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外国の「高度人材」はなにが違うのか

日本で「外国人人材」と言うときに、日本の少子化に伴う労働力の不足を補うという意味での、外国人を連れてきて働いてもらう、というのと、日本ではなかなか得られないような知見や能力を持った外国人、いわば「高度人材」に来てもらいたい、というのと2つがざっくりとあるかと思います。
前者、すなわち制度変更前の技能実習生などを中心とした人たちですが、そちらについても言いたいことはいろいろあるのですが、今回はとりあえず後者、すなわち高度人材と言われる人たちについて書きたいと思います。

これは、自身もアメリカからの修士・博士を持つ者としての想像ではあるのですが、大学院卒、特に博士レベルの人は(人にもよりますが)非常に応用力が高いと見ることができます。すなわち傾向としては、

・言われたことを言われたままにやる、というのには適していない
・つまりは、創造力や応用力が要求されるもの、チャレンジを好む
・指示待ちではなく、自分で、また自分のタイミングでスタートする(英語の求人だとself-starterという言葉がよく使われていますが、それです)
・結果・成果物に関するアプローチも、独自のものがある場合があり干渉されるよりは任されることを好む
・大きな目標を、小さなステップに分解することができる
・必要に応じ自分でリサーチができる
・必要に応じ自分で人と協力することができる
・忍耐力や諦めない力(grit)が強い、継続力がある
・自分の能力(学位含む)を認めてもらいそれに見合った報酬をもらっていいと思っている

といったことが挙げられるかと思います。特に日米両方見て誤解があるなと思うことは、日本だと博士=専門家(専門バカ)=頭でっかち=融通が利かない・・・的な連想の路線があると思うのですが、実際にはフレキシブルで創造性の高い人が多いのではと思っています。私のネットワーク内では実際博士号保有者率は高いですから、あながち間違っていないのではないかと思います。
つまりは、多少自分の専門家らズレたことであっても追随したり、あるいはまったく違う専門でも(極端な話文理をまたいでも)ある程度話題に追随したりする人が多いかと思います。それは、学びの方法論や物事を考えるためのシステムや手順のようなものをしっかり習得していたり、終わりのない好奇心や学習意欲を持っていたりするからではないかと思います。プロセスできる量やスピードも高いかと思います。
要は、雇う側使う側としては信頼して任せる、多少無茶ぶりでもまず訊いてみる、というのがあるのではないかと思います。できないときはできないと言うでしょうし、できると言ったならばときどき進捗を訊くくらいで放っておくくらいがちょうどいいのではないかと思います。人的物的含め、環境を整えてあげると定着してくれるのではとも思います。
定着・離職などは雇う側としては常に気になるところかと思いますが、もともと外国(特に欧米?)の人はモビリティ(移動性)が高い傾向があります。そもそも大学や大学院に行っている時点で地元を離れている可能性も高いので、キャリアのために動くことにも慣れていると言えるでしょう。高度人材として能力があると自負しており自分の力量を発揮することが好きであれば、ほかで雇ってもらえると知っているために不満があれば簡単に去るかと思います。「次」があるからです。アメリカにおいてはキャリアの上昇志向が強い人は2年ごとに所属を変えていったりもします。(最近では、何十年も同じ職場にいて結果良かったといったCNNの記事や、アカデミアの場合やはりテニュアが欲しいというのはあると思いますが。)
にしても昨日知人から回ってきた記事で、大学などで著名な研究者を雇いたくても雇えない、理由はお金、というのがありましたが、この構造は以前と変わったのでしょうか? 私は横浜出身であるため、いわゆる「文明開化」がらみのことに子どものときから多少馴染みがありました。今のJR桜木町駅が最初の「横浜駅」で、明治日本の鉄道敷設に貢献した「お雇い外国人」であるエドモンド・モレルの碑があります。当時はいろいろな先端分野で欧米から専門家を招聘して、学び、国内製にしていくということをいろいろな分野でやっていました。東京駅舎などを作った辰野金吾など日本の近代建築家を育てた、ジョサイア・コンドルなども例ですね。
当時も、御雇外国人には報酬をはずみ、暮らしやすいように住居を与えたり等々していたと思います。今でもそういう意味でのハードルは変わらないようにも思われるのですが、やはり要求される報酬的に国家間の格差が大きく、もう追いつかなくなってしまったということなのでしょうか。お雇い外国人に戻れば、非常に謙虚に、つつましい暮らしに甘んじて日本社会の近代化に貢献した、といった人もいたかと思います。
私は一応、日本の高等教育(主に大学・大学院)を総英語化するということには反対の立場なのですが、150年を経てもやはり高度な外国人を雇ってなんとかしたい、というところは変わらないのでしょうか。しかしながら日本国内にも日本人の留学経験者や大学院修了者はいっぱいいるわけで、そうした人材をまず活用していく、というアプローチも必要な気がします。そこでも結局、(呼んだ記事によれば)賃金の問題は発生するわけで、構造的に根が深いなーと思わざるを得ません。100年以上前に日本を訪れたかのアインシュタインでさえ、「日本の賃金が低いのは問題だ」と言ったというのですから。

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