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難病のこと(自分と人を許す編)

難病のこと


私の持つ病気のひとつ。
難病の「特発性両大腿骨骨頭壊死症」。
私はステロイド性で発症しました。

ステージはCー2。簡単に言うと一番悪いステージ。
もともと生まれつき骨の低形成もあるので、
ひとより小さくもろい足の骨の根元が、壊死して少し潰れている状態。

すぐにでも人工関節にしないと歩けなくなりそうだったのはもう11年ほど前のこと。
そこから色んな出会いがあり、京大病院の主治医もびっくりの奇跡が起こって、
今も自分の骨で走り回っているのであります。
病気だと言わなければ、わからないほど。

どんな出会いでこうなったかは、おいおい書くかもしれない。
(どうしても今すぐ教えて!という切羽詰まっている方は、ご連絡下さい。)

そんな奇跡の足だけど、最近知らず知らず無理をしてしまったようで、
低気圧もあいまって、しくしく痛む日々だった。
そこで、今日は日帰り温泉へ。

えいや!と、温泉へ

いつもなら温泉はすぐにのぼせてしまうので、そんなにゆっくりつかれないのですが、
今日は長めにつかっていても、まだ足が冷えてるなぁと感じるほど、
なかなか芯まで温まらない状態だった。
ベースが落ちてたんやなぁと気付く。

思い返せば最近は、
痛みが雪のように降り積もるストレスになって、
心の容量を知らず知らず食われてしまって、
じわじわと他のことに悪い影響が出ていた。
睡眠の質もイマイチだし、集中力も下がってしまっていた。
子どもたちに嫌な思いをさせてしまった。
それでも自分さえ我慢すれば何とかなるから!と、
痛みを見てみないふりをして、走り続けて、悪循環ループに入っていた。

実は今日はやることいっぱいあるし、時間がないから温泉は諦めようかなと思っていた。
しかし、心と体の健康あっての人生。
健康が少しでも損なわれると、効率もがた落ち。
気分転換にもなるし、無理にでも行こうと決心し、重い腰を上げた。

結果、痛みも和らいだし、自分の今の状態を客観的にみることができた。
無理やりにでも止まらないといけない時が、ある。

自分を大切にできないということ

自己犠牲で何かに尽くすことは素晴らしいことだけど、
自分をないがしろにして何も守れなくなるのは、
似ているようでただの本末転倒だ。

腎臓の難病を発症した時もそうだった。
無理をして、薬で症状だけ抑えて、
自分のことを無視して、走り続けていたら、緊急入院になった。
神様から強制終了がかかったと思った。

『無視が一番ひどいいじめ』
『愛の反対は無関心』

と、言うけれど、本当にそうだと感じる。
自分を無視することは、自己虐待。
あの時、自分の生き方を振り返って、
「もう自分を無視するのはやめよう」と心から思った。

今までの生き方の癖が抜けず、また無視をしてしまっては、改善して…
を、繰り返して来た。
そして久々の『足の痛み』という警告。
また同じ失敗をしていた。
けれど、失敗で終わるか、成功への過程にするかは、これからの私次第。
警告に耳を傾け、どうしてこうなったか内観して、改善して行く。
生きるって、これの繰り返しだな。

立ち止まることを怖いと感じることがあるけれど、
立ち止まらない方が怖いし、
実は止まっているようで、大ジャンプをするために体を屈めただけだったりする。

自分を許せないと人も許せない

ごめん、自分。
大切にしなくてごめん。
ひずみが出てるよって言ってくれてたのに、
無視してごめん。

自分を許せないひとは、人のことも許せない。
痛い自分も、できない自分も、間違う自分も、
いったんありのままに受け入れて、許そう。
それは甘えではない。
受け入れてからしか、改善もできないんやから。

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