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本物を目指して「門前,市を成す」であれ

東京大学 教授 古澤 明


古澤 明(ふるさわ・あきら) 1984年,東京大学工学部物理工学科卒業。1986年,東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程修了。同年,(株)ニコン入社。ニコンに在籍しながら,1988~90年は東京大学先端科学技術研究センター研究員,1996~98年はカリフォルニア工科大学客員研究員を務める。帰国後ニコンに復帰,2000年から東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻助教授。2007年,東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻教授。 ●専門:非線形光学,量子光学(光化学ホールバーニング,フォトンエコー,スクイージング,キャビティ聞き手ED,原子トラップ量子テレポーテーション,量子コンピューター) ●主な受賞歴等:1998年,Caltechで「量子テレポーテーション実験」に世界で初めて成功,『Science』の1998年10大成果に選出。2004年には3者間の量子もつれ制御に,2009年には9者間の量子もつれ制御に成功。久保亮五記念賞,日本学術振興会賞,日本学士院学術奨励賞,量子通信国際賞など。(雑誌O plus E掲載当時の情報です)

人が行かないところに行く,人がやらないことをやる

聞き手:物理学者の世界のトップランナーでいらっしゃる古澤先生が理学部の物理学科ではなく工学部の物理工学科に所属されているというのはちょっと異彩だと伺いました。なぜ工学部に進もうと思われたのですか。

古澤:日本の特殊事情なのかもしれませんが,日本には物理学会と応用物理学会があるように縦割り行政になっています。世界ではこのように分かれているところはありません。私はカリフォルニア工科大学(Caltech)では物理学科に籍を置いていましたが,研究自体は米国でも日本でもずっと同じことをやっていますので,私にとっては何の違和感もありませんが,日本にしかいらっしゃらない方にとっては,異彩だと感じられるのかもしれません。あと,日本の物理学科は素粒子論とか宇宙論といった既存の分野の枠組みがすごく強くて,われわれのやっているような量子光学や量子情報など極めて新しい分野は,工学部でないと展開できないといった事情もあります。
 私が高校のころには,コンピューターはとても重要な時代になっていましたし,ものづくりにおいても,電気回路等が導入され,制御することが不可欠でした。しかし,理学部に「制御」という概念は無く,観察し物事の真理を探求はするけれども,得られた成果を,例えば量子を制御するというようなことはご法度でした。私は,制御をしたいんです。量子状態あるいは量子の制御をしたいので,そうすると必然的に工学部になってしまいます。高校の進学アンケートには,「東大・物理工学」と書いていましたし,宇宙関係をやるのなら宇宙工学科とか本当にロケットをつくるとか,そういう工学部志向が最初からありましたね。東大の物理工学科の特長は,純粋物理と実験に必要な工学を体系的に学ぶことができることです。

聞き手:学部と修士の方では半導体の光物性を研究テーマにされ,その後,ニコンに入社されますね。

古澤:半導体をやっていたら電機会社に入るのが普通ですよね,日立とか東芝とかNECとか富士通とかに。この学科でも,そういう大手電機会社に入るのがマジョリティーでしたが,私はあまのじゃくで,マイノリティーが好きなんです。「人が行かないところに行く,人がやらないことをやる」というポリシーがあるので,人生の決断において,すべて人の選ばないことをやってきました。申し訳ないですけれども,光に興味があったというよりは,人が行かないから行ったというだけで,ニコンを選んだのも,13社ほど会社見学に行き,「財閥系の三菱グループの会社なので絶対,多分,つぶれないな。雰囲気も自由な感じで,一番楽そうだな」と思ったからです(笑)。

 最初は開発本部の研究所に配属され,半年ほどの研修が終わると,「光化学ホールバーニングをやるから,調査しなさい」と任務が与えられました。まだインターネットが普及していませんから,とにかく図書室の文献を読みあさった覚えがあります。1988年には,東京大学先端科学技術センターの三田達先生,堀江一之先生の下に国内留学し,光化学ホールバーニングの実験を行うことになりました。光化学ホールバーニングは3次元の大容量メモリーで,今3次元メモリーというとホログラムメモリーですが,あのころは,2次元空間を波長で3次元にしたものでした。研究は順調に進み,1990年には博士号を取得することができました。

聞き手:3年間の国内留学から復帰し,その後,新設される筑波研究所に行かれたのですね。

古澤:基礎研究により移行していきますが,私は大容量光メモリーの研究を続けるにあたって,1000倍記憶容量が上がれば1000倍速く,あるいはもっと速く読まないと意味がない,と悩んでいました。今でも一番記憶容量のあるものは磁気テープなのですが,使われていないのはアクセススピードがめっぽう遅いからです。早く読ませるために,ディスクを速く回せば帰ってくる光の量はどんどん少なくなっていき,最後はフォトン1個しかないわけです。フォトンが1個返ってくるか返ってこないかで読み出すというところが限界で,「ショットノイズ・レベル」と言いますが,光磁気ディスクはすでにこのレベルにきていました。それで,なぜそうなるかというのを考えました。普通の光はフォトンがランダムに飛んできますが,ちゃんと「制御」された形で光が飛んでくればショットノイズ・レベル以下のところで情報を読めるんです。次の展開として光の量子状態をいじる研究を上司に提案しました。制御するために,普通はばらばらに飛んでくる光のフォトン同士に相関を持たせ,2個ずつ飛ばすスクイーズド光を用いた研究を始めました。量子光学研究は,少しずつNTTなどで行われていましたが,どこのメーカーもまだ着手していなかったと思います。最初は,会社の研究所でかつ量子光学は全く素人の私が,一人で研究を続けていましたが,急速に進歩していた世界の技術と戦うには限界もあり,この当時,筑波研究所長を兼務されていた鶴田匡夫先生に相談したところ,電気通信大学の宅間宏先生を紹介していただきました。宅間先生に「CaltechのKimble先生の下で研究するべきだ」と推薦状を書いていただき, 留学することになったのです。

量子テレポーテーションの成功をビールを賭けて宣言

聞き手:Caltechへは1996~98年の2年間のご留学ですね。留学先でのご苦労などは?

古澤:最初は日常会話で苦労しました。研究について英語で議論を交わすことはできたので,研究するにあたっては特段困ることはありませんでした。ほかの研究者を見ていて,東大の物理工学科で回路学や制御論を系統立てて学び,古典光学や量子力学もみっちり鍛えられてきたという自負もあり,それこそが自分の強みなんだと気付きました。それに,人間好きなことをやっていれば時がたつのを忘れるものです。確かに,寝食を忘れ24時間実験をやっていたような気もしますけれども,苦しいとかではなく,面白いおもちゃで遊んでいた感じですかね。今もそうですが,全然苦になったことはないんです,1回も。

聞き手:1998年の留学最後の年に,長い間実験は困難と言われてきた「量子テレポーテーション」の実験に挑まれますが,そのきっかけは?

古澤:シュレディンガーの猫やEPR(アインシュタイン・ポドロフスキー・ローゼン)パラドックスのように,量子力学の黎明期には「思考実験」だったものが,テクノロジーの進化で,実際にテーブルトップで実験を実現できる時代になりました。違う研究をやっていましたが,「量子テレポーテーションの実験をやりたい」と,私からKimble先生に申し出ました。普通,米国の大学は,博士研究員だろうが学生だろうが,ボスが自分で給料を払っているんですが,私はニコンから派遣されていましたから,研究成果を出せなくてもボスは困らないわけです。

 そもそもKimble先生もできるとは思っていなかったので,「いいよ。そんなにやりたいなら,やったら」みたいな感じでした(笑)。全然理論的にも完成していなかったので,どう実験をしていくかというのも完全に手探りでしたから,面白かったのかもしれません。結局2個ずつフォトンを出すという研究が,そのままテレポーテーションの実験に読み替わったわけです。強いて言えば2個ずつフォトンを出すというのは光源に当たり,それを使って操作するのがテレポーテーションになるわけです。2個ずつ飛んでくるフォトンを空間的に離しても,今流に言うと「量子エンタングルメント(量子もつれ)」で,こちらの測定をするとあちらにも影響が及ぶ,といった操作を,最初はぼろぼろの実験セットで始めました。やり始めてしばらくしたある時,テレポーテーション実験を成功させる完璧な方法を思い付いたんです。で,Kimble先生に「あと3カ月でできる」と宣言したところ,「では,ビールを賭けるか」と。

聞き手:「完璧な方法」は,どうやって思い付いたのですか。

古澤:東大の物理工学科で,学んだからこそだと思います。量子力学,制御論,回路学,古典光学が完全に頭の中で整理できた時に,「あ,こうやれば,できるじゃん」とひらめきました。ディープな量子力学や量子光学をやっている人たちはたくさんいるわけです。一方で,回路学,制御論,コンピューターをやっている人もたくさんいるわけです。でも,その両方をちゃんと体系立てて学んでいる人というのは,世界的にも東大の物理工学科ぐらいにしかいないんですよ。それほど特異点なんです。また,今の人たちは「装置は買ってくればいい」と思っている人が多いのですが,最先端のことをやろうと思ったら,全部自分で手づくりでやらなければ狙った実験はできません。既存のものを組み合わせて何か新しいことをやろうという発想では,陳腐なものしかできないんです。そして,最先端の研究をやるためには,回路学,制御論は当然必要で,その素養がちゃんと骨の髄まで染み付いていないと,できっこないんです。

思考実験を現実化させ『Science』10大成果に選出

聞き手:賭けの約束はどうなりましたか。

古澤:3カ月後には成功させました。彼らにとっては信じられない奇跡が起こっているんですよ。当然,「本当かよ?」という感じでしたね(笑)。そんなすごいことができるはずはないと思われているので,kimble先生は「じゃあ,俺と一緒にやるか。目の前で成功させてみせてくれ」と。先生も間違ったものを「すごいことができた」と発表してしまったら学者生命が終わりますから,それは慎重になりました。この結果を,サンフランシスコで開催される量子エレクトロニクス国際会議(IQEC1997)で発表するため,3週間の期限を切り,Kimble先生とマンツーマンで実験を行いました。余裕で再実験を成功させる予定でしたが,なぜかうまくいかず,不眠不休で実験に取り組み,発表の直前にようやく成功することができました。Kimble先生も非常にエキサイティングで,最後に「I agree with you.」と握手したんです。

聞き手:IQEC1997で発表された時,皆さんの反応はいかがでした。

古澤:しいんとしていました。「何が起こっているんだか分からない」という感じでした。今まで理論もなかったし,いわんや実験なんかできるとは思っていないので,まず何が起こっているのかをみんなは理解できていなかったと思います。そもそもできないと思っていたので,理論でエントリーしてあったんです。それが,突然スピーカーが私にチェンジになって,実験結果の講演になったので,「あれ?」,「できちゃったの?」みたいな(笑)。そんな感じでしたね。

聞き手:その後,『Science』の98年十大成果に選ばれ,ジュラシックパークで有名なMichael Crichton『Timeline』の参考文献に載るほど,幅広い分野に影響を与えるすごい実験だったんですね。NHKの「プロフェッショナルの流儀」にも出演されていますよね。

古澤:おかげで世界中のマスコミに登場しました。今度,シュレディンガー・キャットのテレポーテーションというテーマで,10月放送予定の「Discovery Channel」にも出ます。

聞き手:お話は戻りますが,すごい成果を上げられ留学先から帰国すると,在籍していた筑波研究所が無くなっていたそうですね。

テーブルの上の部品は,古澤先生と(株)ファーストメカニカルデザインで共同開発したファイバーアライナのデモ機

古澤:ええ。要するに,長銀とか山一が無くなった時です。大井製作所に戻ることになり,今までやってきた基礎研究とは違うものを,それも何をやるかを考えなければなりませんでした。でも,それは面白くないですよね。ちょうど,東大の教職の公募があったので,応募しました。現在は,物理工学科でテレポーテーション屋をやっています。いろんなものをテレポートしています。そしてその展開とし,まずは,大容量通信を考えています。前述の光磁気ディスクの研究のところで,フォトン1個が1bitみたいな話をしましたが,スクイーズド・ステートを使うともっと情報が読めるようになるのです。基本的に非古典的な状態(量子力学的な状態)を使うと,光にたくさん情報を込められ,あるいは,非常に高い精度で読むことができるんです。今の光通信をショットノイズ・レベル以下の情報まで読めるようにすれば大容量になるので,量子最適受信機なるもの作ろうと思っています。それを売ってひともうけしようと(笑)。

聞き手:量子最適受信機なるものの完成は,いつごろでしょうか。

古澤:いつになるかそれは分かりません。その前に,ファイバーアライナやミラーマウントとかを作って売っています。

聞き手:今までのお話をお伺いし,進まれた先々で必ず何か成果を上げられていますよね?

古澤:私は,何というか,楽しければいいんです。やっていることが,面白くなくなったらやめますけれども,今のところ面白いので。不謹慎なのかもしれませんが。それと,あまり目標を立てるのは好きではないです。むしろ目標を立ててしまうとそれに標準を合わせてしまいますが,適当にやっていると予想以上の効果が出て「あれ,もうできた?」という時もありますから。私自身はもう監督なので特に実験をやっていませんが,最近の学生は,私が思っている10倍ぐらいのスピードでうまいこと成果を出すので,かえって,私が「何年後までに実現する」とか言ってしまうと,それに縛られてのんびりしてしまうので,むしろそれを言わない方がいいと思っています。

聞き手:意外ですね,昨今は大学生の学力低下が問題になっていますが。

古澤:ここの学生はとても能力が高いです。学生だって世界的なレベルで戦えるということを覚えるとすごく頑張りますよね。つまり,われわれの研究の現場はメジャーリーグなんです。リトルリーグも経験していないのに突然メジャーリーグのプレーヤーになれるんですから,すごくしびれますよね。多分,ワールドワイドで見てもどこにも負けないんではないですかね。例えば,東大のトップがハーバードに行ってもトップだと思います。ただ,日本語のジャーナルはカウントされないなど,いろいろなハンディキャップを背負っていますから,例えば,ワールドランキングでは,工学部は7位なのですが,東大全体は20番とか30番になっています。英語の論文を必要としない分野もありますから。あと1つとても重要なポイントは,英語以外で大学院レベルの教科書が存在する国は日本だけなんです。

聞き手:物理を自国の言葉で教えているということは,それだけその国の国力が高い,と伺ったことがあります。英語と日本語と,あとはフランス語ぐらいですか。

古澤:フランス語も今まではそうでしたけれども,かなり減っています。それだけ日本の物理学のレベルが高いという証拠です。やはり,母国語で学ぶというのは思考の回路にフィットするので,物理の分野でいえば,東大は世界で1位か2位だと思います。だから,何も卑下することはないし,何も負けていないのに,なぜだか「留学しろ」とか「今の若者は内向きだ」とか言う人がいて,いつまでも「米国に学べ」という思想なんですよ。今は日本では,もちろん東大の限られた研究室ですけれども,米国の研究室よりもはるかにお金を持っていますから,例えば,うちの実験設備は世界のどこの研究所よりもすごいですから,外に出ていく必要がないんです。日本にどっしり構えて,みんなが「門前,市を成す」状態でやるのが本当の本物で,私は,それを目指しています。

光をやっておけば,きれいな物理が学べる

聞き手:今後の光学分野を担う若者,若手研究者・技術者にメッセージをお願いします。

古澤:光の量子力学というかすべての物理学的発見は光なんです。相対性理論もそうだし,いろいろな最初の原理の確認実験は光で行われているので,「基礎学問を目指すのなら,光は面白いよ」と言えます。産業分野でも,通信に関してはもう光しかあり得ないですし,コンピューターも光になってしまえばもっといいですね。

古澤研究室の6畳ほどの実験室一面に広がる,量子テレポーテーションの実験装置

 その時に重要なポイントは,今はクロックの周波数がギガヘルツとかぐらいで単なる電磁波ですが,周波数が10テラぐらいになったら「光」と呼ぶだけです。結局,高速の情報処理をやろうとしたら光になってしまうんです。電磁気学というか,電子回路も周波数が高くなっていけば,光回路になってしまうわけです。半導体も高速になれば光処理装置になってくるし,そういった意味で,必然的にみんなが光を学ぶことになるんではないですか。だから,電子工学というのが,物理工学や(量子)光工学というふうに変わってくるんではないですかね。また,光は光学会社が独占するようなものではもはやなくなってきていますよね。昔の電線屋さんが光ファイバー屋さんになっていて,日立とかもかなり光にシフトしてきています。だから,すべてのハイエンドの回路は光に変わっていくので,光がとても重要なのではないですか。

聞き手:これから,「物理にちょっと興味がある」という人は,ぜひ光の分野を目指して間違いないということですね。

古澤:うん,つぶしが利きますね(笑)。光をやっておけば,きれいな物理が学べるので。光というのは,量子性も波動性も目に見えますよね。波動性は干渉縞がそもそも見えるし,量子性だってショットノイズは普通のディテクターで見えます。だから,量子力学を目で見ることができるんです。

箱の中には,レンズや鏡が1万分の1mm単位で調整されびっしりと並ぶ

基礎学問を学ぶ上で光はとても重要だし,光を学んでいればもっと複雑な固体とかにも行けます。そういった意味でもつぶしが利くし,いいんではないでしょうか。でも,もはや光と物理というのはそんなに離れておらず,電子物性も光物性ももはや混然一体となり,電子には質量があるぐらいです。電磁場か電子か,というそれだけの違いになってきているので,「物理においでよ」と言えば,必然的に光に入ってくると思います。

(O plus E 2012年9月号(第394号),肩書などの情報は掲載当時のものです)

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