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父のこと、遺伝と宿命

父は「呑む、打つ、買う」三拍子揃った遊び人だった。しかし女遊びを「買う」と言っても、素人の女を騙していたのは、プロの女を買うよりもずっとタチが悪い。

既婚の子持ちでありながら、自らを親のない独身だと嘘を言い、妻である私の母に妹を演じさせ、側で泣く私を「妹が預かっている本家の赤ちゃん」と言っていたのには呆れてしまう。私が父をロクデナシと呼んでいい理由がそれだ。

ある日、女から母に「週末に妹さんに挨拶に行く」と電話があった。このまま家に居てはいけないと思った母は私を連れて実家に避難する。家族からなぜ帰ったのかを尋ねられても母は何も答えなかった。というか答えられるわけがない。

何も知らず遠い街から訪ねてきた女は、近所の誰かから本当の事を聞かされ、泣きながら帰って行ったらしい。気の毒な話だ。クズというのは、こういう男を言うのだろう。

怪我をして入院し、麻酔のためボケた父を私の妻と娘が見舞った。妻が「わたし誰だかわかる?」と訊ねると父は「わかるよ、長崎のユミだべ」と答えた。

家族の誰も知らない名前を口にしてニコニコ笑う父。長崎が地名なのか店名なのかもわからない。昔の女と間違えたのか、単にボケが原因の戯言だったのか。たぶん前者だろう。

「呑む」ことは父に似てしまった。若い頃に飲んで喧嘩すると「父さんの血」だと母に言われた。父は若い頃は愚連隊で、飲んで暴れていたらしい。

母は、父の13回目の見合い相手だった。それまでの相手は、見合いの席で大酒を飲む父に恐れをなして、みんな断ってきたらしい。

小学生だったある日の夕方、TVニュースを見ていたら逮捕された反社の人物が映ったのだが、それを見た母は「父さんが叩いた人だ」と言った。酒場で意気投合し、移動するタクシー内で喧嘩になり、道端の棒っきれで殴った。

仕返しに来たその相手と所属する団体の者たちに宿舎を取り囲まれて、父は独り裏口から逃げた。見舞金を払ったかどうかは知らないが、母は父の喧嘩相手の素性を知っていた。

「父さんは腰に沢山の刺された傷がある」と母が言った。聞くと父は「みんな正面から来ても勝てないから、後ろからナイフで刺してきた」と答えた。腰を見ると、傷は時が経ち小さくなっていたが、数は10ヶ所を超えているようだった。

「打つ」父は家に帰る度に腕時計が変わった。ロレックスなどの高級品から、セイコーやシチズンの時もあれば、懐中時計だったり、時計を持たないこともあった。サイコロ博打で負けが続き、金が無くなると時計を賭けていた。

賭け事の遺伝子は弟が受け継いだ。学生時代にパチンコ店でバイトをし、客がスロットするのを後ろから見て目を鍛えた。回転中も絵柄が見えるから必ず勝てると豪語していた。年上の後輩を殴って辞めた後は、学生ながらセミプロとして稼いでいた。

弟は卒業して実家に帰る時に、母が送った旅費を送別会で殆ど遣ってしまった。当日は残った小銭でパチンコをして旅費を稼ぎ、乗換え途中でもパチンコをして、新幹線で実家に戻ったが、財布には数万の金が入っていた。

私はギャンブルを殆どしない。パチンコも人生で10回程度だ。競輪競馬などは行ったことがない。寺銭を考えると合理的ではないし、時間の無駄と思ってしまう。しかしメンタルがおかしくなると、宝くじやサッカーくじを買うことがある。

子供の頃は、年に数回しか家に帰らず、あちこちの現場を鉱夫として渡り歩く父を理解出来なかった。なぜ家に居つかないのか。子供と暮らしたくはないのか。

父は船乗りになって世界中を周ることが夢だったから、そんな生活が性分に合ったのだろう。家に帰ったのは、結婚して40年近く経ったあと、身体を壊し倒れた時だった。

晩年に行きたい街はあるかと父に訊ねると「パリに行ってみたい」と言った。それから数年後、81歳になる少し前に誰にも看取られず独りベッドで亡くなった。遠く離れてそれを聞いた私は声を出さず泣いた。

私は若い頃チェーンストアに勤めていて、短いと半年、長くても2〜3年で転勤していた。
転勤には不安もあったが、「次の街にもオレを待っている女がいる」と周囲に言ったらみんな笑ってくれた。

男前でもモテるわけでもない。見知らぬ街に誰一人として、私を待っているわけがない。それでも次の街への興味が不安より優っていた。いつも楽観的で明るい未来がある気がした。

子供の頃に両親とも入院して、弟と2人で暮らしていたことがある。その後、母の実家に引き取られ、そこから学校に通った。転居を数えたら、今いるところが13ヶ所目だった。次は実家の近くに家を買いたい。

適当な性格は父親似だろう。仕事に夢中な間は結婚は避けているくせに、子供が欲しくなると結婚して、子供が生まれても安定は望まず、家庭人の義務は負わず、勝手気ままに生きている。

妻にも誰にも相談せずに転職し、数年後に会社を立ち上げ、リーマンショックの後に潰して無一文になり、半年間ぼーっとした後に仕事を探して、その後も何度か転職した。

仕事も慣れたらつまらないし、どんな街も飽きてしまう。そして今はただのフリーランス。根っこがギャンブラーとか流れ者だろうと思う。社会とか家庭に適合していない。

今の私は、腕に時計の無い父に似ている。人生という賭場で、負けて奪われスッカラカンだ。金も無いが、意外に後悔も不安も無い。何とかなると思っている。

子供の頃から、そして成人した後も、父を反面教師と思い、あんな風になりたくないと嫌いながら、気がつくと似た道を歩んで来た。下手くそな生き方が遺伝しているようだ。

たまに父のしわくちゃの笑顔を思い出す。「可愛い」笑顔だと看護師さんや介護士さんに人気があったらしい。あの男はロクデナシだったけど、私も好きだった。

私も最近いい感じのロクデナシになってきた。宿命からは逃げられない気がするし、最期は独りきりかもしれない。その時は笑顔で「ほら、やっぱ当たったじゃん」と言いたい。

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