狢(むじな)にばかされた話【岩手の伝説②】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館


昔、水沢の殿様は藩の家中の薪を、己の持ち山を伐採してきて、供給しておりました。

しかし持ち山といっても、場所は殆んど遠い下嵐江(しもおろしえ)にあったものですから、運搬には大変なものでした。

道らしい道もない上、馬の背か冬の橇(そり)に頼っていたので、運搬のこととなると、いつも心痛の種でありました。

ある年、利巧な家来が、経費も人足※も少なくてすむ運搬方法を考えました。

※にんそく・・・重い物の運搬など、力仕事をして生計を立てている人。人夫。

それは胆沢川の流水を利用する「流し木」という方法でした。

しかし折角考え出した「流し木」の方法も失敗に終わりました。

切った木は川に流しても重くて沈むだけで、うまく流れてはくれませんでした。

家来は家にこもって考えました。

庭の池に色々の物を投げ入れて考えているうちに、重大なことを発見しました。

容積や重量の比重の差でした。

いくら物が大きくても、その物が乗る容積が大きければ、充分浮かぶということでした。

ですから結局、水の重さよりも薪の方を軽くすればいいんだと考えつきました。

薪を軽くするには簡単でした。

乾かせばよいのでした。

結果は成功でした。

伐採して二ヶ月を置いた薪は、胆沢川の水に乗って水沢まで流れてくれました。

人足達は水沢で待っていて、それをおか(陸)に上げるだけでした。

殿様はしっかりご機嫌でした。

木はただでも多くの人足のかかることで、家中から、そろそろ不平が出始めている頃だったので、その家来は早速、殿様の御前に呼び出され、お褒めのお言葉を頂いたのみか、多大の恩賞が下されました。

そんな訳で、春がくると多数の伐採人夫が募られ、山に入るのでありました。

そしてその人夫を均等に分け、北岸と南岸と川を挟んで競り合わせるのでありました。

多く働いた方にはいずれ終ってから、沢山の酒肴が出ることになっておりましたから、お互い励まし合いながら一生懸命に働きました。

そして時々、遠目のきく者を小高い丘に立たせて、相手側の様子を探らせました。

相手側の仕事の量を探索するためでした。

それが、南岸側ばかりでなく北岸側も、或はこれ以上の探索をめぐらし励まし合っていたかもしれませんでした。

ですから薪の山は日毎日毎増えていくのでありました。

ある日、殿様からだと言って、沢山の酒が担ぎ込まれました。

御苦労であるので飲めというのです。

その日、早く仕事を切り上げた両岸の伐採人夫達は、酒宴を開きました。

煌々と輝く篝火(かがりび)は昼を欺くばかりで、その明るさは対岸から人々の数が数えられるばかりでありました。

常日頃の競争は酒宴にも現れて、いつ果てるともなく夜の更くるまで続きました。

しかし酒量には限度がありました。

南岸の人夫達は、

「北側の奴等いつまでやるのか」

と残りの盃をほすと寝につきました。

それでも尚尚※、北側の人夫達の酒宴はいつ果てるともなく続いていました。

※なおなお・・・なおさら。ますます。

翌朝、南岸の人達が眼を覚ますと、とっくに日が昇って、谷々には淡い乳色の靄(もや)が這っていました。

その靄を透かして見ると、北側では未だ起きていませんでした。

昨夜遅いのだから疲れているのだろうかと思い、又その間に仕事の量をはるかに追い越してしまおうと、もう仕事に就きました。

しかし昼近くになっても、北側の人達は起き上がる様子はありませんでした。

南側の人達には、ようやく不安の色が漂い始めました。

どっちにしてもあまりにも起き方が遅いようだと、仕事の手を休めて北側の様子を伺うのでありました。

北側はひっそりしていて、働いている人も歩いている人も見えませんでした。

時折、谷をよぎる鳶(とび)の大きな影が斜面を走るだけでした。

南側の人達は、これはただ事ではないと心配になってきました。

そして相談の上、何人か北側に渡って様子を見ることにしました。

選ばれた三人は行って見て驚いてしまいました。

みんな死んでいるのでした。

早速、傅令※が川を渡って南側に報告しましたので、大挙※北側に渡って、死者の手当てをしました。

※でんれい?・・・伝える役の人、世話をする役の人などの意味と考えられる。

※傅・・・フ、デン、かしずく、もり。伝える、伝わる。世に広める。

※たいきょ・・・多数のものが一団となって行動すること。

しかしどうして死んだのか、皆死んでいることなので、理由を聞くすべもありません。

その時、虫の息の一人を発見しました。

川岸の中腹の大木の根方に倒れていた一人で、みんなは寄って手当てをしましたので、多少の元気を取り戻しましたので、早速この理由を尋ねました。

昨夜の残酒を一口飲みほした彼の言うことをまとめてみると、こうでした。

酒宴も終わろうとした頃、十人位の美しい娘達が、めいめい酒瓶をさげて現れました。

長い間女色を断っていた若者達は、いい相手と大歓迎をしました。

一応終わろうとした酒宴は、油を得た炎のように燃え上がりました。

歌が出ました。踊も出ました。

ことに女達のもてなしは大変なものでした。

しっかり若者達を有頂天にしました。

こんな山中に夜遅く、女性の現れることの不思議など考える理性など、若者達の頭からはふっ飛んでいました。

そのうちにその美しい娘達との快楽が始まりました。

若者達は恍惚として娘達のもてなしを受けました。

若者は終わりには、怯えたように眼をギラギラ輝かし、

「それがむじなだったのです。

女ではありませんでした。

私達はばかされていたのでした。

娘達のもてなしを受けたと思ったのは、むじなに私達の急所から血を吸われていたのでした。」

と語った。

そんな事があってから、殿様の命令だからといっても、薪伐採の人夫に応ずる人達はなくなりました。

殿様は仕方なく、薪の伐採の場所を他に移すことにしたということです。