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私が約2時間かけて遠くの美容院に通う理由


私は、車・電車・新幹線を乗り継いで片道約2時間もの時間をかけて、お気に入りの美容院に通っています。
近所に美容院は沢山あるのに、どうして「そこ」に行きたいのか。それにはこんな理由があります。


ショートヘアにするしかなかった

元々ヘアアレンジも大好きで、頑張って髪を伸ばしてコテで巻いたり、髪で楽しむことが大好きでした。
でもCIDPという病気をもち、その楽しさが苦痛に変わりました。
薬の副作用で、髪質はボロボロ。沢山抜け落ち、自分が大切にしていた長い髪が枕やお風呂場の排水溝に沢山落ちていることが、視覚的にとても悲しかったのです。どう頑張ってもボサボサになる髪を、鏡で見るのも嫌でした。
病気の症状で腕が上がらなかったり、指先に力が入りにくいせいで、洗髪も本当にしんどくて。ドライヤーで乾かすのも一苦労で、ヘアケアも思うように出来なくなったことがストレスでした。

そんなストレスや悲しさを解消するには、とりあえず「髪を短く切る」ということしか思いつきませんでした。
ショートヘアは過去に何度も経験したことはありましたが、そこまで満足できた記憶もなく。
本当は長い髪を楽しみたいけど、ここまで辛い思いをするくらいなら「仕方ないけど切ろう」と考えました。
近所にあるいくつかの美容院でショートヘアにしてみましたが、やはり気分が上がらず。「こんなもんだよな」「仕方ないよな」と思いながら過ごしていました。


ショートヘアががいい、と思えた

ある日、なんとなくSNSで「ショートカットが得意な美容師さん」を検索して眺めているときに、「この人良さそう!」と思った美容師さんを見つけました。しかしその美容院は自宅から遠く離れたところにあり、新幹線を使っても片道約2時間弱もかかる。いやいやいや、さすがに通えない。
・・・ですが、ちょうどよくその美容院の近所に用事ができたので、試しに行ってみることにしました。

丁寧にカウンセリングをしてもらい、慣れた手つきで驚くほどスピーディーに、かつ丁寧に、あっという間に切られていく私の髪。
切り終わって、自宅でのセット方法(めちゃくちゃ簡単)も丁寧に教えてもらって、トントンと店を出ました。
もちろん切り終わった直後に鏡で見たときも「お!いいかも!」とは思ったのですが、後からの余韻の方がすごかった。

帰りの新幹線の中で、ふとスマホの真っ黒な画面に映る自分の髪型を見て、「あれ?私、ショートヘア似合ってるじゃん・・・」ぼんやりそう思っていたら、なんだか涙が出てきて。病気になってから初めて、自分の姿を見て素敵だと思えたのです。嬉し涙を流したのも初めて。

病気をもっていても、副作用のせいで見た目に自信が全く持てなくなっても、私が私のことを、少しでも素敵だなんて思える日がくるんだ・・・と、嬉しさとこれまでの辛い気持ちが心の中にブワァーっと溢れました。
嬉しすぎて、無音カメラでこっそり自撮りをして、家族に写真を送ってしまうくらい。家に帰ったら会うのに。


「在りたい姿」を追い求められる希望

それ以来その感動が忘れられず、初めて切ってもらった日から約3年以上経った今も、頑張ってその美容師さんのところに通い続けています。めっちゃお金かかるし、ちょこちょこ行くことはできないけど。(コロナ禍で通えない期間もあり、そのときは美容モチベが上がらずキツかった・・・)

担当美容師さんには「病気・障害をもっていること」は何となく話してあって(というか杖を使っている時点でお察しなのだけど)、「カラー選びは、顔色が良く見えることが最優先事項!」とか、そういう要望も理解してもらいながら施術をしてもらっています。
体のことについて深く聞いてくることはないけど、帰り支度をしているときに杖をスッとセットしてくれてあったり、店内や階段を歩くときは、なんとなく私の足元やペースを確認しながらゆっくり歩いてくれていたり。
そんな自然な気遣いや程よい距離感も、私が「ここまでしてでも通いたい」と思える理由になっているのだと思います。

美容院が建物の2階にあり、エレベーターは無く階段で上り下りしなければいけないけど、「あの階段を上り下りできるくらいの脚力は維持していたい!」というのも、私の体調管理のモチベーションの一つ。

この素晴らしい美容師さんがいる限り、私はこれからも自分の意思で「ショートヘアがいい」と思い続けられるだろうし、病気をもっていても「お洒落を楽しむことを諦めたくない」とか「なりたい自分になろう」とか、そんな前向きさを持ち続けられると思います。
可愛くなりたいとか、綺麗にしていたいとか、病気をもつ前は当たり前のように思っていたこと。病気をもってからは難しくなってしまったことも多いけど、「今でもそう思っていていいんだ、それを追い求められるんだ」ということに気付かせてくれました。

私はこれからも出来る限りのことをして、私の「在りたい姿」を追い求め続けます。もしかしたら、鏡を見て涙を流す日々がまた来てしまうかもしれない。それでも、この希望をもう体験してしまっているから、きっと何度でもまた立ち上がって前を向ける気がしています。


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