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なぜ夕焼け空は美しいのか

夕暮れが僕のドアをノックする頃に

ふと見上げた夕焼け空が美しくて。
今この瞬間の、永遠の中でこの一瞬しか見ることのできない、夕焼け空。
人の手では作ることのできない、奇跡のコントラスト。

あぁ、幸せだと感じた。
目が見えること、光が私に届くこと、今この瞬間を生きていること。
幸せで有り難いという気持ちが、奥底から自然と湧いて来た。

谷川俊太郎先生の、『生きる』が浮かんだ。
小学校の卒業式で朗読した詩。
「生きているということ
 今生きているということ」
そう。
生きていることを実感したような、そんな時間だった。
言葉で表すことのできない、深い感動は、
誰に教わらなくても、私の心にある。

幸せでいる

よく、「幸せになる」とか、「幸せにする」という言葉を目にする。
その気持ちは尊いし、美しい。
ただ、どんな状況も、「幸せでいる」ことだと、恩師が教えてくれたことがある。
幸せの条件なんて本当はなくて、
誰かや何かがなくでも、自分が自分の人生を幸せでいたらいいだけなのかもしれない。

ああだったら幸せ。こうだったら幸せ。
誰かが決めて、いつの間にか刷り込まれた価値観を鵜吞みにして、
幸せや愛までもが、条件付きになってない?
条件って、本当にあるのでしょうか。
頭で考えた幸せは、心を満たすのでしょうか。

見せかけの幸福度に一喜一憂して、心は乾いてカラッカラというのは、よくある光景なのだけれど、
自分が当事者だと気付くのは難しいのかな。
もしかしたら、気付くと都合が悪いから、気付かないを選択しているのかもしれない。

真っ赤な空を見ただろうか

BUMP OF CHICKENの名曲『真っ赤な空を見ただろうか』

「夕焼け空きれいだと思う
 心をどうか殺さないで
 そんな心ばか正直に
 話すことをばかにしないで」

幼い頃、見た夕焼けがあまりにきれいで、
時間なんて気にしないでうっとり眺めていたことがある。
誰に教わらなくても、美しいと思う心があった。
それをつい眺めてしまう、心があった。
そこに条件なんてなかった。
こうしたら誰かからどう思われるだろう?とか、
誰よりも優れているだろうか?劣っているだろうか?計算なんてなかった。
コントロールもなかった。
ただ心のままに、感じていただけ。
心は自由だった。

ありのままの自分で、今この瞬間を感じて生きる。
一瞬一瞬を尊ぶ。
そんなことが、いつの間に難しくなったんだろう。

瞑想で【今この瞬間を生きる】を味わいつくすと、
心が凪いで、幸せを感じやすくなる。
幼い頃のあの心に、近づくからなのかもしれない。

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