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2022年は転換期

こんにちは。Webライターの冨田裕子(とみたひろこ)です。

本日は大晦日。

2022年は私の人生の転換期でした。

結論は、チャレンジしてよかった!

変化を受け入れ、環境を変えた自分を誇りに思います。

1年でこんなに激的な変化を過ごすことがあるだろうか。。
波にのまれ、人生の決断をし、歩みだす。
エネルギーのいる1年でした。

この1年の想いを綴って留めておきたい。
とても個人的な回顧録ですが、自分のために書きます。

◆シンガポールからの本帰国

2021年10月に、シンガポールに再移住を果たせた我が家。

コロナ禍で夫と離れて暮らすこと、2年…

生まれたばかりの赤ちゃんは2歳になり、
自己主張の強い2歳の娘は、4歳になってました。

「これからは、夫婦で子どもたちの成長が見られる!」
「夫への不満や育児への孤独が解消される!」

色んな想いや終息しないコロナの不安もありましたが、家族ともに移住。

それが・・・

シンガポールへ移住して半年、2022年3月に夫より告げられる。
「本帰国になるかもしれない。。。」

コロナにかかり、フラフラの初日にまさかの告白。
なぜこのタイミングで。。。夫よ。空気を読んでくれ…

ショックすぎて、号泣。

やっと来られたのに。
子どもたちも新しい幼稚園にやっと慣れたのに。

色んな想いが交錯。

  • シンガポールにて外国人のビザ取得が難しくなった

  • 会社の方針が変わった

コロナにより変化を余儀なくされました。

夫の同僚も、シンガポールに夫が居られるよう奔走してくれましたが、願いは届かず。
本帰国の命を受け入れることになりました。

◆退職を決意

本帰国することが濃厚になった4月。
帰国するにあたり、仕事を継続するか否かを考えました。

  • 9月に息子の育児休業が満了

  • 私の勤務先は栃木県内

  • 夫の勤務先は東京の多摩地域

  • 子ども2人の保育園か幼稚園を探す必要あり

本当に仕事を続けたいか自分に問いかけました。

答えはNO
答えはずっと前から出ていました。

でも、自信がなかった。
雇ってもらえるほどのスキルがない。資格もない。そう思ってました。

ただ、仕事は好きでした。
努力すると、少しずつできることが増えていきました。

新しい案件の担当になるのは大変だけど、成長を実感できました。
その分、私の時間は仕事で埋め尽くされ、家に帰るのは深夜。
休日は寝て過ごすことが増えていました。

今回は、子どもが2人もいるし、仕事にコミットする時間は限られます。

そして、結婚して6年のうち、3年間は単身赴任で離れていた、私たち夫婦。
距離による不和をこれ以上生みたくないと、強い想いがありました。

また、育休中に子どもの成長を間近で見て、成長の速さに驚きました!
体調の変化にも対応できるように、成長を近くで見守りたいとの思いもありました。

そこで夫に
「退職して、(夫の勤務先の近くに)引っ越したい。
子どもたちの生活が落ち着いたら仕事を始めたい。」

夫の返事は予想外のものでした。
「私もいつまで働けるかわからない。退職してもいいけど、すぐに正社員として働いてほしい。」

私は憤りました。
40歳間近で、子どもが2人いて、何のスキルもない私がすぐに正社員になれるわけないでしょ!!!!!
子どもたちだって、新しい環境にいつ慣れるか分からないでしょ!!!!!

憤って思いました。
それって、あまりにもつらい現実だよね?
自分で自分の道を狭めているでしょ?
私が活躍できる場所はもうないの?」

それ以外の道も、あるはず!
そう信じたい。

私だって仕事がしたいし、夫から経済的に自立したいし、自分の好きな物を買いたいし、子どもたちを旅行に連れていきたいし、習い事だってさせたいし・・・etc

そこから、「子どもが小さい」「周りの目を気にしすぎる自分」
を考慮して、在宅での仕事を探し始めます。

初期費用がかからなくて、すぐに報酬をいただけるのは何だろう。。。

InstagramからWebライターを知り、ピンときました。
「言葉を使う仕事にチャレンジしてみたい。」

  • 物心つくころから本を読むのが大好きで、文章を読むのが苦にならない

  • 人と話すことに苦手意識があり、それを手紙やメールで補っていた

夫にはざっくりと伝えて(笑)、シンガポールにいるうちにWebライターの情報収集をしていました。

◆突然の祖母の死

6月27日の朝

姉からのLINE
「ばあちゃんが亡くなった。これからお通夜の手伝いに行くね。」

突然の訃報に目の前が真っ暗になりました。
あんなに元気だったのに。
あんなにお世話になったのに。

2歳と4歳の子どもをシンガポールに置いていくわけにいかず。
結局、最後のお別れが叶いませんでした。

90歳過ぎても、自活していたばあちゃん。
気が強くて、パワフルで、愛情深い人。

「死ぬときは誰にも迷惑をかけたくない。」
そう言い続けて、四六時中、体を動かしてきました。

農家なので、広大な畑を黙々と管理する。
収穫した野菜を配るのが好きで、私たちも恩恵にあずかりました。

ばあちゃんが農家であることがきっかけで、私は農学部に進みました。

突然旅立ったばあちゃん。

いつこの世からいなくなるかわからない。
自分もそうなのだ。

人生にやり残したことはないか?
やりたくないことを、惰性で続けていないか?

ばあちゃんとの突然の別れは、私が在宅で働くことへの決定打となりました。

本帰国後、ばあちゃんのお墓参りに行ったけれど、いまだに実感が湧きません。ひょっこり帰ってきそうな気がして…

ばあちゃん、シンガポールから帰ってきたよ。
最後に会えなくてごめんね。
いつも心配して、信じてくれてありがとう。
私は、私の人生を歩いていくからね。
胸を張れるような人生を歩みます。

◆本帰国、退職の手続き

シンガポールでの荷造り。手続き。幼稚園の退園。
家族4人で国をまたぐのは途方もない労力でした。
よく頑張った私たち。

無事に完了して、私の実家へ帰国。

すぐに職場へあいさつ。
所属先への訪問前夜は、緊張して眠れませんでした。
16年間勤務していたので愛着はあります。

一番お世話になり、現在も奮闘している先輩に会うと、本当に残念がって引き留めてくれました。
育児休業を5年もとらせていただき、恩返しが叶わず申し訳ありません。
でも、私は私の道を進みます。

そして、退職手続きの日。

先輩方が調整してくれて、退職手続き前にお世話になった方が集結!
激動のときを共に乗り切った先輩や同期にも会えました。
笑顔で見送って下さり、感謝しかありません。

退職の手続きは、あっという間に終了。

さらに施設内で、偶然にも一緒に働いた人々に再会。
こんな偶然ってあるんだね。きっとご縁があるんだな。

再会した方々に退職することを伝えると、エールを送ってくれました。
私は人に恵まれてきました。本当にありがとうございます!

次に、以下の人たちに連絡して、会う時間をつくってもらいました。

  • 新人時代にお世話になった大恩人たち

  • 高校からの心友たち

それぞれから励ましの言葉。
あなたならきっと大丈夫!心配しないで!
頑張りすぎて、無理しないでね!

みんな同じようなことを言ってくれて、
私のことをよく分かってくれている人たちに支えられていたんだなと
感謝の気持ちでいっぱいでした。
たくさんたくさんパワーをいただき、栃木を出ました。

◆東京へ引っ越し

緊張しながら東京へ。

全く地理が分かりません。
友達が1人もいません。

でも、やることはたくさんあり、弱音を吐いている時間はない。

  • 入園予定の幼稚園と調整

  • スーパーやドラッグストア、病院、公園の開拓

  • 慣れない電動自転車での移動

道を曲がっては迷って、Google Mapを開くの繰り返し。
5分で行けるとこを15分くらいかかるという。。
子どもたちからはブーイングの嵐(笑)

それでも必死に毎日を過ごして、
毎日違う公園を探したり、
夫にお弁当を作ったり、
自炊やパン作りもしてました。

幼稚園に無事に通えることになると、事務作業が連続します。

  • 書類作成

  • バッグや巾着などの布製品作成→姉に委託

  • 船便88箱開封

幼稚園と役所に提出する書類作成と開封は夫婦で協力して乗り越える。
毎日、何かのリミットがあって、限界ギリギリでなんとか乗り越える。

このころの記憶は朧気です。

心配していた子どもたちの転園も、すごくいい園と巡り合うことができ、すぐに馴染み楽しんでくれました。
親としては安堵しましたが、だんだんと私だけ取り残されている気持ちに。。

◆病気やケガの連続

10月。
9月にWebライターラボに入会し、勢いで10月の交流会の申込!
ライターとしての活動は0だけど、色んな方からお話を聞いてみたいとワクワクしていました。

それが。。。

交流会前日に、息子がケガをして歩けなくなりました。
おもちゃの車に足を乗せたままに、滑って股関節を強打したようでした。
交流会は泣く泣く欠席となりました。。。

整形外科をはしごして薬をもらったものの、それでも座ることしかできず。
就寝時も寝返りのたびに大泣きして、抱っこして落ち着かせての繰り返し。

そこから1週間くらい幼稚園をお休み。

その後、息子のケガも徐々に回復したところで、
今度は交互に風邪をひいて風邪、高熱の連続。
その他に、結膜炎、胃腸炎による嘔吐も何度も。

引っ越してからはよく看病しました。
環境の変化の疲れか、よくダウンしました。
心配でした。寝不足でした。近くに頼れる人がいなくて不安でした。

私も、疲れがたまっていたのか何度も風邪をひき、ダウン。
とにかく疲れやすく、疲れるとすぐに熱が出る。
こんなこと初めてでした。

そして、メンタルもダウン。
急に感傷的になり、涙が止まらなくなるときがありました。
私にとって拠り所であった「仕事」から切り離されたのは、社会からの孤立を意味するものでした。

高校の友達に東京で会った時も、
会ってすぐに号泣してしまい、心がすごく弱っているのに気づきました。

泣くだけ泣いて、音楽に癒されて、実家と話して、友人に手紙を書いて感情を吐露し、少しずつ回復。

  • その後、謎の高熱から膀胱炎発症。

  • 足の裏が腫れあがり、歩行困難。

  • 子どもから移った結膜炎を発症。

  • 風邪から始まり、咳ぜんそくを発症。1カ月半の咳

東京に引っ越してからは、毎週のように誰かがダウンしてました。
きっと体が少しずつ順応しようと努力してくれたんだと思います。

◆話題に事欠かない2022年

もう、ありとあらゆる厄を落としたと思います!
2023年は絶対にいい年になると確信しています!

本当に激動の中、

  • 9月にWebライターラボに入会、Twitter開始

  • 10月より求職活動をする旨、役所に書類を提出

  • 11月に開業届提出、初案件をゲット

  • 12月に1件の実績を元にポートフォリオを作成、初応募に合格

上記の取組をした自分を褒めたたえたいです!

右も左も分からないけれど、ラボに言われたとおりに動いて、実践して素晴らしいよ!!!
よく頑張ったね(^^)/

私のフリーランス人生は始まったばかり。
ご縁で繋がれたクライアント様に全力を尽くして、愚直にいきます。
器用ではないことは誰よりも分かっているから、泥臭く、とにかく誰よりも努力して、自分が進みたい道に突き進みます!

ギリギリになったけど、2022年中に書き終えてよかった。
私の2022年、たくさんの学びをありがとう!!



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