見出し画像

不登校、父との対立

小学校に入った頃から、父は私に厳しく当たるようになりました。

小学生のころ学校に通う意味を見出せない私
父は勉強なんてしなくてよいから友達を作れと私を叱りました。

それって今思えばおかしな話だなと
勉強しないってことは夢ができた時それに近寄れなくなる
友達を作れと言われても学年に気の合う子など居ませんでした

だからどちらかと言えば勉強して将来好きなことをやりなさいって言われる方が悩まなかったのではないかと思います。

私はそんな父からのストレスと学校に行きたくないあまり、咳が止まらなくなりました。
今もですが、緊張すると咳が止まらなくなることがあります。

それを父は「嘘の咳」「お前が居ると病院ばかり」「金食い虫」と罵りました。

この頃父は心臓病を患い、余命宣告をされていました。
タイミングがとにかく悪かった。

不登校VS末期患者

これはあきらかに揉めます。
私に好きな歌手ができた時は「オタクだなお前は」(当時はオタクのイメージが今より悪かったです)「気持ち悪い」と言われ。
親戚の前で無名の歌手が好きだとバカにされ
私はその時からその歌手の歌を聴きたくなくなりました。

その歌手は私にとって唯一の光でした。
光を失った私は本格的に不登校引きこもりの道を歩き始めます。

昼夜逆転、眠れず苦しんでいると突然叫び出したくなりました。
なんで私を認めてくれないのか父に問うと、父は「お前のことがよくわからない」「学校へ行け!!」

父は自分の寿命の短さと残された時間、その間に私をどうにかできるか
そればかりを考えていたのだと思います。

父は思いを言葉化するのが苦手でした。
だから私のことが嫌いな嫌な人というイメージが私の中にはこびりついていました。

でもある日びっくりすることが起きます
私が泣きながら
「私じゃない誰かが私の代わりに生まれてくるばよかったよね!!」そういうと父は「違う!お前が良い!!」と言いました。

意外だな……と。
その時は思いました。

それから精神科へ行き、高校へ復学、皆勤賞。
私の快進撃は続き父は落ち着いたのか持病の心臓病に苦しむ事になります

父は母の説得で仕事を辞め主夫になると宣言しました
しかし臓器不全になり鬱気味になりました。
できることも少しずつ減って行き、食べることもできなくなっていきました。

ある日父は病室で私に言いました。
「お前の気持ちがわかった」
「やりたいことができないのは辛いな」

この時父は私に敗北してしまった。
そう思いました。
それが信じられず「また元気になるよ」と声をかけたことを覚えてます。

それから二日後父は息を引き取りました。

今思えば、父は心臓病からくる不調を私のせいで気分が不安定でつらいと当たってきていたんだろうなと。
根は悪い人ではないです、父は。

とにかくタイミングが悪いことが重なった。
その結果私は高校は卒業できたものの、大学を退学、男性依存、摂食障害、激太り、気分変調症となってしまいました。

誰のせいか、自分の心の整理ができなかった父のせいとも言えるかもしれませんが、父はもういなく、居たとして後の祭り。

なんだかなー……
私の人生ってなんなんだろうなと思ってしまいました。
とにかく頑張ろう!

また男性依存と摂食障害についての記事を書こうと思います。

胡湖奈るん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?