「なぜ私は歌を歌い続けるのか?」考察してみた

見城徹✕尾崎豊 ~人生の歩き方~ に答えはあった

「尾崎の作品は素晴らしいと思っていたので彼のためなら何でもするぞと思っていた。」

「ただし、そこからが地獄への道行きだった。この人との愛は間違いなく完璧だと思った人には、猜疑心・嫉妬心・独占欲何もかもの塊ですから。もしミュージシャンでなくても、例えば村上龍と食事に行ったなんてことが知れたら、もう大暴れですよ。自動販売機を殴りかかったり、車のボンネットの上に乗っかってガンガンやるとかは日常茶飯事。」

真実の愛とか永遠とか思いやりとか優しさとか絆とかそういうことを歌っている。」

「でも、それが信じられないんですよ。信じられないから歌うんですよ。信じられないから自分を救うために信じたい歌を歌う。」

「表現はそういうものですよね。自分がこれを書かなければ救われないから書くんです。だから彼の曲はメロディラインも詞も美しい。」

生きていくことの根本に刺さった歌詞ですよね。でもそれが信じられないんですよ。」


この話を聞いて納得した。
自分は歌を歌うことで、自分自身を救おうとしていたのだと気づいた。
でも、歌えば歌うほど理想と現実とのギャップが広がっていくことも気づいていた。15の夜MTFver.はそうしたなか出来上がりました。

猜疑心・嫉妬心・独占欲の塊・・・これは典型的なBPDともいえる。
だから私はいままで、これまで作り上げてきた人間関係を簡単に壊してしまうのか理解するに至るわけです。
仲良くなってもすぐにぶち壊してしまう衝動性。初めて会った人には物凄く低姿勢だけど、「この野郎許せない」となったら、すぐにテーブルをひっくり返す・・・。まさに私のことです。

BPD摂食障害うつ病躁鬱パニック発作そしてGID。
人生って何なんでしょうね。永遠のテーマです。

「信じるものは救われる」という言葉は間違っています。信じたり祈ったりしても全く自身の人生は好転しません。なんとなく心地よい言葉に踊らされてしまっているだけです。
正しい場所で、正しい方向性を持って、十分な技術と膨大な量でもってなされた継続的な努力は裏切らない。」ということでしょうか。

これからは、ちゃんと自分自身と向き合い、自分と決着をつけられるように毎日精進していきたいと思います。というわけで・・・、

ドキュメンタリー番組制作します。来月中には一本制作したいですね。

撮った動画をYouTubeで配信予定。乞うご期待。

では、また次の記事でお会いしましょう!!!





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