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親は子に資源・サービスを提供できなかったらお役御免

タイトルの通り、自分は親に対してこんなふうに思っている。
だから今後も親に対しては頼れるときだけ頼りたい。

仮に親が自分のことをどれだけ気にかけてくれたり、愛してくれてるという思いがあったとしても、親に金がなかったら、自分が借金1億円背負った場合に対処してもらうことはできない。
言い方は酷いが、そう言う場合金のない親は役に立たない。

自分は基本的にこういう風に捉えちゃうから、親のことを役に立つか否かでしか関わりを持つか、持たないかを判断してしまう。

自分の考え的には、金や土地、食料などといった資源を提供できなくなったら親とはいえ頼りにならないんだよな。だから関わってもめんどくさいだけの厄介者になり得る。
資源なくても、子供ができたときに代わりに子供の面倒を頼んだりっていう場合は頼りになるので、資源がなくても場合によっては親の存在は助かったりする。
だから親の資源の有無はケースバイケースだ。

親の意見は参考になりにくい

親の方が人生経験が長いから大人の意見として参考にできる?という考えもあんまり共感できない。

親は親自身のこれまで歩んできたり触れてきた物の中での善悪という判断を伝えてきたりする。
これに関しては1人の人間としての考え方としては参考になる。だけど、その考え方は親の過ごしてきた時代背景では通用した考え方だったりすることも多く、現代の時代背景とは前提部分が違っていたりして現代では役に立たない場合も少なくない。
あとは世間での一般論を自分の中での正しい答えかのように堂々と伝えてくるような所があるが、そう言うのを知る手段だったら親以外にも色んな所で見聞きすることも多く親から聞かなくても問題ない。

総じて、親が直接子供の役に立てることは、資源提供、もしくはサービスしかないなというのが自分の考えだ。
これは親子だけでなく友人や恋人などの他人同士でも、そうなのかもしれないなと薄っすら感じるんだよな。

親が子供に肩入れし過ぎると、却って子供の主体性とか問題解決能力の成長を阻害させるリスクもある。

結論、親は基本的に精神的に子離れをして、子供から頼られた時にだけ資源提供などをするくらいでいいのかなと思ったりする。

自分は親の介護もできる限りしたくない。
理由は言うまでもなくめんどくさいから。
できればしたくないし逝くときはコロッと逝ってほしいなと思っている。

その後、親にもっとこうしておけばよかったな〜などという後悔も残るかもしれないが、その心残りは自分より下の世代に向けることで上手く昇華していきたい。



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