、顔文字を使って失われたものをなんとか補おうとしているようにも感じてくる。

さらに情報技術の発展により、人とのコミュニケーションが場所や時間を問わず一瞬で行うことができるようになった。LINEなどは、活字や絵文字を通したコミュニケーション方法の一つとして地位を確立している。

それにより「手書きの文字で手紙を書く」という機会が極度に少なくなり、

手紙を書くときの相手を気遣う気持ち、文字にするときの紙と向き合う姿勢、そして送った手紙が相手に届いき、読まれてその返事の手紙が届くのを待つ時間、届いたものを相手の声と重ねて読むこと、そして手紙のやり取りに終わりがないプロセスであるということ・・・

それらが技術の発達により、どこかに追いやられてしまった。。

これらを考えていると、

手書きが持つ力とは、

読み手の想像力を豊かにさせるなにか。
であり、
心のうちにある、自分自身の感覚を刺激するなにかであるのではないか。

手書きの文字でも、単なる記号としての意味しか読み取れない人も確かにいるだろ
う。活字で囲まれた現代社会で生きる我々が見失いがちな、何か大切なことを手書きの文字を目にた時、心の中で読むという行為を通して、思い出させてくれるのではないか。

手書きの文字は、
書き手が読み手を思いやる気持ちの表れとして生まれた手の運動の軌跡ともみることができる。また読み手の心に書き手が直接語りかけてくるような感覚を通して、読み手である自分が自身と向き合い、書き手の問いかけに応答しようと試みるきっかけを作ることもあるのではないか。

紙の上に印刷された活字もしくは、液晶画面の中の活字を認識しながら日常生活を送っている我々に、つながる新聞があえて手書きで発行する意味はそこにあるのではないかと思っています。

つながる新聞のライターは毎月変わります。つながるベースのスタッフの顔、感情を思い浮かながら読む人が増えると嬉しいなあという思いで、今後も毎月発行していきます。この記事のような目線でつながる新聞を手に取ってみると、その見え方や、読み方が変わって面白いかもしれません。

是非一度、福井市のつながるベースに足を運んでみてください!お待ちしております😊

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