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生きるということ

ここ3年ほどで、両親と私の間で色々なことが起きた。

父が入退院を繰り返すようになり、昨年他界した。若い頃は話すこともほとんどなかったが、入退院を繰り返すようになってからは、病院への送り迎えや、自宅での見守りなどをして、できるだけ関わるようにした。あんなに嫌だった父との時間も穏やかに過ごすことができた。父も私に頼ることこそなかったが、私が手を伸ばすと握り返してきたことに驚いた、それと同時になんともいえない気持ちになったことを今でも思い出す。最後は私が自宅に立ち寄れない日を避け、偶然立ち寄った日に息を引き取った。それは父が私に見つけてほしかったのではないかという気持ちにさせられ、涙が止まらなかった。

そして、母もめっきり弱ってしまい、私に迷惑をかけたくないから早く死にたいと口に出すようになってしまった。それはそれは悲しくて、迷惑と思ったことなどない、今まで散々迷惑をかけていたのは自分であり、母ではない。今、母の世話をできることは、これまでの自分ができなかったことをさせてもらえていると感じている。逆にありがたいと思っている。悲しいけれど、母のお世話をする日もいつか終わりがきてしまう。今はとにかく、父にできなかった分も、早くに亡くなった兄の分も、母へ親孝行がしたいと思っている。だから母にはできる限り元気で生きていてほしい。

しかし、私はというと、子供に対して母と同じことを言っていることに気づいた。子供には迷惑をかけたくないから、長生きせずに早く死にたいわー…と…。これが親心というものなのか…それに気づいたとき、なんともいえない気持ちになってしまった。


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