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他人を食べるということ

『俺のライフハック』響です。

今回はカニバリズム等の物騒な話では無く、

自分以外の他者と共存していくうえで、私なりの考え方をつらつらと書き綴っていこうかと思います。

自分の中で生き続ける人達

人との出会いを表す言葉には「一期一会」「千載一遇」「刎頸之交」など様々な熟語がありますね。

人間関係、出会いにおいては千人千色の捉え方や膨大なパターンがあると思っています。出会う相手によっては尊敬の意が生まれたり、利用してやろうと狡猾の感情が芽生えたり、負けたくないとライバル心が燃え上ったり、異性なら恋愛感情が生まれたり、出会いそのものには自分の感情や立場・考えや自我が色を付けて意味を成すと考えます。

話は逸れますが、言葉を持たなかった時代の出会いにはどんな意味があったのでしょうか。ただばったり出会った相手と見つめ合い手を繋ぎ仲間意識を芽生えさせてハッピーに✌とは到底考えられません。本能に従って相手を観察し見分けていたとするとやはり無意識に「自分にとって」という意思が先行して、そこから各々人間関係を構築していたのではないかと思います。

大抵の人は自分に好意があり、利益をもたらし、気の合う人たちとのみ関係構築を望んでいるのではないでしょうか。

そして自分の園を荒らし、攻撃をしてくる人間は排除してなるべく関わらずにいたいと思う人が大半だと思います。

私は今まで後者の人たちに関しては自分の中で意味が無く、無駄な存在だと思い込んでいました。彼らの事は忘れて前向きに生きていこうと記憶の奥底に押し込み紐で忘れようとして気を楽にする努力を重ねてきました。しかし最近思うようになったのはどんな人間であれ、自分に関わっている・関わっていた人には大なり小なり意味があったということです。

そして彼らの良い部分も悪い部分もひっくるめて彼らを食べた上に、今の自分が立っていると解釈します。正式名称が存在するのかはわかりませんが私は勝手に『他喰論』と名付けています。※悪い意味で使われる「他人を食い物にする」とは意味が異なるので名付けてみました。

食べた彼らは知らず知らずのうちに自分の中に消化され、些細な行動、言動や思想、感情、能力などに表れて自分の中で生き続けます。

生存そのものに言えることではありますが、生きるということは他者の命を奪うことで生活においては食事という行動に置き換えられます。昼に最寄りの駅で食べたラーメンも昨日池袋で頂いた寿司も、全て生きていた生物の生命を奪って自分に取り込まれているという訳です。

再三申しますが、リアルな生存方法として人間は生物の命を奪うことでしか生き伸びてはいけません。食物連鎖に従って捕食しているまでです。じゃあそれが残忍で悪質で控えるべきか、と問われるとそんなことはないと思います。ですが感謝の精神は持ち続けるべきだと思います。

直接他人の生命を奪わずとも他人の持っているもの、それは行動でも思想でも見た目でもライフスタイルでも言葉でも、触れた時点で自分の中に侵入し他人を食らっていることになるかと考えます。

すなわち、出会った全ての人には意味があったという結論に行きつきます。

人間関係を前向きに捉えられる

人間関係はどんな環境にいても円滑を求められます。企業や団体、組織に属す以上周囲との協調性を求められ、その能力が無い者は淘汰へと追い込まれていきます。特に現代では個人の働きが重視され、何かとコミュニケーション能力が試されがちになっている傾向ではないでしょうか。とは言えども人間関係に悩む人は少なくないと思うからこそ、『他喰論』を胸に刻んでほしいと願っています。

何処にいても折り合いがつかない人間や、自分にとっての苦手な人は一定数現れがちです。ただそこを『苦手だから』で片づけず、『その人にもその人なりの正義があり、プラスでもマイナスでも意味があるから食べてみよう』なんて感じで捉えれば気持ちも楽になるんじゃないかと思います。きっと自分が今いる場所に意義を持つことができるんじゃないでしょうか(それでも口に合わなければ生きる場所を変えるのも悪くないと思います。また別の場所にいる人間も自分にとって意味があると思うので・・・)。

人間は孤独と向き合うことが苦手な生き物で、SNSの拡大やT技術発展の裏側には現実の薄れが浮彫になりがちです。更に都会で暮らしている方は雑多にむせ返る様な人間の多さに孤独を感じるシーンが多々あるのではないでしょうか。また収束の掴めないコロナ渦で更に他者との繋がりに希薄を感じがちです。そんな時に向き合ってみて欲しいのは、今自分が何でここにいるか、といった漠然とした題材です。自分一人で来たわけではなくて関わってきた人間を食して、彼らで体内が構成されていると考えれば自分は一人じゃない事に気づかされます。自分の血となり肉となり、自分自身を進化させてくれる糧になります。

つまりなるべく多くの人と出会った方が自分の栄養となり、明日も生きる理由になるかと思います。

大事なこと

ただ、相手を食らいつづける行為だけでは意味が無いと考えます。自分が吸収した人をどう昇華させるかは飽くまで自分であり、良くも悪くも意味を持たせることで自分の中で色濃く生き続けるのではないかと思います。せっかく出会ったのだから無駄にはしたくないですよね。

また前章でも軽く記載しましたが、人間同士やっぱり適合性や相性はあると思うので口に合わないことも、下手したら食中毒にもなってしまう可能性もあるので無理強いは不要です。ペッ と吐き出して次の場所へ食べ物を探しに行きましょう。注意点として挙げたいのは、相手を限定しないことです。食物連鎖上人間は高次消費者と呼ばれる肉食性生物を食べているわけですが、じゃあ『他喰論』の場合はどうなんだという所です。自分にとって弱者である人間だけでなく、自分と関わる様々な人を被食者として捉えるべきであり、そこが現実的な食事とは違い可用性を拡げられる利点でもあります。

当たり前のことですが重要な補足点として、食して生かすのは紛れもなく自分です。つまり自分という骨格に他人を肉付けしていく様なイメージになります。食べた人間に自分を蝕まれて、結果自分が食べられてしまうのは本末転倒です。飽くまで自分自身を保った上で捉えないと中身のない、他人に左右される人間に落ち着いてしまう恐れがあるので、その線引きを熟考することも大事なプロセスの内です。

最後に

私含めて人間関係に悩みを抱える人は多いと思います。仕事において、人間関係が理由となって転職をする人が上位を占めるそうです。どうせ明日も他人と関わるのならポジティブに捉えた方が得なので、私なりの考えを紹介してみました。『他喰論』は自分の知見や考えを広げて楽に生きれる考え方かなと思います。加えて自分の知らない自分に出会いやすくなると信じています。

どうせ生きるなら、と頭の片隅に入れておいてもらえれば幸いです!!

以上、『俺のライフハック』響でした。

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