【超短編小説】帰り道のアナログ
DX化真っただ中の職場を抜け出した小夜。名ばかりの弱小コンサルに嘘みたいな額を払うバカな上席を筆頭に、明らかな無駄を生む「作業効率化」をして、現在帰宅中である。
結局DXとか言いつつ、PDFを使うわけでも、メールを使うわけでもなく、書類は紙、メールではなくFAX。承認は印鑑以外で許されないという前時代的なやり口を変えるつもりがないのだから、弱小など関係なく、もはやコンサル自体うちには必要ないだろう。と、そんな愚痴を浮かべながら帰る道の暗さは、本日の残業時間に比例するように黒く深く、今の心模様そのものだった。
やれやれ。おそらく家に着く頃にはてっぺんを回るだろう。本当にやれやれだ。それで明日も出勤なのだから、社会システムは狂っている。就活の時、もっと頑張っていれば、大学の同期が通勤しているような優良企業にでも入れたのだろうか。戻ってこない過去を悔やむより未来を見ろだなんていうキラキラしたSNSの投稿を最近見たせいか、途端に自分が惨めになった。ああいう投稿を平然と上から目線でしている人は、それこそ充実した生活でも送れているのだろうか。
今の自分に不必要な自己肯定するための言い訳が夜に沈む。これではメンタルが死んでいくだけだと思い、私は街灯の下で立ち止まり、ポケットに入れたスマホとワイヤレスイヤホンを取り出した。別に、誰も見ていないからいいだろうと、イヤホンを両耳にはめ曲を流す。
ジャカジャカと、2,000円のイヤホンから流れるサウンドは安っぽい。またひとつ過去の自分の行いを悔いる。耳に咀嚼させている音楽は、はや10年前になる学生時代に流行った曲だ。今の音楽と違って、2,3分の曲ではなく、4,5分の、いわゆる「タイパ」の悪い曲だ。曲調もバンドノリな感じで、DTMなどで作られる何重にもなる音が跳ねるような、そんな近未来的でオシャレなものではない。
しかし今、この寂しい夜にはちょうど良かった。走馬灯のように、もう数年は会えていない当時の友人とはしゃぐ夏休みが脳裏に蘇る。スーツではなく、制服のカッターシャツの感触がする。風呂の匂いも溶け切った無臭の夜ではなく、真夏の藍が鼻腔をかすめる。あの時は教室や友人の部屋でCDプレーヤーなんか使って聴いていたっけ。
気づけば身の回りこそDX化していたんだと、安い耳元から気づく。これがデジタル化というか電子化というか、最新鋭の技術の結晶なら、なんだかあの頃のまま止まってほしかった。傲慢な思いが体の内から滲み出て、明日の雨雲から滴り落ちる梅雨の香りと調和する。
散々、自社のやり方を批判していた数分前の自分は、すっかり今の自分に否定されてしまった。こうして二つの自分が内在するもどかしさを痛感し、つくづく人が、自己中心的な生き物であることを思わされる。都合よく容認されたアナログは、レガシーシステムだと判断されず残り続けるが、それは私にとっての青春がそれになるのだろう。だったら、壊されたくないと守りに入ることも理解できた。
そうして多少なり反省する頭に対し、プレイリスト通りに流される安い青春は心に溜まっていく。そしてCDよりも圧倒的に無価値になってしまったデジタルが、かけがえのないアナログの思い出を蝕んでいることに気がついた。だから高いイヤホンを買おうとは思えず、むしろ無意識にそれを拒絶していたのだ。そうと分かれば急にあの夏にリバイバルしたいと曲を止め、間もなく変わる日付を無視して電話をかけた。
「……何時だと思ってんの?」
数年ぶりに聞く旧友の声。いつでもアナログな思い出が、暗夜の帰路に再始動した。そんな気がしてならなかった。
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